俺は池田から、あの時の様子を知る
落ち着いたと思ったら思い出し泣きして、池田はなかなか落ち着かない。
「だって……あのままだったら……ほんとに……」
「いい加減泣き止めよ。あの時、俺が見たのは、子供な美香が俺にお辞儀して、俺とおんなじ方を向いて消えた。それだけだった」
「あ、あのね……あの時ね……」
池田は美香の声は聞こえなかったが、母親の声は聞こえたらしい。
棺桶の窓から顔を出し、そのまますぅっと体の上から順に現れたのだとか。
美香の顔が前を向き、斜め上を向いたのを俺が見た時の事らしい。
母親のその姿は亡くなる前のものではなく、あの時の美香の姿の年齢の、若い頃の姿。
そして美香に「待っててくれてありがとう」とにこやかに声をかけたとか。
その後、頭をなでて「和尚さんにもお礼言わないとだめよ?」と言い聞かせた後で、美香は俺にお辞儀をしたんだとか。
(おにいちゃん、ありがとう)と言ってくれた場面のことらしい。
その時に美香の母親も「お世話になりました」と言いながら、丁寧にお辞儀してくれたんだとか。
そして二人一緒に俺と同じ方を向いて消えていった、ということらしい。
「うぅ……。磯田君……ほんとに……ありがと……」
池田の涙声は止まらず。
大げさすぎるような気もするが。
「……いい加減落ち着けよ。そこまで大したことしてねぇよ」
「そんなこと……ないっ!」
突然の大声で、俺はやや飛び上がった。
そんなに力説されるようなことした覚えはないのだが。
「だって……もし磯田君が、美香の相手をしてくれなかったら……あんな風に、親子で仲良く一緒に成仏なんかできなかったんだよ?」
その因果関係が分からない。
風が吹けば桶屋が儲かる話じゃあるまいし。
「前にも言ったよね? 誰からも相手にされないまま、この世に留まってたら悪霊になるって」
「あぁ。その話は何回か聞いたな」
「磯田君はそれを止めてくれたの。もし悪霊になってたら、周りの人達、関係者にどんな不幸がやってくるか分からないところだったもの」
と言われましてもな。
正直ピンとこない。
共感できないことが、何となく肩身が狭く感じる。
「それに、今にして思えば、美香が幽霊になった理由も分かった気がする」
「ほんとか? それ、どんな理由だよ」
「うん……あの子、きっと……一緒にいたかったんだよ」
一緒にいたかった?
誰と? 何で?
「あの子、お母さんに抱き着いて、お母さんに頭撫でられて、お母さんと手を繋いで、一緒に……」
「あぁ……お母さんと一緒にいたかったのか」
幽霊になった後も肩もみとかを始めた。
してない時は、確かに、母親にべったりって感じだった。
「ううん。……あの子、小さいときにお父さんを亡くしたのね。だから、お父さんとお母さん、二人揃ったところにいたかったのよ」
お兄さんの立場はどうなる。
ちょっとお兄さんが可哀想な気が。
それともう一つ問題が。
「じゃああいつは、母親を向こうの世界に連れてったってことか? それはちょっと……いや、ちょっとどころじゃない。かなり怖い話なんだが……」
「え? いや、それはないけど。向こうの世界に引っ張り込もうっていう感じはなかったわよ?」
「それならいいんだが……」
「それに、おばさんの顔も、とてもうれしそうだったし」
本人がよければ問題ないか。
成仏したってんならなおさらだ。
「でもね……。二人があんな穏やかな顔ができたのは……やっぱり磯田君のおかげなのよ」
話はまたそっちに戻るか。
「美香の相手してくれなかったら、最悪、美香はずっとおばさんを憎み続けてたかもしれないから。それが……こんなハッピーエンドにしてくれたのは……磯田君のおかげ……。あたしじゃ無理だった……」
池田の副業は、除霊とか何とかという仕事。
と本人は言っていた。
俺は、こいつがその仕事をしているのを見たこともないし、実績なんかも知らない。
評判も聞かないし、社会人になってからの接点もない。
何も知らない俺に、こいつが好き勝手に自分の情報を押し付けてるだけなのかもしれない。
が、幽霊になった美香と会話をし続けたのは事実だし、美香は池田を見て、その池田も美香を見ていた。
美香が消えたのを見て泣いているのが芝居かもしれないが、少なくとも互いに顔を合わせたり、自分の服の裾をつまんだときの美香を池田が見たのは、これは芝居ではできないことは確か。
となれば、学生時代の池田がそのまま、その副業を始めたというわけではないだろう。
池田が、一般的に言う霊能力者ってやつなら、それなりの修行を経て、副業を始めたに違いない。
精神面を鍛えなきゃならなかったり、それに伴う体力も身に付けなきゃならなかったろう。
それを始めたきっかけも、その副業を始めた理由も、全て己自身にあったと思う。
自ら決断して進んだ道だ。俺が傍から見て想像する苦労を苦労と感じずに通過した困難もあっただろう。
つまりその道を進むのは、俺には無理だってことだ。
片や俺はというと、資格を得るために受けた修行は、ほとんど座学。
しかも俺がこの道を進むきっかけも理由も、周りに押し付けられたから。
今もそんな感じだ。
かと言って、何かを始めたい、何かをやりたいと熱望する仕事も趣味もなし。
池田の前じゃ、人生誇れるものは何もない。
そんな俺が、そんな池田に涙ながらに感謝されている。
俺は、そこまでできた人間じゃない。
「……俺はさ……美香から話しかけられたから返事をした。それを今までずっと続けてきた。ただそれだけなんだよ」
それでも、この仕事を続けてきて、感じたことがある。
人の死を通じて、否が応でもそのことについて考えさせられてきたことも、それはたくさんあった。
そして、その中で、自分なりにいくつか答えを出したこともある。
「……生きている者と死んでる者の違い、って考えたことがあった」
「……それは、肉体の有無ってことでしょ?」
「もちろんそれもあるけど……。でもさ。檀家さん達からいろんな話を聞いた。朝晩、お仏壇の電気を付けたり消したりする。そのときに、おはようございます、おやすみなさいって挨拶するんだって。そんな檀家は意外と多いんだよな」
「うん」
「肉体の有無の違いがあるのに、それでも変わらずに続けてることなんだよな。相手が生きていようが死んでようが、自分がそこにいる、と思ってりゃ、顔見知りや親しい者なら挨拶をする」
「……そう、だね」
「声をかけられりゃ、相手が死んでようが生きてようが、見知った相手ならそれなりの返事をついしてしまう。ひょっとしたら、こっちから声をかけることだってある。その時は、相手に反応があるかどうかは別だがな」
「……うん、そうだね」
「同期だったとしても、全然覚えてない別のクラスの奴ならどうだったか分からない。けど、名前呼ばれたら返事くらいは普通にするよ。話しかける材料がなければ、こっちから話しかけることはないけどな」
「生きていても死んでいても、接する態度は変わらない、か。うん。それが当たり前なのかもね……」
池田はようやく泣き止んで、ふふ、と笑う。
けど、相手が死んだら、この世でもう会話することができない。
そして時間が流れるこの世界で、その時間に乗ることができない。
こっちは生きているから、会話ができたとしても話題の共通点は次第に少なくなる。
どのみち会話ができないことには違いない。
死なれた者の悲しみの理由の一つは、多分そこにある。
だから、池田の言う当たり前は、悲しんでる人達にとってはおそらく当たり前じゃない。
その当たり前じゃないのが普通なんだろう。
だが、そんな結論を出せた俺は、多分その感覚は薄くなってるのではなかろうか、などと、自分のことが少し心配になってたりする。
「……一般常識からいろいろ外れてるのかもしれないなぁ。俺も、池田さんも」
「何よ、それ」
泣いたり笑ったり、そして今度は少し膨れっ面になっている。
今日の池田は、顔が忙しそうだ。
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