二日目
天海島連続失踪事件
音楽を聴くとその時の気持ちが思い出されて嬉しくなったり嫌な気持ちになったりする。俺は洋楽が好きだ。外国語の歌詞なんてわからないけど。
これらを聴いて思い出されること。
はち切れんばかりの――『自意識』。
周囲の奴とは違うんだという――『自己顕示』。
大人になったと錯覚する――『優越感』。
非常に脆くて、少しの衝撃で崩れる心の居場所。数少ない――それは『個性』。
時刻は七時。日付は八月十一日。合宿、二日目。
昨夜、トイレから戻って布団に入り、イヤホンを嵌め、大好きなバンドの曲を聴いた。そうして眠りへと落ちていったのだ。深い眠りの世界へ。まるで自分の体が複雑な化学反応で分解されて、小さな分子になったような感覚。そうして今、再びいくつもの分子が集まって、『俺』が生まれて……。
「あのー部長? おはようございます」
はじめに見たものは、なんと俺を喰わんと身構える巨人。
「うわっ! 巨人!」
「部長……寝ぼけている場合じゃないですよ!」
ね、寝ぼけて? ……だって巨人が! 巨人軍?
「おお、岡本か……」
「あ、深川先輩! た、大変なんですよ!」
「……朝飯になったら起こしてくれい」
「…………深川先輩、もう昼で顧問カンカンですよ?」
「ふんがあああああぁぁぁあぁ!?」
「うそです」
「…………………………………………………………すぴー」
「って、寝ないでください!」
そんなやり取りがしばらく続いて。
ようやく俺と深川はほんのり温かい絶対領域(布団のことです)から意を決して、もう死んでもいいという覚悟のもと、大きな一歩を踏み出した。朝の教室はとんでもなく寒い。これでも十分目が覚めたのだが、後輩の一言が冷水をぶっかけたような衝撃とともに俺を一気に現実へと引き戻した。
「平田先輩が戻ってきた形跡がありません」
「本当に? お前が寝た後に戻ってきて、またどこか行ったとかは?」
「いや、それはないと思います。布団が綺麗なままなんです。それに、僕は遅くまで起きてましたが、足音がしませんでした」
その言葉にすかさず深川が反論する。
「だから、お前が寝た後に戻ったんなら、お前が足音を聞くことは出来ないだろう?」
「そうかもしれませんが、布団があれだけ綺麗なんです。きっと先輩は一度も布団を使っていません」
岡本は堂々と答える。まるで得意の砲丸を投げるように。そのようにして投げられた言葉はしかし、いささか説得力に欠ける。
「岡本の主張もわかる。けど先輩が戻ってきた可能性もある。一睡もしなかったのか?」
「いいえ」
「なら、お前が寝た後に戻ってきたかもしれない。そうだろ?」
「…………」
部長の俺の言葉に、仕方なく首を縦に振った後輩。なにはともあれ、先輩が現在行方不明というのは変えようのない事実みたいだ。東村のことを思い出す。あいつは戻ったのだろうか。
「ちょっと朝倉たちの部屋に行ってくる。ここで待機な」
何事かを言おうとした深川を部長権限で黙らせる。もし東村も戻っていないのなら、これはちょっと笑えない展開になる。教室の窓の外はどんより曇っている。昨日見えた雲が空全体を覆っている。一雨きそうだな、そう思って廊下に出る。
しーんと静まり返った廊下。廊下の角から誰かが不意に現れるような気がして、ぶるっと震えた。斜め向かいの朝倉たちの教室、一‐五をノックする。
「…………あ、伊野神」
「おっす」
「……………………」
しばらくして現れたのは朝倉。眠そうに目をこする。背後を覗くと新城も起きている。寝起きでもオールバックは崩れないらしい。
「あのさ、東村戻ってきた?」
その質問の答えを心のどこかで予想していたのかもしれない。あるいは、ヒトは驚きすぎるとリアクションを取る余裕がなくなり能面みたいになってしまうのだろうか。
いずれにせよ、しばし呆然とした。
「……いや、戻ってきてない」
こうして天海島連続失踪事件が図らずも幕を上げた。
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