第9話 『水曜の朝、午前三時』
『水曜の朝、午前三時』(蓮見圭一著)を読んだ。
私の、迷っている心に、光を当ててくれたような作品だった。
図書館で、なんとなくタイトルが気になり、手に取ってみたのだけれど、この本に出逢えたのは、奇跡としか言えない。だって、著者の名前さえ、私は今まで知らなかったのだから。
私はこの現状を変えたかった。
あるいは誰かに変えてほしかった。
自分のなかに湧き上がる、焦りにも似たような感情が、どこから生まれるのか不思議でならなかった。どうしたら良いのかも、分からなかった。
でもその“答え”は、今日読んだ作品に書いてあった。
抜粋して紹介したいと思う。(※以下は、物語の最後の部分なので、この本に興味があり読んでみようという方、あるいは今読んでいる方で、結末の部分を知りたくない方は、ご注意願いたい)。
私は時間をかけて、どこかにあるはずの宝物を探し回っていたのです。ただ漫然と生きていては何も見つけることはできない。でも、耳を澄まし、目を見開いて注意深く進めば、きっと何かが見えてくるはずです。
(中略)
さあ、今度はあなたたちの番です。何も難しく考える必要はありません。人生は宝探しなのです。嫌でも歩き出さなければならないのだし、それなら最初から宝探しと割り切った方が楽しいに決まっているではないですか。そう、楽しめばいいのです。旅の途中には、多くの困難があるでしょう。世の中には好きになれな人間、同意できない人間でいっぱいです。
(中略)
そのたびに、私はいちいち彼らを憎んだり恨んだりしたものだけれど、いまでは感謝さえしています。
(中略)
何にもまして重要なのは、内心の訴えなのです。あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間として、どんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか。それともやむにやまれぬ本能の訴えなのか。耳を澄まして、じっと自分の声を聞くことです。歩き出すのは、それからでも遅くはないのだから。
私はこの文章で、目が覚めるような思いだった。
他にもこの作品の中には、こういった感動する文が多くあったけれど、物語のラストになりかかる場面でこの部分を読み、呼吸もうまく出来なくなる位、心が震えた。
宝を見つけるには、外ではなく、内の声を聞くことから始まる。遠くには無いが、深いところにはある。自分で掘り起こしていかなければ、見つからない。掘って掘って探そうとする人にだけ、真の宝は、その姿を現すのかもしれない。
自分の人生を掘り続けよう。
宝探しを続けよう。
生きる、ということは、きっとそういうことだから。
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