第10話

 6月の雨の日。街を歩いていたキャンディに、トラックが突っ込んできた。いつもなら家にいる時刻に、なぜそこにいたのか。帰る場所を見失い、さ迷っていたのか。それは今もわからない。

 派手な激突音と悲鳴は、 1ブロック先にいた俺の耳にも強く響き―その瞬間、嫌な予感が神経という神経に走り、心臓が跳ね上がった。強い不安に駆られ、音のほうへと走り出さずにいられなかった。


 野次馬を押し分け掻き分け前に出た俺の目に映ったのは、仰向けに倒れ、苦しげな呼吸いきをしている、キャンディ!! 嘘だろ? 信じがたい思いで、がくがくと震えもつれる足を叱咤して近づき、傍らに膝まずく。

 ―左手と左足が、無い? 喉が、ひゅうっと音を立てた。


 キャンディ、あんたの足は、どこ? 可愛いパンプスを履いて、水族館デートするはずだろう? キャンディ、あんたの左手は? その薬指に、『永遠の誓い』を煌めかせるんじゃなかったのか?


 俺は、おびただしい血をどうにかして止めようとした。もう無駄だと、頭ではわかっていたけれど、そうせずにいられなかった。こんな状態では、意識はもう混濁しているはず。なのに、キャンディは目を開けて俺を見上げ、あの笑顔を見せて言ったんだ。

「ああ、ユキ! あたし、独りぼっちでいかなくて済むのねぇ。

 あたし、あたし、運がよかった!」


 あの人に、よろしく伝えて―

 最後の瞬間に、彼女の中で何が起きたのか。キャンディは俺を思い出し、あいつを思い出し、その名を呼んで、逝った。

 待って! 待ってよ! ねえ!! 引きつった呼吸いきで叫んでも、その瞳はもう二度と開かれなかった。視界が歪む。息が継げず、酸素の足りない頭がくらくらした。



 俺が本当の息子ならよかった。弟でもいい。年上、いや、せめて同い年だったら。そしたら、彼女を守れたかも。もしも、なんて考えても何の役にも立たないと知ってはいるけれど。

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