第14話 竜の主

 ゼフテロス王国から少し離れた霊峰にブラッドは来ていた。標高は三千メートルを超え、山頂付近は濃い霧が立ち込めており神秘的な雰囲気を醸し出している。ブラッドはごつごつとした岩肌のような地面を踏みしめ山頂まで歩くと何か大きなものの前でぴたりと止まる。ブラッドは見上げるような巨影の前で仮面を外すと呼びかける。


「おい、リン起きろ。お前の主が来たぞ」


 すると目の前の何かが動きだす。小さな山のようなシルエットに翼が生え、手足が生え、首が生える。霧の隙間からわずかにのぞく陽光がその姿をほんのりと照らし出す。半身は光輝く美しい鱗で覆われ、もう半身はまるで石炭のような黒ずんだ色の鱗で覆われていた。またその黄金色の瞳は爬虫類を思わせ、指先から延びる爪は岩をも切り裂くほど鋭利なもののように見えた。まさしくそれは正真正銘の竜そのものである。


「……すまないな、我が主よ。ここにいても何もすることがないものでな。退屈しのぎをするにも寝るくらいしかやることがないのだ」


「まあ、確かにこの山にはもうお前以外の生物はいないし、ここから長時間離れられないからすることがないのはわかるがな」


「そうであろう?」


「ああ、そうだな。そんなことより盗賊たちは全員ちゃんと殺したのか?」


「当然だ。我がだれ一人逃すことはありえない。寧ろ弱すぎて一瞬で終わってしまいおった。実につまらんことよ。それと主の言いつけ通り荷車や馬車もすべて破壊しておいたぞ。それよりも……」


「何だ?何か気になることでもあったか?」


「ああ。最後、盗賊の頭目が仲間に合図を送っていたであろう?そして、そのあといきなり妙な行動をとったではないか。あれは少女の接近を誘った罠だったのか、それとも単に味方が全滅していたのに焦ったが途中で冷静になって迎えうったのかどちらなのかと思うてな。主は分かるか?」


「おそらくだが前者だ。そもそもあの盗賊が合図を送ってその返事を聞く手段がない」


「そうであろうか?煙なり音なりで返事をすることはできるのではないか?」


「できるだろうがわずかだが屋敷に残っている使用人に気づかれる恐れがあるし、自分たちの居場所を完全に晒すことになる。あの頭目は俺が襲ってくる盗賊を全滅させて帰ってくる可能性も考えていただろうからそれは避けたかったはずだ。それに仲間がまだたくさんいると分かればシンシアが警戒して距離を取るかもしれなかった。そうなれば先ほどの可能性も増すし、盗賊側からしてみれば相手は魔導士だ。距離を取られれば魔法で嬲られると思ったのだろう。実際はまだシンシアは攻撃的な魔法を全然使えないのだがそれも知るよしもないからな」


 リンドブルムは納得したかのように首を縦に数度振ったが何かを思い出したようにその動きを止め、口を開く。


「なるほどな。だが、主が来ることを予想できるものか?」


「いや、寧ろ俺が来るのは確信していたと思うぞ。あの愚かな夫人と違って盗賊の頭目は攻略者の規格外さは知っているだろうから素早くシンシアを殺した後は屋敷の金品を盗んで逃走するつもりだったんだろう。その証拠にお前が殺しら奴らは物を運ぶための荷台のようなものを持っていたはずだ。それに大量の前金も払われただろうし、いらない団員の始末もできて盗賊にとっては割とうまい仕事になるはずだったのだろうな」


「ほうほう、完全に理解したぞ。つまり、盗賊どもの不運はかの少女が予想以上に強かったことと、想像以上に主が過保護だったことだな」


 リンドブルムは生暖かい視線を向け、心なしか口元が緩み鋭利な牙が見えていた。その様子にブラッドは妙な居心地の悪さを感じ身をよじるがその竜は先回りするように長い首を伸ばしてブラッドの目の前に顔を出す。


「何だ、リン。どこが過保護なんだ」


「分かっておるだろうに。照れおってからに。娘にやった剣のことよ。あれは主の血が混じったもので間違いない。つまり、あの娘が危険な状況に陥った場合助けられるようにしておったのだろう?それを過保護と言わずなんという」


「俺は依頼主の意図を汲んだだけだ。他意はない」


「依頼主? それはあの王子のことか?」


「いや、違う。本当の依頼者はアイヴァー伯爵だ。これを読めば分かる」


 そう言うとリンドブルムの前に黒い穴が現れ一冊の本を吐き出す。それは金糸や黄金でゴテゴテと飾り付けられた華美なものであった。


「それは伯爵の日記だ。暇ならそれでも読んでろ」


 言い終えるとブラッドの背後に大きな黒い穴が出現する。


「もう帰るのか?」


「ああ、興がそがれたからな」


 ブラッドは踵を返し黒い門をくぐる。完全にその姿は見えなくなり穴はすぐに塞がり跡形もなくなる。


「主も変わらんな」


 リンドブルムは仕方がないと言わんばかりにため息をつき、ブラッドが置いていった本に近寄る。鋭利な爪を器用に使い、ページをめくり黄金色の瞳でじっくりと眺める。数時間ほどかけてすべて読み終えると納得したかのような表情を浮かべた。


「なるほどな。最初からあの娘の父親が計画したことであったか。自分の病気を利用してまで娘を冒険者にするとは自分の叶えられなかった夢を託すことがそれほど大事であったか。いや、それよりも貴族の世界に向かない娘を思ってか。二人ともなんと過保護なことか!」 


 誰もいない霊峰に地響きのような笑い声が数分の間響き渡っていた。

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