第8話 注目(3)アイドルとひよこちゃん
スーパーの催事場で新人アイドルのミニライブが行われるというので、それに別室が借り出されていた。どうも想定していたよりも人が集まりそうという事らしい。
アイドル目当てに集まっているのは中学生から30代くらいまで。それよりも小さい子のお目当ては、急遽増えた共演者、人気アニメのキャラクターを模したひよこの着ぐるみだ。その子供のために親がついて来ているし、買い物中にライブを知って足を止めた客もいる。
「凄い混雑具合だな。スーパー中の人間がここにいるんじゃないか?今なら売り場もレジもガラガラなんじゃないのか?」
湊は、高さ20センチ、畳12枚分の舞台を囲む観客を見ながら言った。
湊達別室の人間は、この舞台の左右に分かれて、客の方を向いて立っていた。
「アイドルの方は新人ながら、まあ、アニメの主題歌を歌っていて人気が出だしたようだしね。後、3日前のブログで話題になって、人気急上昇らしいし」
それが、急遽人手を増やさなくてはならなくなった理由だ。
「ふうん。素人にしか見えないのにな」
言う湊に、涼真は釘を刺す。
「言うなよ、絶対にそれを言うなよ」
「言うか」
「ひよこちゃんの人気もすごいよな」
「子供だけでなく、大人にも人気があるみたいだしな」
言って、チラリと横目で舞台を見た。
文化祭クオリティのアイドルがニコニコしながら歌い、その横でひよこが、手を振っている。
「わからん」
呟いて、湊は目を客の方に戻した。
と、その感覚がくる。背中がチリチリとするような、空気が急に尖ったかのような、そんな感覚。これは、湊が過去に経験させられた出来事が原因で身に付いた勘だ。悪意、危険を感じ取ると、こうなる。
湊は意識を集中させて、その出所を探った。
どこだ、誰だ、何をしようとしている――?
信者の如くアイドルを見つめる観客、ひよこに釘付けの子供達、子供のそばにいる親、立ち止まって眺める買い物客。
(いや、違う。そっちじゃない)
湊は、舞台へ目をやった。
アイドルとひよこが、同じ振り付けの簡単なダンスをしている。手をふり、上げ、体を揺すり、両手をギュッと縮めて屈伸したかと思うと片手を突き上げ、近付いて――。
「おい!?湊!?」
湊は舞台に飛び出し、全員がそれを目を丸くしてただ見ていた。
湊はそのままひよこの片手を掴んで足を払って転がし、手を背中に捩じり上げた。すると、カランと音を立ててナイフが捩じり上げた手から落ちる。
それで辺りには、悲鳴と怒号が飛び交った。
ミニライブは中止となり、観客は散って行き、代わりに警察が来た。
着ぐるみに入っていたのはアイドルの元カレで、歪んだ独占欲から、アイドルを刺殺しようと思ったらしい。興奮していたが、大人しく警察に連行されて行った。
「子供達が、ひよこちゃんにトラウマを抱えないといいわね」
雅美が気がかりそうに言った。
「でも、よくわかりましたね。ナイフ、着ぐるみの先に開けた穴から出てなかったんでしょ、寸前まで」
悠花も目を丸くしている。
「いや、その前に、何で舞台の方を見てなかったのに?」
涼真も不思議そうに訊く。
「……勘?」
「勘、ですか」
湊は頭を掻いた。説明は難しい。
「まあ、ケガ人が出なくて何よりだったな。助かった」
本来ここを受け持っていたチームのリーダーがそう言って、
「また頼む」
と笑って離れて行った。
「帰りましょうか」
雅美が言って、別室も引き上げる事にした。
帰り着き、報告を上げて一休みしていると、庶務課社員が小包を持って来た。
「篠杜 湊さんに届いていました」
見ると、柳内警備保障秘書室 篠杜 湊様、となっている。
「差出人はなしですか」
「ああ、そうですね。
ハンコお願いします」
湊はそれを机の上に置いて、引き出しからハンコを出し、受け取り票にハンコを押した。
他の皆も、興味津々でそれを見ている。後でどこかで一人で開けるという選択肢はなさそうだ。
大きさは、目覚まし時計くらい。重さも大したことはない。耳を付けてみたが、音はしない。取扱注意、というシールが貼られている。
カッターを使って、そっと包装紙のセロハンテープを剥がし、包装紙を剥ぐ。出て来たのは、緩衝材に包まれた小箱だ。その緩衝材を丁寧に取り去って行く。
「意外と丁寧なんですね」
悠花が言った。
湊と錦織は、どこか緊張した表情だ。
そして、箱を慎重に開けると、中には腕時計の箱があった。
それを静かに出し、数秒眺めてから、湊は溜め息をついてふたを開けた。
「うわあ、時計だ。高そう」
涼真が羨ましそうな声を上げた。
ブルガリの高級腕時計だった。
カードが付いていたので、それを取り上げ、広げる。癖のある見覚えのあるフランス語が、綴られていた。
就職おめでとう
わたしのカナリヤへ愛をこめて
湊はそれを放り出すようにした。
「何ですか?お祝い?凄いですねえ」
「写真でしか見た事無い!」
悠花と涼真が興奮しているそばで、錦織が気づかわし気な顔をしていた。
「就職祝いらしいけど。わざわざこんなの……」
溜め息をついて、湊は時計を見た。
「就業時間だ。帰ります」
「はい。お疲れ様でした」
錦織はにこにことして応え、涼真と悠花も荷物を片付け始めた。
そして涼真と悠花も帰って行くのを見送り、雅美は錦織を見る。雅美は、フォローの必要がある事も考え、詳しい事は抜きで、湊が柳内の甥で、湊が家族と上手くいっていないとは話してあった。
なので、雅美はこの腕時計が、家族の誰かから贈られた物であると考えているだろうと、そう錦織は思った。
「難しいものですね」
そう言うと、雅美は痛みを堪えるように頷いた。
「家族は、一度こじれれば難しいものですよ」
雅美も、性同一性障害を告白して以来、家族とは疎遠だと聞く。
「無理に合わせなくてもいい。残念ではありますが、それで無理を強いられるのであればね。
では、私も失礼しましょうか」
こうして、本日の別室の業務は終わった。
廊下へ出ると、錦織は笑顔を引っ込め、考える顔になった。
「この事を知れば、それ見た事かと西條が公安を貼り付けかねないな。オシリスめ。余計な事をする……」
錦織は深い溜め息をついた。
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