ナカムラコウジ その3

 物心ついた頃から、将来の夢は「カメラを道具として使う仕事」だった。カメラを使えるのなら、どんな仕事だって良かった。小学生の頃の作文には映画監督と書いた。卒業文集にはフリーのカメラマンと書いた。テレビ局のスタッフと書いたこともあるし、新聞や雑誌の記者と書いたこともあった。動画でも静画でも良かった。とにかくカメラが好きだった。どうしてかはよく思い出せない。何か――カメラで撮られた写真や動画なんか――で、ひどく感動したことだけは憶えている。両親におねだりをして、小さな写真用のカメラを買ってもらったことも。その頃の両親は、まだ僕を真っ当な人間だと考えていたし、カメラも情操教育とかにも悪くはないと思っていたようだった。

 学校の授業中などのどうしても私事ができないとき以外、僕は常にカメラに触れていた。自分の目に入るものすべてを、カメラで写し取ろうとした。空と雲、道端の雑草、学校の花壇のたんぽぽ、近所の人が散歩していた犬、尻尾の切れた猫、側面が凹んだ車、指名手配犯のポスターが貼られた電柱、ぺしゃんこに潰れた蟹の死骸、風に流されていくちり紙、浅い水溜まり、カラスに荒らされたゴミ捨て場――どんなに普段退屈な景色も、カメラや写真を通してみれば、一瞬で鮮やかに彩られるようだった。僕はその高揚感に酔いしれ、さらにカメラのシャッター音を鳴らした。楽しかった。たぶん、あの頃が自分の人生のピークだった。ただカメラを持っていられるだけで幸せだった。

 その幸せが一時取り上げられたのが中学生のときだ。人が死ぬ瞬間を撮った。その日は休日で、僕は愛用カメラを片手に散歩に興じていた。かんかんと警告音を鳴らして下りる踏切の前に立ったとき、線路の中央に一人の女性が立っていることに気づいた。頬のこげた、顔色も悪い貧相な女性だった。その女性は踏切の警告音なんか聞こえないというように、ぼんやりと突っ立っていた。踏切待ちをしている人たちが異常を察して騒ぎ始めても、女性は動こうとしなかった。危ないから出てこいと声をかける人もいた。車のクラクションを鳴らして注意をひこうとした人もいた。しかし、誰も直接線路の中に侵入して、女性を助け出そうとはしなかった。僕はというと、その女性に向かって、カメラを構えていた。何となく、だった。何となく、カメラを構えるべきような気がして、とっさにそうしていた。

 電車が近づいてくるのが見えてきて、周りの人たちはさらに騒いでいたけれど、やはり線路へと飛び込んでいく人はいなかった。そして電車はスピードを落とさないまま、女性を轢いた。女性は微動だにしていない姿勢のまま、弾き飛んだ。血の飛沫が空中に霧散していくのが見えた。瞬間、僕はカメラのシャッターを押した。迷いはなかった。

 周りの人々が悲鳴を上げていた。警察に連絡しているらしき人の動揺と怒気を含んだ声が聞こえた。僕はただ、カメラを胸に、何かを成し遂げたような達成感に浸っていた。

 カメラには、電車に撥ね飛ばされる女性の一瞬が、しっかり切り取られていた。満足感に包まれながら、僕は騒ぎに背を向けて帰宅した。その日は家にいる間もずっと機嫌が良かった。その晩、僕はその写真を両親に見られた。

 あまりにも僕が上機嫌だったことが怪しかったのだろうか。見た理由は教えてくれなかったからわからない。ただ両親は僕に対して激高した。こんなものを撮って何を考えているとか、こんな写真を撮るのはやめなさいとか、確かそんな感じのことを怒鳴られた。僕も偶々通りかかっただけと多少の弁解はしたけれど、両親は聞き入れてくれなかった。

 それから僕はカメラを取り上げられた。返してくれと頼んだけれど、両親は首を横に振るばかりだった。新しいカメラを買おうにも、小遣いすらくれなくなってしまった。それだけではなく、両親は僕をよくわけのわからないところに連れていくようになった。あるときは精神病院に連れていかれた。あるときは妙な信仰宗教団体の施設に連れていかれた。一日で有名なパワースポットらしい場所をいくつも連れ回されたときもあった。決まって、帰り道、両親は当てが外れたとばかりの残念そうな顔をしていた。

 僕は両親の焦りように困惑とともに怖気を感じて、以前にも増して大人しくなった。小学生のときから大概クラスメイトなどからはカメラばかりの根暗なやつと笑われていたけれど、カメラの部分が取れて、今度はただの根暗なやつとして笑われた。それは別に良かった。僕はカメラを通していない人間になんて興味はなかった。

 カメラを通していない世界だけで生活して、僕は改めて感じたカメラのない世界の退屈さに驚いた。カメラを通して見ていた世界とは違い、何もかもが色褪せ、薄汚く見えた。こんなものが現実なのかと思い知った。こんなものが現実なのだと悟った。それからしばらくの記憶はほとんどない。憶えている価値もなかった。

 僕が再びカメラを手にしたのは、大学に進学した後のことだ。

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