第一楽章

第一節

第一小節 「目覚めの朝」

 午前7時30分。ピピピピ…と鳴り続ける単調なアラーム音の無視を試みたが、結局痺れを切らしたのか、1人の少年―符楽森坼音ふがもりたくと―は何とも腑抜けた唸り声を上げて目を覚ました。未だ布団が恋しいのか、身体は起こさずにただただ天井を見つめている。彼の視界は未だぼやけ、天井の模様を識別するのも覚束無おぼつかない。アラームは鳴りっぱなしである。

 しかし、符楽森は突如ガバと飛び起きた。理由は明快であった。突然彼のルームメイト―青中共史あおなかともふみ―が、自前のサックスを演奏しだしたのである。

「朝からなんだよ…ビックリするからやめてよね…」

弱々しい声で符楽森は言った。突然飛び起きた割には、未だ半分眠っている彼の睡眠欲には、甚だ呆れたものである。

「良いじゃんかよ。坼音、俺の演奏好きだろ?」

青中は大人びた垂れ目を細め、無邪気な子供のようにクスリと笑った。

「それとこれとは別…」

そう言いかけて符楽森は、言葉を止めた。そしてハッと驚嘆した表情となり、すぐさま何か納得したように苦笑した。

「今吹いてたの、アラーム音に合わせた即興曲か…流石、天才少年は違うね…」

それを聞いた青中は、先程よりもより一層目を細め、大きな口を開けて笑った。

「やっぱ分かった!?アラーム音の主張はしっかり弱めつつ演奏してたつもりなんだけどなー。やっぱ坼音は耳良いな!」

ケラケラ笑う青中に釣られ、符楽森もクスッと笑う。

「やっぱ僕耳いいよねー。」

符楽森は自慢げに、されど冗談めかしてそう言うと、ようやくベッドから飛び降りた。2段ベットの上から落ちてきたからか、彼の頭にこしらえられた芸術的な寝癖が、ビヨンと滑稽に跳ねた。

 符楽森はそいつを二、三度手でポフポフと押して、「今日はそんなに酷くないなー」などと呟きつつ、着替えを持って洗面所へと消えていった。

 10分ほどして彼が洗面所から出てくると、その頭部からはのダイナミックな芸術は消え失せ、代わりに男子としては少し可愛らしくもとれる髪型が、ちょこんとそこには鎮座していた。身長や風貌、顔立ちも相まって、パッと見女の子にも見える外見が、符楽森のひとつの特徴なのであった。

「準備できたか。じゃあ、飯食いに行くぞ。」

「りょうかーい!」

青中の提案に合わせ、2人はその場を後にし、学生寮の食堂へと向かったのであった。


 *


阿保路音あほろおん学園」

符楽森や青中を含めた多くの学生が通う全寮制の音楽学園の名だ。「音楽の路を守り育てる」の意味で付けられたこの学園の名であるが、「守り育てる」の意味を担うのが、あの「阿呆」と同じ音で、見た目も似ている「阿保」であるが故に、部外者(特にライバル校の生徒達や教員達)から、ここの生徒は総じて「アホの子達」などと呼ばれたりしている。しかし、当の阿保路音学園の生徒は、決してアホな子達などではなかった。むしろ、将来有望な「出来の良い子達」が、この学園のほとんどを占めていた。特に、高等部から入ることの許される、成績上位者のための寮「ジングシュピール寮」の生徒には、プロ顔負けな実力者が多数在籍しているのであった。

「にしても、今日から俺らどこの寮に入るんだろうな。」

朝食の半熟の目玉焼きの目玉を潰し、トロリと出て来た黄身を、添え物のソーセージに絡めながら、青中は言った。

「”登竜門”の結果で決まるんでしょ?僕はジングシュピールは無いかな…」

「筆記がダメだったって言ってたもんなー。」

中高進学審査テスト。通称「登竜門」。筆記、実技それぞれ100点満点、合計200点満点のテストを行い、その合計点数が80点を超えれば高校に進学出来るというテストが、この学園にはあった。小中高大とエスカレーター式で進学できるこの学園だが、このテストのお陰で大半の生徒は高等部に進学出来ずに消えていくのである。それ程に、このテストは難しかった。

「次の所属寮って8時半頃に発表なんだよね…怖くなってきた…」

符楽森は深い溜め息をつく。現時点でこの学園に残っている彼は、勿論「登竜門」を突破した生徒に間違いないので、特に心配することも無さそうだが、実際そうでないからこのような深い溜め息をついたのだろう。

「お前、音原おとはらと同じ寮になれなさそうで怖いのか?」

符楽森の不安を悟ったのか、青中が言った。

「うん…ずっと同じ寮だったからさ。離れ離れになるのはちょっと悲しいっていうか…」

 ―音原琴音おとはらことね―。成績優秀でルックスも可愛らしい、まるで漫画の主人公のような天才少女の名である。彼女は符楽森の幼馴染であると同時に、彼の意中の少女であった。

「音原は絶対ジングシュピールだもんな…。ま、一緒の寮になれなかったとして、それはお前の努力不足だろ?後悔しても無駄だ。」

青中は、慣れた手つきでオムレツをトーストの上に乗せながらそう言った。

「共史ってたまにキツイよね。」

符楽森は青中に不貞腐ふてくされた目を向け、食べかけのトーストを口の中へ無理やり押し込んだ。

「まーそう腐るなって…俺も言い過ぎた。ごめん!」

青中はパシッと顔の前で合掌し、ケラケラと笑いながらそう言った。符楽森は一瞬顔をしかめたが、まあ別に良いけど、と呟いた。その顔からは、先程まであった憎悪の色は消えていた。

 2人が朝食をたしなむこと数十分、突如食堂内に放送のチャイムが流れた。途端に生徒のザワザワとした喋り声が消え、シン…と食堂内に緊張感が走った。放送はこう続いた。

「全校生徒に連絡します。5分後、”トッカータとフーガの塔”前の噴水広場にて、皆さんの次に所属する寮を掲示します。速やかに所定の場所に移動して下さい。繰り返します…」

「おっと、いよいよか…。行くぞ、坼音!」

「う、うん…。」

2人は軽く言葉を交わすと、速やかに食器を片付けると、食堂のおばちゃんの「気をつけてねー」という声を背に、急いで食堂を後にしたのであった。


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