第3話 青白い光は命の灯火のように美しく、消え果てた

「おい、待ってくれってば」


 太い木の幹を飛び越えて、頭のほぼ上の巨大蜘蛛の巣をよけて。もうどれくらいこうして少女の後を追っているのだろうか。

 

『私、これから死にに行くの。だから、駄目』


 悲痛そうな顔でそう言って、彼女は僕の前から立ち去ろうとした。


 ただの少女が抱くには大層すぎる感情に、僕は一時呆気に取られたが、少し木の向こうに消えていく少女の姿を視界に捉えた瞬間、思い出したのだった。

 

 このまま彼女を見失えば、本当に遭難しかねないと。


『待ってくれ』


 そういって駆け足で彼女を追いかけて、今に至る。


「死ぬだなんて、思いなおしたほうがいい」


 一向に立ち止まる気配のない彼女に、僕は諭すように言った。


「僕も精神的に参ったことが何度もあった。死にたいと思ったことだってあった。でも、大切な人の……そう例えば、両親の顔を思い出したら、その気も削がれた。親が必死に産んでくれたのに、その命を簡単に捨てるだなんて、そんな事出来ないって。それに生きていれば、いいことだって少しはあるんだ」


 なんとしてもこの森を抜けたい僕は、必死に彼女を諭した。


「親ならもういないよ」


「うっ」


 どうやら下手を打ったらしい。思わずうめき声が漏れた。


「親だけじゃない。弟も、友達も。どんどんいなくなっていく」


 辛い当時を思い出したのか、少女の声は震えていた。僕は思わず同情していた。ただ、すぐに目的を思い出す。僕とて、生きるために引くわけにはいかないのだ。


「オリバー。あなたもその一人だったんだよ?」


「え?」


「……何も覚えてないんだね。もしくは本当に、別人なのかな」


 だから、別人なのだ。

 

 ただ僕は、口を噤んだ。真実を言うことを躊躇った。雲行きが怪しい。


「だとしたら、本当に戻るわけにはいかない」


 やはり。

 どうやら僕がオリバーという男でないことは、彼女にとっては死を選ぶ更なる後押しになってしまうらしい。

 

「ど、どうしてそこまで頑ななんだ」


 まとまらない思考に苛立ち、僕は髪を掻き毟りながら苛立ちを孕んだ声で言った。


「若いのに、人生に絶望するのはまだ早いだろう!」


 遂に、僕は怒鳴ってしまった。


 少女は、


「私だって、生きれるなら生きたいよ」


 嗚咽交じりに、囁いた。


「でも、そういう運命なの」


「運命? 死ぬ運命だって言うのか?」


 少女は怒気を孕む声の僕に背を向けたまま、ゆっくりと頷いた。


「そんなものありはしない。そう思って、自分の心境を助長しているだけだ」


「そりゃ信じられないよね。でも、本当。順番が回ってきたの」


「順番だと?」


「そう。言ったでしょ。両親も、弟も、友達もどんどんいなくなっていくって。皆、同じ病気で死んだの」


「病気?」


 もはや僕は、ただ少女の言葉をオウム返しすることしか出来なくなっていた。


「そう。だから私は、村に戻らないの。猫と一緒だよ。猫も、死に際大切な人の前から姿を眩ませるでしょう? 大切な人に辛い思いをしてほしくないの。私も、一緒」


 少女の独白に、僕の脳は余計混乱していた。

 

 突如、ずっと止めることがなかった少女が、足を止めた。少女の眼前を覗くと、大きな洞窟が目に入った。


「見覚え、ある?」


 少女はこちらを振り返って尋ねた。


「いや、ない」


「そう」


 僕の答えに、少女は大層寂しそうにしていた。


 少女は、洞窟の中に足を踏み入れていった。勿論僕も、後を追うように洞窟内に入った。

 

 洞窟は、そこまで深くなかった。数m歩くと行き止まりにたどり着いた。まだ、外の陽の光も届いている。


「ここはね、あたしと、リリーと、オリバーの秘密基地」


「なにもないな」


「あなたは色々持ち込みたかったみたいだけどね。ものぐさだったから、掃除しないでしょ。不潔って何も置かせなかったんだよ」


「そうかい」


 自分のことではないのに、なんだか馬鹿にされた気分だ。僕はそっぽを向いた。


 すると、頬にぬくもりを感じた。気付けば、少女は僕に近寄っていて、頬に手を翳していた。


 急接近した少女に僕は頬を染めた。僕は女性経験に乏しかった。


「やっぱりあなた、オリバーよ」


「だ、だから……」


「ううん。オリバーよ」


 少女は、優しく微笑んでいた。


「最後にまた会えて、良かった」


 少女の笑顔に見惚れていると、少女はゆっくりと離れた。


「リリーはまだ、いるからね」


「……誰だ、それ」


「すぐにわかるよ」


 核心を突かない少女に苛立ちを覚えた。

 

「お前、いい加減に説明を……っ」


 突如、少女の右手の甲が光った。


 まるで太陽のように眩しくて、僕は目を細めた。かすかに、少女の右手の甲を覗くと、蝶の模様のような痣が青白く光っているのが見えた。


「またね」


 少女の微笑を残して、青白い光はどんどんと強くなっていった。目を閉じて、右手で覆っても、瞼の裏が明るかった。

 

 しばらくすると、青白い発光は収まったようだ。


 目を開けると、小さな青白い光の残滓が、名残惜しそうに洞窟内を彷徨っていた。


「綺麗だ」


 僕は、青白い光に魅了されていた。まるで誰かの命の輝きのように光るそれは、洞窟内を一通り彷徨うと、僕の方に近寄った。


 僕がその光を掴む前に、その光は少しづつ光を弱めていき、消え果てた。

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