12-3 空言


「『神人しんじん』……異界の神の欠片? あらゆる魔石の支配者? なんなんだその称号は」


 俺を見下ろしていた魔王が、なにか譫言をほざいているが、かまうか。


「立てるか?」

「う、うん……」


 アレクシアを下ろしている間に、マルグリットとキャロラインも飛んできた。


「イアンっ!」


 聖女が〈飛翔フライ〉の勢いそのままに抱きついてくるのを、抱き返しつつその場で回転して慣性を逃し、足下に下ろす。


「危ねぇだろ」

「えへへ、ごめんなさい」


 涙を拭いながらも腕を組んできて笑顔を見せる、可愛い。

 一方で少し距離を置いて着地した魔女は、いぶかしげに眉を寄せていた。


「キミ、本当にイアンかい? 魔力の質が、まるで違う」


 おっと、さすが大賢者、変化した魔力を初見で感知したか。

 だけど今は、仮面を取って顔を晒すわけにもいかないし、言葉で納得してもらうしかないな。


「正真正銘のイアンだよ。信じられないってんなら──」

「わーっ! こここ、こんなところで、ナニを言い出すんだいキミはっ!?」


 俺たちしか知り得ない、夜の営みでの彼女の弱点を指摘してやると、褐色の肌を瞬時に朱に染めて喚いた。


 さっきの警戒はなんだったという風に駆け寄ってきて、非力な拳で俺の肩やら顔やら、ぽかぽか殴ってくる。

 普段の冷静で飄々とした振る舞いが嘘のような、年相応の少女らしい反応だ。


「イアン、あんた」

「それでっ!? この場に現れたってことは当然、魔王の異能に対抗する策を身に着けてきたんだろうねっ! 装備は増えているようだけど、まさかそれだけだなんて言わせないよっ! 大体なんだいその髪と毛皮っ、いい年して『イメチェン』かいっ!?」


 なにか言いかけたアレクシアを遮って、キャロラインが喚き立てる。『イメチェン』ってなんだろう。

 よっぽどさっきのが恥ずかしかったのか、涙目になって襟巻きを引っ掴んでくる魔女を、俺の腕に絡みついたままのマルグリットがたしなめた。


「ちょっと、キャロ。そんな一気にまくし立てたら、イアンも答えられませんよ。それに白くてふわふわして、素敵じゃないですか」

「論点がずれてるぞ」

「そこはボクも大いに同感だけれどねっ、前の髪や毛皮の色だって嫌いじゃなかったさ、特に尻尾は個人的には前の方が」

「論点がずれてるってばよ」


 聖女の取っているのとは反対側の腕にしがみついてきて、魔女は主張する。

 ああ、この置いてけぼりにされる感じ、変わっていないなあ。


 勇者はなにか考え込むような顔をしていたが、すぐに表情を改め、俺に対し笑顔を見せてくれる。


「それで、どうなの?」

「ああ。問題ない」


 なにを、と聞かれるまでもなかった。

 そうとも、問題ない。俺はもう、ただの足手まといじゃない。


 仮そめの追放を選んだ成果を見せるべく、少女たちに腕を放してもらい、改めて頭上に視線を投げた。

 ぶつぶつと虚空に呪詛を吐きかけていた魔王も、こちらの騒動が一段落したのを感じ取ってか、顎を反らして見下してきた。


 まさか落ち着くまで待っていてくれたとも思えないし、向こうは向こうで葛藤があったっぽいな。

 射殺すような目で、俺を睨みつけてくる。


「相変わらず景気の悪いツラしてやがる」


 紅天羽衣フーリーショールに魔力を通して、飛び上がった。

 神石による増幅も得ている今、瞬間的に発揮できる魔力の量は、以前の俺とは比べものにならない。


 少女たちも、青年も、その速度に驚いたようだ。

 その隙に俺は背中に負った十握凶祓トツカマガハラエを抜いて、両手構えに切り上げる。


「くっ!」


 身をのけぞらせた魔王の顎先をかすめ、弧を描いた切っ先が天を指した。

 よし、俺の力でもこの剣を使えば、ツバサに攻撃が届くようだ。


「てめえ、『動くな』! 死ね!」


 体を操る言葉が、死そのものを伝播させる視線が向けられるが、俺には届かない。

 尺林豻貌シュリガーラを通して視ると不可思議な文字のようなものが体を這い、無数の車輪を備えた巨大な箱が突進してくる幻影が見えるものの、煙のように消えてしまう。


 なにかチリッとした不快感があるけれど、それだけだ。

 未知の言語で話しかけられても意味がわからないように、やつが口にしたのは、俺には意味をなさない空言である。


「効かねえよ」


 不敵に言い放って、十握凶祓を水平に振り回す。

 首筋を狙った切っ先はあっさりとかわされたが、そのまま相手の背後に回り込んで突きを放った。


 尾で迎撃してきたので上昇して避け、反撃を透かす。そして伸びきった尾に対して蹴りを放ち、氷河の足鎧サバトンで表面を凍らせた。

 その蹴り足を軸に身を捻り、背中の羽にも蹴りつける。


「クソがっ! 〈空鎧エアアーマー〉!」


 気流をまとって防御しつつ、俺を吹っ飛ばそうとしたようだ。

 残念だったな、それを見越して装備を揃えてきたんだぜ。


 紅天羽衣で吹きつける風を受け流し、その場に留まり魔王の〈空鎧〉を切り払う。

 まさか呪文まで切り裂かれるとは思っていなかったのか、わずかに動揺する気配が伝わってきた。


 生まれた隙間に格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから、煙玉を放り込む。

 ただ煙を発するだけでなく、有害物質をこれでもかとばかり詰め込んである、自分の作り出した気流の檻の中で悶えやがれ。


「〈焔纏バーニングボディ〉っ!」


 そう思ったのだが、魔王は新たな呪文を発動させた。その全身が金赤色の炎に包まれると、噴き出した煙も焼き散らされる。

 まるで炎の精霊と化したようだ。へたな攻撃は効果がないどころか、こちらが火傷を負う羽目になる。


 この呪文は維持している間ずっと、周辺の空気を燃やし続けてしまうので、呼吸できなくなる欠点があるのだが……ツバサの体が本体ではないのなら、そもそも息をする必要もないかもしれない。


 いったん距離を取るか? 慌ただしい攻防の中でも、地上ではアレクシアが隙を窺い、魔王も彼女に注意を払っているのがわかる。

 敵の目を俺に引きつけて、あいつが不意打ちできれば最高だったのだが、さすがにそれは虫が良すぎたか。


 青い顔をしていたマルグリットも、肩で息をしていたキャロラインも、顔つきを改めていた。

 防戦一方で消耗しきっていたのを、どうやら多少は立て直せたようだ。


 ここから全員でかかろう、そう思って後退した俺の前で、炎が収束していく。

 どうやら〈焔纏〉の維持をやめるようだ、さすがに賢魔女メイガスのように、同時に二つの呪文は使えないか。


 であれば次にこいつがなにをしてくるか、予想はつく。

 そら、余裕ぶって指を伸ばしてきたぞ。必殺の呪文が放たれようとした瞬間、俺はその指先に左手を開いて突きつける。


「〈光穿フォトンピアース〉!」

空間歪曲ディストーション!」


 打ち出された光線は俺の左腕を貫通して、肩から抜けた。

 表面的にはそう見えるが、実際には痛みも怪我もない。


 左手の格納庫手を〈魔具隷従〉で改変しつつ、〈宝箱アイテムボックス〉などの空間を操る魔術を、不完全な形で発動させた。

 装甲の隙間にあるはずの異空間への入口を手のひらに発生させ、その出口を肩の後ろに生み出すことで、光線を体を通さず排出したのである。


 格納庫手はそこまで高位の魔道具ではないため、ただ〈光穿〉を吸い込むだけでは魔術の威力に耐えきれず、腕ごと破壊されてしまうだろう。

 耐えるのではなく、擬似的な穴を開けて攻撃をやり過ごすことに専念したのだ。


 魔王がにやりと笑っている、どうやら攻撃が効いたと思っているようだな。

 誤解を解いてやる義理はない、せいぜい油断しやがれ。

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