湯気の向こう側で・中編

「んん~、美味しいわねぇ」

「あっ、それ僕のだよ!」

「そっちにまだあるじゃない」


 日が暮れる頃にはみんなも帰ってきて、宿の美味しい晩ご飯に大騒ぎだった。お刺身から始まって、広いテーブルにはお鍋やてんぷら、小鉢もいっぱいだ。

 ぼく達も宿の人がいないところでコッソリ分けてもらったよ。


「へぇ、こうなってるんだな」


 タカヤにくっついて覗いてみると、部屋の奥には露天風呂があり、脇にはペット用の風呂桶が置かれていた。


「ナオ、入るか?」

「にゃあ」


 風呂好きのぼくは色々な効能があるらしいお湯をなみなみと注いで貰った。う~ん、あったかくて気持ちいいなぁ。

 お湯が苦手なユキは、湯気を浴びながら前足でちょいちょいとお湯をつついて遊ぶ。


 ここまでは、ちょっと特別で、だけど、どこにでもある普通の旅行だった。



 普通でない出来事は、その日の夜。全員が寝静まった頃に起きた。

 最初に気付いたのはユキで、部屋の隅で寄り添って眠っていたぼくの顔を舐めて起こした。


 どうかした? 慣れない場所だからよく眠れなかった?

 でも、そうではないことはすぐに分かった。窓際がぼんやりと明るかったからだ。

 ……うん、月明かりじゃなさそう。だって、


「ナオさまですね?」


 月や星は喋らないからね。……喋らないよね?

 ぼくは窓際の光に向かって「君はだれ?」と問いかけた。すると、ぼんやりとした光はもう少し落ち着いて――黄色い子ギツネの姿になった。


「私はこの山の使いの者です。お迎えに上がりました」

「お迎え?」

「せっかく再びこの地を訪れて下さったのですから、ぜひお招きしたいと我が主が申しております」


 どうぞお越しくださいと頭を下げられて、ふいに思い出した。この近くにお稲荷さまやキツネが棲む山があって、前に来た時も神社に寄らせてもらったことを。


 子ギツネからは変な感じもしないから、これは正式な招待なんだと思う。ユキにそのことを軽く説明していると、お使いは「どうぞご一緒に」と誘った。


 どうしよう? 声をかけてもらえたのだし、行きたい気持ちはある。

 少し考えて……けれど、「家族を置いてはいけない」と返事をした。


 ここは家でも地元でもないし、今は真夜中だ。ぼくとユキがいないことに気付いたら、タカヤ達はきっと心配して探し回るだろう。

 お風呂でツヤツヤになった肉球でも、置き手紙なんて書けないしね。


 すると、使いの子ギツネはすんなりと言った。


「我が主は、ご家族の皆さまもご一緒においで下さいと申しております」

『いいの?』


 ぼくとユキは目を見合わせ、それから家族を起こしにかかったのだった。


 ◇◇◇


 昼間は賑やかだった町も、ぽつぽつと置かれた街灯だけを残して夜闇の中で静かな眠りについている。

 その中を、三匹と四人は静かに歩いていった。


「ねぇ、本当に行くの? 大丈夫?」


 怖がりのルカがママさんの腕にしがみつきながら言う。


「大丈夫よ。ナオとユキが行こうとするんだもの」

「ふたりだけで行かせるわけにはいかないだろ? みんなで行って、みんなで帰ってこよう」


 とはタカヤのセリフだ。

 一番後ろを歩くショータはまだ眠いのか、欠伸あくびをしながら目をこすっていた。


 子ギツネは足を止め、旅館が立ち並ぶ通りの隙間に目を向ける。その先には石段があり、奥へ奥へ、上へ上へと続く。

 案内がなければ見落としそうなほどの細道だった。


 ネコの目でそうなのだから、人間には真っ暗闇に感じられてもおかしくない。

 お使いもそれを察して「コーン」と一声鳴いたかと思うと、体から放つ光を強くして道しるべの役を果たした。


「あぁ、やっぱりお稲荷いなりさんだったのね」


 ママさんが言い、みんなも暗い足元から顔を上げる。

 そこにはひっそりと鳥居が建っていて、くぐって更に歩けば、今度は小さなおやしろが姿を現した。



 〈つづく〉

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