最後の夏
春嵐
踏切
ここから先はない。
今日。7月15日。この日が、私にとって最後の夏になる。
「まあ、夏場にしねるなら、本望か」
この日のために、ずっとイメージトレーニングを続けてきた。夜も昼も、全てをここに注ぎ込んで。そして今。
電車に飛び込む。
もちろん、みずからしぬためではない。
猫が、電車の間に挟まるのだ。それだけが分かる。
そして、自分がそれを助けて、轢かれる。
猫を助けるとしぬ。そして、猫を助けなければ、生き残れる。
それが、私の人生。
2週間前に占い師が、そう言っていた。変えられないことだと。そして、だからお代も要らない、と。
目が本気だったので、信じた。それだけ。
俺は、猫を助ける。
人だろうと猫だろうと、目の前でしぬといわれたやつは放っておけない。ちなみに好物は鶏肉の唐揚げ。
本当は、同期で気になってる女の子との相性を占いに来ていた。その子と一緒に。二人で違う占いのところに入って、それぞれの運勢を占ってもらう予定。そこで知らされる、突然のし。
そして今日は、その女の子と海に行く予定だった。
海の日だから。
でも雨だった。
『ね、行くのやめましょう。雨だから』
電話口。やたらと女の子が止めてくる。そりゃあそうだ。雨なんだから。
「そうだね。別な日にしよっか」
もう、次の日は来ない。
それでも、口を衝いて出てしまう。海に誘ったのも、つい誘い文句が口に出てしまったから。
好きっていう感情は、素晴らしいな。切ないけど。そして多少、後ろめたい。
「じゃ、また」
『待って』
「うん?」
『この前の西瓜、ええと、住所が』
読み上げられる住所。たしかに、自分の住む部屋のものだった。
「うん、合ってるけど、西瓜がどうしたの?」
ドアホンが鳴る。
「あ、ごめん、誰か来たみたいだから、またかけ直すね」
『うん。またね』
ドアの覗き口。
「あ」
いや、なんとなく住所訊かれた時点で予想してたけど。
扉を開ける。
「はい。西瓜。もってきました」
女の子が立っている。
「おお。でっかいね。ありがと」
まだ付き合ってもいないのに部屋に招き入れるのはまずいな。
「どうしてここに?」
西瓜をもらいつつ、それとなく訊く。
「あの、入っても、いい?」
押しが強いな。
「いいよいいよ。どうぞ。西瓜切るね」
招き入れる。
彼女が入ってくるのを、ちょっと期待していた自分がいる。それでも。
「うわ、意外ときたない」
猫の写真と電車の写真が無造作に並べられている部屋。全ては、猫を助けるため。そのための命。
「ごめんごめん。猫と電車が好きなんだ」
「そうなんだ。わたしも」
嘘だな。彼女の趣味はインドアの料理だから、猫は良いにしても電車はどうでもいいはずだ。
「いいよ。無理しなくて。はい。ここへお座りください」
外。
雨音。
少し強くなってきた。
「いま西瓜斬るね」
「わたしが」
「いやいや。せっかく持ってきてもらったんだから」
立ち上がる彼女を制止し、台所に立つ。
さて。
どうやって抜け出すかな。
あの日、彼女も占ってもらっている。別な人だけど。もし、同じようなことを彼女も言われていたとしたら。
まあ、そんなところだろう。
じゃなきゃ、付き合ってもいない男の部屋にいきなり入っては来ない。そういう肉食な女の子ではない。優しくて、少し奥手な女の子。
「あ、ごめん、塩を切らしてた」
よし。これで行こう。
「西瓜にかけるやつ。ごめん。ちょっと今買ってくるね」
「待って。わたしが行く」
「いやいや。せっかく来ていただいたのに。それに雨も強くなってるし。行ったらびしょ濡れになっちゃうから。お部屋のなかでも漁っててよ」
「でも」
「いいからいいから」
早くここを出よう。
このままここにいたら、外に出れなくなる。猫の命を、助けなければ。
靴をつっかけて扉を開けようとした。その手が、握られる。
冷たい手だった。
「行かないで」
「手、ひんやりしてる」
彼女。手をひっこめる。繋いだことに彼女自身もびっくりしているらしい。
「大丈夫、大丈夫。塩買ってくるだけだから。ね?」
「それでも。行かないでください」
「ん、なんで?」
「猫なんかよりも、あなたの命のほうが大事です」
やはり。
あの界隈の占い師連中、なかなかやるな。
「猫?」
とぼけて見せる。
「とにかく、今日一日はわたしと一緒にいてください。お願いします」
「どうしても?」
「どうしても、です」
「海行けなかったから、怒ってる?」
「そんなことは」
一瞬の隙を、逃さなかった。
扉を開けて、外に出る。
「待って」
「ごめん。俺はこういうやつだから。それじゃ」
扉を閉める。
傘は持っていない。
走る。
外。
雨。
どしゃ降りだった。
これだけ降れば、さぞ電車の運転手も視界がわるいだろう。ごめんなさい。今から猫を助けて俺が電車に突っ込みます。
家からいちばん近い踏み切り。
猫。
「いないな」
周りには見当たらない。
そりゃそうか。先に見つけてしまったら、俺が轢かれないもんな。
雨に打たれながら、待った。
夏が好きだった。
この急に降る雨も。暑い日差しも。積乱雲も。すべてが俺に合っている。
そのなかでしねるんだから、本望だろう。
後ろを、振り返った。
女の子。ついてきてはいない。そこそこの速度で走ってきたから、追いつけないだろう。
踏み切り。
ついに、電車が来た。
遮断機が降りる。
「よし」
屈伸して。
アキレス腱を伸ばして。
「準備完了」
いつでも来い。
猫ちゃん。
俺が助けてやる。
踏み切りの向こう側。
女の子が、立っている。
「え、なんで」
彼女。優しくて少し奥手な彼女。
手には。
「ねこじゃらし」
何を考えてるんだ。
「おい、なんでそこに」
遮断機の音がうるさくて、向こうに声が届かない。
それよりも、ねこじゃらし。
まさか。
来た。
猫。
どこからともなく、線路に入っていく。
予想したよりも素早い。
自分も、遮断機を越えて入っていく。緊急停止ボタンを押す暇は与えられなかった。
猫。
女の子のほうに。
「ばかやろうっ」
彼女も線路に入ってきている。
ねこじゃらしで猫を惹き付け、抱きとめた。
線路の、ど真ん中。
どしゃ降りの雨に混じって、光。
「くそっ」
間に合うかわかんなくなっちまった。
走る。
光だけが目に映ってて、電車との遠近感が分からない。
目の前。
女の子と、猫。
間に合わないのか。
走った。
そして。
勢いそのままに。
蹴った。
うずくまる女の子の背中を。
思いっきり。
何かが通りすぎる音。
光。
猫。
女の子。
そして、自分。
「ばっ、ばかやろうっ」
女の子。
「あと少しでしぬところだったんだぞっ。なにをっ。なにをやってるっ」
「だってっ」
女の子。
こちらを、にらみつける。
目。
強い意志のある、視線。
「だってっ。あなたが助けようとするからっ」
「それはっ」
「私よりも猫なのっ。なんでっ。なんで猫なのよっ」
言い返せない。
「ごめんなさい。分かってたの。あなたが、人とか、猫とか、そういうの関係なく、目の前でしにそうだったら、たすけちゃうひと、だって。ごめんなさい。ごめんなさい」
女の子。
泣いているように見える。
どしゃ降りの雨で、そう見えるだけかもしれない。
「ごめん。俺が謝るべきだ。ごめん」
彼女の、背中。
「そうだ背中。蹴っちゃった。ごめん。ほんとに」
彼女を、抱きしめる。
生きてる。
自分も、彼女も。
「ねえ」
彼女。少し震えている。
「どんな占い、だったの?」
「今日、猫を助けて、しぬっていう占い。助けなければ生き残れるとか言われた。そっちは?」
「同じ。あなたが、猫を助けると、しぬ、っていう、占い。だから代わりにわたしがとおもって、ねこ、じゃらし。ラッキーアイテムは、西瓜」
だからか。
「そっか。俺は、猫じゃなくて、君を助けたことになるわけだ」
猫を助ければしぬ。猫を助けなければ生き残れる。
そして俺は、彼女を、助けた。
彼女の胸。
何か、もぞもぞと動く。
「うわっ」
猫が出てきた。
「わたしがたすけた猫ちゃん」
「よお、助けられた気分はどうだ、猫ちゃんよお」
「たいへんだったんだからね」
「飼うか」
「うん」
「帰るか」
「うん」
ついてくる彼女。
「あ、俺の部屋に来るのね」
「うん。だめ?」
「だめっ、ていうか、その」
付き合ってないというか、なんというか。
「なにかする、というか、します。せめて今日一日は、あなたといたい、です」
彼女。
こちらを見る。
「俺がまた猫を助けに行かないように?」
「なんでもします」
「じゃあ、そうだな。俺が出ていかないように見張ってくれ。今日一日といわず、これからも、ずっと」
なんかふんわりした告白だなあ。
「それだけ、ですか」
それだけってなんだ。
雨。いつのまにか、やんでいた。
陽が射してきている。
「じゃあ、あと、せっかくだから料理作ってほしい。おなか減っちゃって」
「何がいいですか?」
「鶏肉の唐揚げ」
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