第12話 弟子

 屋敷への襲撃から数日が経った。少女は変わらずブラッドから貰った剣を振っていた。艶やかな金髪は汗で濡れ、光を受け輝いている。数千回ほどの素振りを終えるとシンシアは一息つき、剣を杖のようにして体重を預けた。少女は不意に空を見上げここ数日のことをぼんやりと考える。


 盗賊のような男たちとの急な戦闘が起こったこと、その事件についての調査をする一団が戦闘後すぐに表れて不思議に思ったこと、普通なら事情を聴くために都市の方にシンシアは連行されるはずなのに特に何もなかったこと、そんな場面が次々と浮かびは消えていく。


 少女はすでに今回の事件について自分なりの結論を出していたため楽観的なのだ。実際、今回のことは少女の義理の母が起こした出来事なのは明白であろうし、シンシアはこの事件の裏に何があったとしても知りようがない。


 もし知ることができても自分には何もできないと割り切っているのだ。今ここに自分は生きて剣を振れているその事実さえあれば他はあまり気にならなかった。これも父の教えのおかげだと亡き父に心の中で感謝を述べる。少女は地面から剣を抜き、再び剣を振る。まるでそれ以外のすべてを振り払うように。


「襲われてから間もないというのに素振りとはな」


 シンシアは背後から無機質な声が聞こえると胸が高鳴るのを感じた。こんな特徴的な声の主は一人しかおらず今最も合いたい人物の声なのだから。少女は勢いよく振り向くと、漆黒の外套に身を包み真っ白な仮面を被った男と徐々に小さくなっていく黒い穴を視界にとらえた。


「先生! どうしてここにいるんですか!」


 シンシアは喜色混じりの声色で尋ねる。少女の双眸からも喜びの感情が読み取れまるで師弟ではなく主従だなとブラッドは益体のない考えを巡らせる。


「数日前の事件において今後のお前の処遇が決まったから伝えに来たんだよ」


「そうなんですか! そ、それでこれから私はどうなるのでしょうか?」


 シンシアは緊張のせいか声が上ずり、宝石のような美しい瞳が不安で揺れている。それもそのはずだ。裏の事情を全く知らないのだからどこかしらの貴族と結婚させられこの家に縛られると考えるのが妥当だ。それは彼と彼女の望みからは最も遠いことであり絶対的に避けたい結末だろう。だから、彼はそうならないようなシナリオを作ったのだ。


「まず、今回の事件でアイヴァー伯爵家は爵位を剥奪され取り潰されることになった。だからお前は今から貴族のシンシア・フォン・アイヴァーではなく、ただのシンシアとなる」


「つまり、どうゆうことでしょうか?」


「つまり、お前はこれからは自由の身だということだ。何者にも縛られず生きていける、そういうことだ。この事実を聞きお前は何をしたい?」


 シンシアは大きく目を見開き、体を硬直させた。自分にとって都合の良い現実が押し寄せてきたことをまだ信じられないのだろう。不遇といって差し支えない人生を歩んできた彼女は突然降って沸いた幸福をすぐに受け入れることは困難なのだ。しばらく、当惑した表情を浮かべていたシンシアだったが落ち着いてきたのか大きく息を吐くと真剣な瞳でブラッドを見つめ、口を開く。


「私は冒険者になりたいです! 様々な場所に行き、様々な人に出会い、様々な怪物を倒し、そして迷宮を攻略したいです!」


「いいだろう。迷宮都市までは俺が送ってやろう。手早く出発の準備を整えて来い。出来次第向かうぞ」


「あ、あの不躾な願いなのですが………」


 シンシアは目を泳がせ、胸の前で手をぎゅっと握り口ごもる。少女はもし断られてたらと思うと恐怖で唇が震えるのだ。だが、自分は冒険者になるのだ。ずっと焦がれていたものに。だから、私は弱いままではいけない。その憧れた存在になろうとしているのだから当然だ。少女は意を決して言葉の続きを紡ぐ。


「私を弟子にしてくれませんか! もう依頼の期間が終わったのは分かっています! でも私はこれからもあなたに色々なことを教わりたいのです! 対価となるものは今すぐ払えませんがいつか必ず払いますのでお願いします!」


 ブラッドはシンシアに向き直り、仮面の中で呆れた表情を浮かべながら答える。


「俺は既にお前を弟子だと思っていたのだがな。お前は違ったのか?」


「い、いえ、そんなことは……」


「それに俺は弟子に対価を求めるほど狭量ではないぞ。分かったなら早く行け」


「は、はい!」


 シンシアは屋敷の方へ走っていく。その顔には期待と喜びの感情が全面に出ていた。仮面の中の顔をそれに釣られたようにかすかな笑みが浮かんでいた。

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