ゾンビ病:高ノ宮 数麻の短編集

高ノ宮 数麻(たかのみや かずま)

第1話 朽ちていく男

 三日ほど前から、私の足は腐り始めている。放っておいた糖尿病が悪化したのかもしれないが原因は分からない。もう右足の膝から下は何の感覚もなく、私の足はただただ腐臭を放つだけの代物となってしまった。


 しばらくすると、今度は左足が、そして次は両腕までも腐り始めた。四肢が腐ってしまうとすこぶる不便なので困ったものだが、これもすべて私自身が長年不摂生を重ねてきた結果なのだろう。


 私はリアリストなので、事実をありのままに受け入れるのは割りと得意である。今も、この腐りゆく自分を案外冷静に受け入れてしまっている。一度受け入れてしまえば後は気楽なものだ。


 それに腐っていくのは何も悪いことばかりではない。まず、腹が減らなくなった。右足が腐り始めた時点では、朝、昼、晩と当たり前に腹が減っていたが、両腕が腐り始める頃には食欲がまったく無くなった。また、両腕だけではなく両足も腐ってしまったので洋服も靴もいらない。この頃は暑さ寒さも感じなくなって、1年を通して不快な気候は皆無となった。おかげで光熱費など一切かからない。


 だが、たまらなく嫌なのはこの臭いだ。右足が腐り始めたときは、足と鼻を遠ざけることで、臭いを緩和することができたが、最近は身体の内側から臭いが噴き出してくるように感じる。


 やがて、蝉がうるさい夏や、雪に閉じ込められる冬を何度か越えたとき、ようやく「ポロッ」と鼻が腐り落ちた。これであの臭いから解放される、そう思うと気持ちがとても軽くなった。そのうち耳も腐り落ちたのでうるさい夏の蝉声からも解放され、次に目も腐り落ちたおかげで見たくないものを見ないですむようになった。


 これで、私にとって残った憂鬱はたった一つだけ、今日も私の頭をコンコンとつつくカラスの存在だけだ。まだ私の足が腐り始めたばかりのころから毎日やって来ては私の頭をつつく。これさえなければ私を悩ますものは何もなくなる。


 それから、何度もの季節が巡ったころ、カラスがいつものように私の頭をつつくと、ふいに「カランカラン」と音をたてて、私の頭蓋骨が太い木の根元に転げ落ちた。驚いたカラスはカーカーと鳴きながら深い森のなかに消えていった。


 ああ、これで私は最後の憂鬱からも解放されたのだ。木々の間から射し込む穏やかな日差しが私を優しく照らしている。頭蓋骨になった私は心から安堵し、ゆっくり眠りについた。


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