Lec.4-2 予兆

 夕時。

図書館で行ったテスト勉強を終え、いつもの通り商業街経由で家に帰った。

今日の晩御飯は麻婆豆腐。普段は絶対に作らない系統の料理だ。食卓に並んだこの光景を物珍しそうに見るセーネと、こちらをジトリと睨みつけるのはユウナ先生。

「ねぇ、これ、絶対辛いよね?」

そう言って、手にしたスプーンでツンツンと豆腐をつついている。

「大丈夫ですよ。甘めの味噌を使いましたし、豆板醤はアクセントを加えた程度です。」

「ホントに?」

「セーネにも味見してもらいましたから大丈夫です。」

ね? とセーネに合図を送ると、彼女も大きく首を縦に振った。

ユウナ先生が辛いものが苦手であることは重々承知の上だ。そのうえで、先生が食べられる辛さをセーネと一緒に調整したのだ。絶対大丈夫に決まっている。

意を決した先生は、豆腐とソースを一口分だけ掬い、ゆっくりと自分の口へと運んでいき、目を瞑ったままパクリと一口、口に入れた。二度、三度と咀嚼を繰り返していく内に、力の入った瞼の筋肉がほぐれていき、四度目になる頃には目を見開いてこちらを見ていた。

「私でも、食べられる。」

「だから言ったじゃないですか。」

と、口では言っているものの、これで食べられなかったらどうしようか、とも考えていた。あぁ、良かった。僕は一先ず胸を撫で下ろした。これで、冷蔵庫に入っているヨーグルトの出番はないな。うん、良かった。


 食事中の話題は色々あるが、この学期末の時期での話題と言えば、そう、テストである。

最初はセーネに話題を振っていたのだが

「うーん、思ったほど難しくないかな。私は大丈夫。」

と、一言。最早何も言うことは無いと言った感じだ。いつも幼く甘えてはいるものの、彼女は頭脳明晰であり、それを証明するかのように様々な資格を持っている。本来、中等科の枠で収まりきらないのだが、普通の人らしく一つ一つやってほしいと言う願いから、飛び級せずに中等科に在籍しているとのことだ。

彼女もその事に何にも不満はなく、友達と一緒に居ることが何よりも楽しいらしい。

「そっか、セーネはやっぱり凄いね。」

エヘヘとはにかむ、セーネの頭に手をポンポンと乗せて、軽く頭をなでる。

こんな微笑ましい光景を見ているだけで心が浄化される。苦しいテスト勉強期間だと言うのに、非常に癒される。

「お兄ちゃんもテストでしょ? お兄ちゃんは大丈夫?」

グサリ。家庭内の会話だと思っていたのに、セーネから援弾が放たれた。正直なところ、自分に会話が振られるなんて思ってもいなかったから油断していた。言葉が詰まり、声が出ない。

「んーと、えーと。」

言葉として出たのは回答なんかですらないただの間伸ばし。

目の前には出来る人しかいないせいか、何か答えにくい。

「アランド史が、どうしてもシックリこなくて。」

「カレル君、こっちの出身じゃないからとっつきにくいよね。」

ウンウンとユウナ先生がフォローを入れてくれる。助かった。

「分からないことあったら、すぐ聞きに来てね。何時でも教えてあげるから。」

そう言うと、彼女は笑顔を見せた。あの自習室での出来事を思い出すと、非常に安心できる。


「そうそう、話は変わるのだけど。」

 何かを思い出したかのようにユウナ先生はこちらに声を掛ける。

「この時期になると、ある命術が流行るの。正しく使えば問題ないのだけど、使い方を間違えると大変なことになるの。」

「それって、一体どんな命術なんですか?」

「”シャドウ・サーヴァント”って言うんだけど。」

まさかの単語。ちょっと前に僕が教わった命術だった。あぁ、もう使っちゃんただよな……

「その命術、もう使ってしまっています。」

僕は苦笑いすることしか出来なかった。それを見た先生はこう言った。

「問題なのは、命術の使い方、付き合い方なの。」

言葉を続ける。

からも説明を受けたと思うけど、影とは言え命宿した者だからね。口酸っぱく言うけど、絶対に忘れちゃだめだからね。」

そう言った後、彼女は僕に向けて笑顔を見せる。

「ま、カレル君ならちゃんとと付き合うことが出来ると信じてるから。」

疑いの感情も無く、率直に向けられたその眼差しはあまりにも眩しく感じた。僕は、その期待に応えないといけない。

「えぇ、大丈夫です。」

僕は力強く答えた。


§


 翌日、数学の講義の為に入った教室。その空気が異様だった事を覚えている。僕とロッソは、扉を開けた途端に硬直した。

「…………何これ。」

「何だこの光景は。」

教室に入った僕達の目の前には、席に座る学生達の中に混じって、影が席に着いていると言う光景だった。ざっと半数は影、もう半数はその影を見て不気味がっている。

流石に、命術科である僕らにとっては、何らかの命術でこんなことをしたんだろうと言う想像は付いたが、他の学科の学生達は混乱していた。

講義開始のベルが鳴り、教室に入ってきた先生は、この光景を見て大きく溜息をついた。

「はぁ、またこの時期が来たか。」

と言った。つまり、毎年こんな光景になると言うのか。ちょっと頭が痛い。昨日のユウナ先生の言葉が脳裏を過る。”シャドウ・サーヴァント”と言う命術が流行る。つまりはこういう事だったのかと。

「今日の出席は点呼する。挙手して返事をしなさい。」


 この、異常事態ともいえるような空間での講義は、僕の思っていた方向とは全く逆の状態となった。

「次の問題、誰か解答を。」

『はい。』

いつもは解答すらしない学生の影が挙手をして解答した。先生も「正解だ。」と一言。

何だこれは。いつもの講義風景と全然違う。

いつもの講義では、居眠りしている人、お喋りしている人、途中退出する人、やる気が無く注意が散漫な学生ばかりなので、真面目に講義を受けている人にも悪い影響が伝搬するのだ。それは僕にとっても例外では無かった。だが、今日はそんな妨害が無い。

あぁ、何て素晴らしい日なのだろうか。それが、こんな形ではなく普通にやっていてくれたなら尚良かったのだが。

「次はこの範囲だ、更に難解になるからな。分からないなら早めに聞いてくれ。」

『それじゃ、ここを。』

「今日はやけに積極的だな。」

真面目に講義を受ける影に驚愕を受ける先生。それもそうだ。彼はいつも、ただその場に佇んでいるだけなのだからだ。だが、真面目に講義を受ける彼にはただ実直に、教師の役目を果たしていった。


 カリカリとノートにペンが走る音と先生の声だけ。静寂が支配する教室には必要な音だけが反響していた。

その後も、大きな騒ぎも無く、只々ひたすらに静寂な空間の中での講義時間が過ぎ去っていった。開始から約八十五分頃、講義の終了が近付く。

「今日はここ迄。次回はテストだから準備しておけよ。」

彼がそう言い終えると、講義終了のベルが鳴り響いた。

教室の学生や影達が次々と教室を発つ中、僕はノートと教科書をバッグに片付ける。

「なぁ、今日の講義、凄くやりやすかったな。」

僕はボソリと呟いた。あまりにも異様でありながら、理想的な講義に言葉が零れてしまった。

「確かにな。いつもこんな感じならいいのだけどな。」

隣のロッソは苦笑いをしながらそう言った。あぁ、確かに。と、僕は同意せざる終えなかった。


 こうして、充実した時間を過ごした僕らだが、何事もなく今日が終わる訳は無かった。

昼食を取るために購買に向かったのだが、いつもなら相当混んでいる時間の筈なのにも関わらず、今日はガランとしていた。

いつもならば、命術科の学生が大量にいるのだが、そうなら無い理由に思い当たる節はある。そう影だ。影であるために、食事をとる必要は無い為、ここに来なくて良いのだ。

「これなら、学食でもいいかもな。」

「そうだね、今日は学食にしようか。」

僕とロッソは購買を後にし、学食へと向かった。

しかし、命術科の学生がいつも購買に向かう理由はただ一つ。学食の席が空いていないからだ。そのことをすっかり飛んでいた僕達は、いつも以上に遅い昼食を取る羽目になった。


§


「あぁ、今日の講義どうだった?」

気怠い声がカーテンの閉め切った暗い部屋に響く。

この声の正体は影である自分自身、命術の使用者たる本体、正に俺。今日は一日この部屋でゴロゴロとだらけていた様だ。男の部屋らしく脱ぎっ放しの部屋着が散乱し、使いっぱなしの丼が机の上に置きっぱなしだったり、学校で貰ったプリントも辺りに散らかしたりと、足の踏み場が無い。

足で適当に退かしながら前へと進み、カバンをの傍にドスンと置いた。

『あぁ、いつも通り。』

俺はそっけなく答える。

”シャドウ・サーヴァント”の命術を覚えてからと言うものの、俺を使って講義をさぼる回数が増えてきた。そのため、ありとあらゆる講義に出る度に「あぁ、またお前か。」と呆れた顔を向けられる事が辛い。唯一出る講義が”命力・命術学基礎”。理由は言わなくても分かる。彼女目当て何だろう。

正直なところ、こんな風に使われることに対して強い嫌気がさしている。最初に説明したはずなのだがな。

『おい、何時になったら講義に出るんだ。』

「別に俺が出なくてもいいだろ。影だって俺なんだからな。」

そう言い、ベッドの上で転がる。

これが俺ね……見ているだけでも虫唾が走る。

『もういいだろ。解除するぞ。』

「ああ。」

俺はただの影に戻り、意識は俺の身体に溶け込んでいくはず……だった。

この時からだった。しっかりと意識が交わらない感じがした。

何だか嫌な予感がする。これが、か。成程。そう言う事か。

だが、まだ何かが足りない。もう少し……もう少しか……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る