4-2 師匠
クラハトゥ王国の教区を統括する大聖堂の長、大司教アルベルテュス・デ・レーウはすなわち、国の生命樹教徒すべての頂点に立つ存在だ。
しかしその肩書きに反し質素な法衣を身にまとった、人の良さそうな小兵の老人である。
「なるほど、なるほど。事情は理解しました。聖女マルグリット、頑張られましたね」
「は、はいっ」
執務室で俺たちを出迎えたデ・レーウ大司教は、手ずから茶を淹れ俺を含めた全員に振る舞ってくれた後、眼鏡をかけ直して資料に目を落とす。
「しかし、本当に貴女がただけで、魔王軍に立ち向かう必要があるのでしょうか。勇者様のお力添えをするにせよ、各国の兵を率いる形の方が、よろしゅうございませんか?」
まあ、そのとおりだ。実際“黒烈”戦は、そうやって勝利を得た。
少人数での戦いでは猪武者のように振る舞うアレクシアだが、軍勢を指揮する教育も受けている。こと集団戦においてなら、俺やキャロラインよりよほど優秀なのは間違いなかった。
「それだと、また何ヶ月も待たされるでしょう? 今のあたしたちに、その余裕はないわ」
冬の間に準備を整え、春を待って一斉に“黒烈”の根城を襲撃したときとは違う。
魔王軍の本拠地は大陸を横断した海沿いの国で、沿岸諸国以外が戦場に到達するにも時間がかかるだろう。それまでの間、魔物の暗殺者に脅かされ続けるのは勘弁してもらいたい。
「それではせめて、人数を増やされてはいかがでしょう? 司祭や聖堂騎士の中にも、勇者様に同道したいと望む者は多くいます」
「他の面々はご遠慮ねがいたいかな。ボクたちは少人数での行動が向いているし、生命樹の教徒はリットだけで充分だ」
主にキャロラインの魔術に秘密が多いしな。
そのあたりのことは、たとえ教会のお偉いさんと言えども、つまびらかにできない。
「そこです。貴女がたは充分お強い。今となっては、聖女マルグリットが同行する必要はないのでは?」
そうきたか。たしかに彼からすれば、教皇に並び立つ教会の象徴を、危険な旅に連れ回してほしくなかろうな。
「大司教様。この旅は、いと高き生命樹より私が授かった試練です。他の方に代わっていただくことは、けしてできません」
「しかしですね……」
「はいはい、そこまでにしてね。悪いけどリットを置いていくのは論外だし、他の人もいらないわ。あたしたちが必要なのは、各地の教会への紹介状と、各国への根回しだけよ」
なお言い募ろうとするデ・レーウを遮って、アレクシアが要望を伝える。ここへはハンネス王子とは別路線での支援を求めてやってきたのだ、マルグリットを他の誰かと交代させるなんて話は、望んでもいなければその必要もない。
むしろ大司教には、各地の教会で似たような引き留めが行われるのを牽制し、自由な旅を保証してほしいくらいである。
聖女が列聖されてからしばらくは、本当に酷かったからなあ……どの街に行っても歓迎と勧誘が引きも切らず詰めかけて、街中じゃまともに行動できなかった。
教皇が直々に『勇者と聖女の旅を邪魔するべからず』と布告を出すまで、野外生活を余儀なくされたくらいだ。
自分のせいで、と落ち込むマルグリットを励ますのが大変だった。アレをもう一回、繰り返したくはない。
だったら聖女は旅に出なければいいじゃない、という大司教の提案も、当然ながら却下である。
「仕方がありませんね……勇者様、大賢者殿、従者殿。くれぐれも聖女マルグリットの安全と清純をお守りください。間違っても不道徳な行いに巻き込まないよう、お願いいたします」
「だってさ、イアン」
馬鹿野郎キャロラインお前、なんでそこで俺に視線を向けるんだよ。いま人の良さそうな大司教の目に、なんか剣呑な光がよぎったぞ。
「大丈夫ですよ」
にこっと笑ってマルグリットが保証してくれる。なにが大丈夫なのかわからんが、とにかくそれで大司教も納得してくれたようだ。
なお細々とした注意を聖女に与えているが、彼女はにこにこ笑って頷くのみである。
不道徳な行いね……襲ってきた盗賊を殺したり、悪徳貴族の館に火を放ったり、魔王軍の手先になった暗殺者を拷問したりしたな。まあ基本、俺だけがやったことだから問題なかろう。
後はまあ大丈夫だな、本人の言うとおりだ。アレは愛し合う男女の極めて真っ当な営みだからして、不道徳でもなんでもない。ないったら、ない。
* * *
続いて向かったのは魔術師ギルド、通称『
教会や冒険者ギルドと同様に各国に支部を持ち、各地の支部長が選挙の結果、ギルド全体の総帥として立つことになる。
王国支部の長にして当代の魔術師ギルド総帥こそ、魔道具の大家で光学魔術の第一人者、そしてキャロラインの師でもあるヤコミナ・ネスケンスその人であった。
地位には不釣り合いに小さな研究室は左右に配された本棚だけでなく、床のあちこちにも貴重な魔術書が積み重ねられ、様々な魔道具やその材料が散乱していた。
腰かける場所を見つけることすら難しく、俺たちは本や物の隙間に突っ立っている状態だ。
「構築済みの術式で魔石の魔力を直に引き出す、ねえ。相変わらずあんたは、発想がぶっ飛んでるわ」
俺ではなくキャロラインの用意した論文を読みながら、辛うじて確保された机に着くこの部屋の主、通称『七色の魔女』ことネスケンス師は呆れ声を上げた。
深く皺の刻まれた顔に浮かぶ表情も同様だが、その目には隠しきれない好奇心の光が宿っている。もう老婆と言っても差し支えない年齢だというのに、背筋が伸びて覇気があり、洒落っけのある服が似合っていた。
「師匠にお願いしたいのは、この技術の簡略化と恒常化なんだ。今のところボクが術式を調整することでしか実現できていないけれど、師匠ならたとえば、魔力抽出に特化した魔石なんて物を作れないかい?」
「さて。まずは検証が必要さね、生憎あんたほどの天才でないと、この構文は制御できない」
弟子の注文に対し、その師は渋い顔で答える。
俺も彼女の論文は見せてもらったが、さっぱりわからなかった。詠唱の裏でこんな複雑なことをやっていたのか、頭の中はどうなっているんだ。
「とりあえず今日は徹夜だね。アイハラの嬢ちゃん、悪いけど弟子を一晩、借りるよ」
「できれば今日にも、王都を発ちたいんだけど」
アレクシアは顔をしかめた。“白撃”らの襲撃から三日、ハンネス王子やデ・レーウ大司教などお偉方と予定を合わせるために、かなり待たされている。できればこれ以上の時間を使うのは、避けたいところであった。
そもそも調整に一番苦労したのは、このネスケンス師だ。他国の学会に出席していた彼女と面会の約束を取りつけられたのは、今朝になってからである。
「馬鹿お言いでないよ。こんな雲を掴むような話、取っかかりなしで形にできるわけないだろう。老い先みじかい人間の貴重な時間を、遠回りで無駄にさせるもんじゃない」
魔道具の大家ということは魔石の扱いにおいても熟達しているわけで、その彼女をしても要旨だけでは実現不可能なのか。
机の端に積まれた紙束から無造作に一枚を引き抜き、ネスケンス師は弟子の論文を横目にしながらなにやら書き始める。バランスを崩した紙束が倒れてばら撒かれても、おかまいなしだ。
キャロラインの方も気にした風もなく机に身を乗り出し、総帥の書き物を興味深げに眺めている。相変わらず雑な師弟だなあ……仕方なく、俺とマルグリットで散らばった書類を集める。
アレクシアは興味をなくして、積まれた本の上に置かれた天球儀のようなものをつついていた。
「……なるほどね。詠唱速度じゃなく、構成を形作る
「ああそうそう、よくわかったね。さすが師匠」
「あんたは論文の書き方をもうちょっと覚えな、感覚的すぎるんだよ。そもそもここの所だけどね……」
なんか授業が始まってしまったぞ。勝手知ったる風に本棚から資料を抜き出して示し、キャロラインも自説を補強していた。
マルグリットは興味があるのか、机の端から顔を覗かせ、ふんふん頷いている。人見知りの彼女だが、ネスケンス師には後衛職として色々教えを受けたことがあるため、それほど物怖じせず接することができるようだ。
手持ち無沙汰になった俺はあちこちに積まれた書物を整え、本棚の空きスペースに詰めていった。
この手の研究者は勝手に物を整理すると怒りがちだが、総帥はただのずぼら人間なので、そういうことを気にしない。分類さえ理にかなっていれば、それでいいのだ。
アレクシアにも手伝ってもらって部屋を整頓していたら、ようやく納得がいったのかネスケンス師から声がかかった。
「
聖女と魔女も、そろってこっちに顔を向けている。ああそう、君らが検証につき合うのは確定なんだね。
「俺は他にも、手配することが色々あるんだが……」
「終わり次第、解放してやるよ。その後で動きな」
徹夜で働けってか、酷い婆さんだ。
まあひととおりの準備は終わっていて、あとは王子や大司教の了承待ちだった件ばかりだから、なんとかなるけどよ。
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