4-4 眼鏡


 キールストラが背後に引き連れた面々を眺めると、前衛二人に後衛二人、全員が名の知れた五ツ星以上の強者だ。

 やつのパーティ『山吹党ニーベルング』の主要構成員だが、他の連中の姿は見えない。別なところで待機しているのか、依頼をこなして一時解散したか。


 なおなにか言おうとした“黄金剣ノートゥング”を遮るように眼鏡の美女、ドッシの秘書がアレクシアに歩み寄る。


「お待たせいたしました、管理者マスターがお会いになられます」

「悪いわねキールストラ、話はまた今度」

「いえ、そういうわけには──」


 素っ気なく告げて立ち去ろうとした勇者を引き留めるべく、優男が手を伸ばす。俺がその間に割り入ると、キールストラは微笑を浮かべたまま目を細めた。


「どいてくれないかな、私はアレクシア様にお話があるんだ」

「俺を通せ、ってその勇者様に言われたろ?」


 ちらっと振り返るとアレクシアが心配そうな目を向けてくるので、安心させるように頷き、顎をしゃくって階段の上を示す。

 なお不安げながらも、彼女は秘書に先導され去っていった。


「無粋なやつだな、君は。ええと……」

「イアンだ」

「そうかい、べつに聞いていないがね。ともかく君、支援職ごときが七ツ星たる私を遮り、アレクシア様との大事な話を邪魔するなど、非礼にもほどがあるよ?」


 垂れ下がった前髪を絵になる仕草で払いのけながら、“黄金剣”は蔑んだ目で俺を見やる。


「そもそも獣人セリアン風情が高貴なる勇者に従い、そのそばにはべること自体おかしいんだ。金が欲しいなら私がくれてやる、分不相応な立場に拘泥するのはやめたまえ」

「分不相応ってのは、おっしゃるとおりかも知れないがね。金の問題じゃないんだよ」


 対魔王軍の戦いはどこからか依頼を受けてやっているわけではなく、勇者や聖女の使命として無償で行っていることだ。

 物資の調達や路銀を稼ぐため冒険者として依頼を受けたりはするが、基本的には国や教会、ボニージャの援助頼りで旅を続けている。


 手持ちに余裕がないわけではない。俺がきっちり管理して、なにかあったときのための資金は常に貯めている。

 それでも、目の前のこいつが率いる金満パーティとでは、雲泥の差だろう。


「ああ、ちなみに寄付金はいつでも受けつけてるぜ? 見返りはないけどよ」

「ふざけたことを……!」


 整った顔を憎々しげに歪めたキールストラに、背後に控えていた革鎧の青年が、なにごとか囁く。それを聞いた優男は、はっきりとした侮蔑を相貌に表した。


「はっ。どういう経緯で勇者一行に潜り込んだかと思いきや、お前、懲罰で奉仕しているだけなのか」


 公的にはまだ、そういうことになっているな。キールストラは少女相手に向けていた爽やかなものではない、蔑みと侮りで歪められた嫌らしい笑みで俺に向ける。


 不快な表情だなあ、力で他人を従わせ慣れているやつ特有の、人間には上下の関係しかないと信じ切っている顔だ。

 アレクシアたちがその顔を見たら、絶対にこいつを近づけないだろう。


「ならギルドとかけあって、お前の懲罰を減免するよう口を利いてやってもいいんだぞ? だから」

「仲間に入れろ、ってんならお断りだぜ。今んところ、追加人員は募集してないんだ」


 厳密には、俺の後釜は探していたんだけどな。それも今となっては、なしになった。


「下劣な獣人の、下賎な支援職ごときが! 七ツ星たるこの私に、刃向かうというのか!」


 激昂して怒鳴りつけてくるキールストラ。沸点低いなあ、仮にもこの国いちばんの冒険者だろうに、強者の余裕ってやつが感じ取れない。

 それでもこいつが『超一流』のひとりであるのは間違いないんだ、怒りに任せて腰の細剣レイピアを抜かれでもしたら厄介なので、俺はすっと距離を取った。


 騒ぎに気づいたか、他の冒険者やギルド職員たちもこちらを窺っている。

 顔なじみの冒険者で喧嘩っ早いのが、加勢するか? とでも言いたげにこちらを見ていた。ややこしくなるから、来ないでくれ。


「おい、お前! なにを無視している!」

「そのあたりに、しておけ」


 頭上から野太い声がかかった。背にした階段を見上げると、大岩がゆっくりと転げ落ちてくるかのように、ドッシの巨体がぬうっと現れる。


「ギルドマスター! この下品な男を、なぜ野放しにしている!? 勇者の仲間にふさわしいのは誰だか、わかっているのか!」

「……どうした、キールストラ。お前らしくもない」


 なだめると言うより、むしろ不思議そうにドッシが問う。ああ、こいつのこの怒りよう、普段からこうではないのか。

 はて、となるとさっきの会話で、なにかこいつの気に障るようなことを言ってしまったか?


 経歴や性格に由来する、一見してわかりづらい個人的な禁忌を刺激してしまうことを、俺たち獣人は『尾の先を踏む』と表現する。尻尾に見えない延長部分があって、そこをうっかり踏んづけちまう感じだな。

 俺はどうやら、キールストラの尾の先を踏んだらしい。


「どのみち、うちの支援職に難癖をつけたことに変わりはないわね。悪いけど“黄金剣”、今後一切、あたしたちに近づかないで」


 ドッシが巨体すぎて見えなかったが、秘書嬢とアレクシアもいたらしい。

 階段の手すりを飛び越えて俺の横に並び立った彼女は、冷たい目で優男をねめ上げる。


「あ、アレクシア様──」

「二度は言わないわ。行きましょ、イアン」


 そう言って勇者は俺の腕を取ると、振り返りもせず歩き出す。彼女は彼女で、俺のために怒ってくれているようだ。

 柔らかな胸の感触を二の腕で味わいながらも俺は、ギルドを出る前に一瞬だけ背後を振り返った。


 キールストラは仲間やドッシたちに制止されながら、なお憎々しげな視線をこちらに向けている。

 ある意味で魔物よりも厄介な人間の、刺すような眼差しに、俺はうそ寒いものを感じるのだった。


 * * *


 冒険者ギルドを出た俺たちは、いったん定宿の『角持つ黒馬亭』に向かった。

 徹夜作業をするキャロラインたちを差し置いて、俺たちだけのんびりするのも気が引けるので、夜食を作って差し入れる予定である。


 亭主に言えば材料は分けてもらえるだろうが、折角なので市場に寄って買い出しから準備しよう。

 王都の市場は遅くまで開いているので、こういうとき便利だ。地方だと週に数度の朝市しか催されなかったり、そもそも常設市が存在しなかったりするからな。


 再び認識阻害のマントを羽織ったアレクシアと腕を組み、灯りの魔道具で照らされた市場を見て回る。

 天幕や屋台などが密集して方々から威勢の良い呼び声、食材や料理の匂い、値段交渉のやり取りなどが流れてきた。


 先日キャロラインと訪れた繁華街と同様、“黒烈”を倒したことによる昂揚がまだ維持されているのか、行き交う客は多く市場は活気に満ち溢れていた。

 店先に積まれる色鮮やかな野菜や果物、冷蔵の魔道具に並べられた魚介や精肉なんかも新鮮そうだ。


 食材だけでなく衣類や雑貨、花や薬品なんかを売る露店も多い。日中は働いて帰路にこの市場で買い物する、という生活様式が定着しているんだろう。

 調理済みの料理や菓子を売る屋台の中には、その場で飲み食いできる椅子と机を店外に据え、簡易の食堂と化しているところもある。当然のように酒を供する店もあるのだが、こちらは繁華街に比べれば大人しいものだ。


 冒険者ギルドの待合所で夕食をとるつもりだったのが、キールストラとの揉め事でそうもいかなくなったし、今晩はここで食べればいいだろう。

 魔学舎アカデミーに残った二人は併設された食堂なり、ネスケンス師が手配した店屋物なりで夕食を済ませているはずだ。


「屋台ご飯も久しぶりね」

「そうだな」


 王都以外じゃ夜もやっている市場なんてほとんどないし、この街に逗留するときはもっぱら黒馬亭かギルド酒場だったからな。

 揚げ芋や塩漬けニシン、串焼き肉なんかを頼んで麦酒とともに楽しむ。


 夜空の下で、惚れた女と飾り気のない飯を味わうというのも、乙なものだ。さっきまでむすっとしていたアレクシアも、いつもの笑顔に戻っている。


「外とはいえ、これ着てるとちょっと暑いわね。脱いでいい?」

「騒ぎになるからな、やめておいた方がいいだろう」


 認識阻害のマントの襟をつまむ勇者を、制止しておく。


「今度キャロやネスケンス師に相談して、もうちょっと簡単な変装を考えておくか。帽子とか、眼鏡とか」

「イアンってば本当、眼鏡が好きねぇ」


 頬杖をついて笑う、アレクシア。いや、そんなことはないと思うぞ。

 ドッシの所に行くとついつい秘書さんを目で追ったりしてしまうが、それは彼女が美人だからであって、眼鏡が好きなわけでは……いやしかし、仲間の少女たちがそれぞれに似合った眼鏡をかけた姿を想像すると。


「……本当だ。俺は、眼鏡をかけた女が好きかもしれん」

「気づいてなかったんかいっ」


 がくっと姿勢を崩した勇者が、変な口調で指摘してきた。

 言われてみるまで気づかなかったが、仲間を変装させるとき『ついでに眼鏡をかけるか?』と提案したり、服装に助言を求められ『眼鏡をかけるといいぞ』なんて伝えた記憶もある。


 眼鏡と言えば昔は無骨な鼻眼鏡しかなかったそうだが、現代では蔓つきで縁の細い、洗練された意匠の眼鏡が普及している。誰の功績かと言えば、こういうのは大体、初代勇者の仕業だ。

 なんだろうな、容姿に理知的な印象が加わるのがいいんだろうか。べつに視力が悪い娘が好きだとか、活発な女性が苦手だとか、そういうわけではないんだが。


「あたしたちは仕事柄、かけっぱなしは難しいからね。そういう珍しさがいいんじゃない?」

「なるほど、非日常の象徴か。言われてみれば……」


 冒険者にとって視力が悪いのも、不自由な装身具を強いられるのも、欠点でしかないからな。金はかかるが、魔術で治療する方を選択するだろう。

 古代の呪いとかでもない限り、それなりに稼げる冒険者なら喜捨は賄える。


 それはそれとして、初代勇者が装飾性に優れた眼鏡をわざわざ作り出したのも、きっと眼鏡をかけた女性が好きだったからに違いない。


「人の先祖の性癖を、勝手に決めつけないでよ」

「いや……お前の先祖の変態っぷりについては、世界中でよく知られていると思うぞ」


 やたら露出度の高い女冒険者の格好や、ミニスカートに透け素材、下着の様々な形状。俺が知るだけでも、初代勇者がこの世界にもたらした風俗への影響は過大だ。主に、エロい方向で。

 そもそも『エロい』とか『えっち』って言葉も、異世界発らしいしな。べつにそこは恥じ入ることではない、男女の営みに彩りを与えてくれたことは、今となっては感謝しかなかった。


「そういうわけで、偉大なるお前のご先祖様に乾杯だ!」

「釈然としないなあっ!」


 俺が持ち上げた酒杯に今代の勇者は、憮然たる面持ちで自分の杯をぶつけるのであった。

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