◆Episode.27 独り言◆
「舞台から飛び降りる気で、か......」
ぽつり、と
机に突っ伏していたために、周りは見えていない。だから、後ろに彼がいることも知らなかった。
「何だって?」
「うわっ、市村!? なんだよ、いるなら言えよ」
「いやさっきからいたよ。お前が気が付いてなかっただけだって」
「え、マジで。ほんとに気が付かなかった」
「はぁ、それじゃまるで俺が存在感薄いみたいじゃん」
「薄いだろ」
「薄くない!」
樫村と市村は、互いに親友だと誇ることができるような友情を持っている。少なくとも、樫村から市村に対しては、友愛の感情を持っていた。
「ていうか樫村、何をそんな憂鬱そうにしてんだよ。お前らしくない」
「んー。まあおれだって考えることはあるんだよ」
「楽観的にもほどが過ぎるお前にも?」
「楽観的にもほどが過ぎるおれにも!」
樫村は後ろの席に座る市村に改めて向き合い、自分の心の内を吐き出す。
「おれにも考えたいことはたくさんあるのだ! 音楽科歌唱コースに進んでいるとしてもこの先の未来が暗いとか今の成績じゃ推薦やばいとか今の成績じゃ受験がやばいとか今の成績じゃ卒業がやばいとか!」
「未来真っ暗すぎだな」
「いや、さすがに卒業は嘘だけどさぁ。そんでもちゃんとした音大に進みたいとか思ったら歌唱の成績はともかくとして、楽器と楽譜・作曲の成績がやべーの。マジで。ほんとに。んもー、やんなっちゃう」
「唐突なオカマキャラやめろよ。笑っちまうだろ」
はは、と市村は軽く笑う。
「しかし、進学ねえ。つい昨日もそんな話、したばっかだよ。まあ俺たちにはまだ早すぎるような話だったけどさ」
「マジで? 誰とどんな話したん」
「大山先輩知ってるよな、同じ歌唱コースだもん。あの人がちょっと相談しに来てさ。いろんなところから声がかかってるけど、自分は音大に進みたくて、でも堅実な人生送りたくて、なんだか、なー......かし、む、ら?」
市村の語尾が尻すぼみになる。樫村の表情が鬼気迫るものになっていったからだ。
恨み、妬み、嫉み、怒り......いずれとも取れない、暗く湿った、煮えたぎるような嫌な感情。樫村の顔に
「か、樫村?」
市村の戸惑った声に、はっとして、樫村はいつもの楽観的な表情を取り戻す。
「えっあ、悪い悪い、なんでもねーよ」
にこりと笑った様子はいつもの樫村の姿だ。笑って悪い空気をかき消そうと、片手をひらひらと振って見せる。
普段通りに戻った樫村の姿を見て、市村は安心する。
「何だよ、驚かせるなよ」
「だから悪かったって。てういか、そういうお前はどうなんだよ、成績とか進路とか」
「あー、はぁ、まぁ」
市村は自分の成績を思い出す。「ひの、ふの、み......」と自身の単位を数え、さらに出席日数から試算をした。
「学校によっちゃ推薦いける感じかな」
「かーっ! うらやましーっ!」
「いや、普通だろこんくらい」
「いやいやいやおかしいってマジで。お前さー全然、必修の授業とかサボってるじゃん? なのに何でそんなに成績いいんだよ」
「そりゃーまぁ」
当然と言えば当然の結果と言えた。理宮のもとにいるときは、だいたい自習に身を浸している。理宮の方もそれを許し、ときには古典や英語など市村の苦手科目を手伝ってくれることもしばしばあった。
しかし市村は、それをおくびに出すつもりもない。
「俺の実力っしょ」
「なんだよぉそれ!」
「ははは、俺は意外とやる男なのだ」
「ヤる男? まーいやらしっ」
「どうしてそうなる!?」
「冗談だよ、マジで。信じるなってそんなこと」
こうやって同級生と仲良くする行為が久々だ、と市村は感じた。事実、その通りだった。多くの生徒があつまる教室に行っても、名前がわかる生徒がまばらにしかおらず、話が弾むような生徒は本当に少なく、どこを向いても孤独感にさいなまれていた。
「はぁ、しかし進路ねえ」
「進路だよ、マジで。マジで進路だわ。これから三年になるんだから、いよいよ勉強しねーと」
「ていうか、そんなに俺のことうらやましいかねえ」
「そりゃそうだろ。推薦いけるってことはぬるーくここの系列の大学入ってゆるーい大学生活送ってはっぴーでほわいとな会社に入って人生おう歌するんだろ?うらやましい以外の何があるんだ」
「あー。なるほどな」
「もう、ほんとさ」
にこやかに言う、樫村の残酷な言葉。
「憎らしいよ、マジで」
その声に、ノイズが混じった。
*****
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
誰のことも何のことも誰彼構わず万事が憎い。
どうしておれはこんなにもデキソコナイなんだ。
どうしておれはこんなにもナリソコナイなんだ。
何をやってもうまくできない。
何をやってもうまくいかない。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
もう誰も、彼も、何もかも――
*****
憎い。
母が、父が、体罰が、憎い。
僕が何をしたって言うんだ。
女の子の声が、市村の耳に届いたような気がした。
真っ暗な小屋の中で、女の子が夢の中から目を覚ます。
「畜生......あいつら、僕が『××』を嫌って使わないからって、散々にしやがって。あーあ。あーあーあーあ。憎たらしいね。どうしようもなく愚かだ。彼らに同情するよ」
身体に多くのあざがあるのだろう。女の子はあちこちを触って、傷の度合いを調べるようなしぐさをする。
最後にぎゅっと目をつぶり、何かに祈るようにしてから目を開けた。
「僕は、生まれてくるべきではなかったのかな」
そう言葉にした女の子の目に、光はない。濁って、目の前のすぐ先のことさえ見えない、そんな瞳だ。
「あと、一年」
気が付けば、市村の記憶の中の女の子はだいぶ成長しており、背丈も身長も平均以下であるものの、第二次成長期に入っているように見える。
「そうすれば、ここから」
また、女の子はぎゅっと目を閉じる。祈るように。
(ああ、でもこの女の子、『願い』はかけていないんだな)
市村は、ぼんやりと思った。
女の子はただ、自分の行動が万事うまくいくように祈るだけだ。
(それって、××さんに、似て――)
*****
「おい、おい市村!」
「う、あ、はぁ」
「どうしたんだよ、マジ。いきなり机に頭ごつんて。びっくりすんじゃねーか。居眠りするにももうちょいそれっぽいモーション使ってくれよ」
「い、まの」
「おーい? 市村ー? 見えてるかー。ほらほら、みんなのアイドル樫村くんですよっと」
「今の!」
「うわっ」
目が覚めたのは、市村の耳がノイズに満たされたあの教室の中だった。何時間も旅してきた気がしたが、実際に〈眠っていた〉時間は十分程度らしい。
「今の、今の、って何だよ。おれが目に入らんのか。まるでおれが影薄いみたいじゃないか」
「あ、あぁ、悪い」
「いやもうちょっとふざけ倒した応え返せよー! さっきの仕返しみたいなさ」
朗らかに笑う樫村に、どこか影を感じた。それは先ほど見た一つ目の記憶のせいだ。あれは、おそらく。
「樫村......」
「ん、何」
「お前、何か悩んでるのか」
市村がそう、言葉にすると。樫村の顔から表情が消え、感情が失われた。
「なあ。何か悩んでるなら、俺でも誰でも、とにかく話してみろよ。何か力に」
「お前にッ!」
「っ、」
「お前に......何がわかるんだよ......ッ!」
叫んだ樫村の顔は、間違いなく、一つ目に見た記憶に満ち溢れていた感情。
憎しみ。
それに、支配されていた。
「............」
ぎり、と樫村は爪を噛む。
「お、落ち着けよ。俺は別に喧嘩とかしたいわけじゃないからさ。樫村は楽観的なのが持ち味なんだろ?」
樫村は市村の発言に、はっとした。今まで隠してきた仮面を、うっかり脱ぎ捨ててしまった、と感じたのだろう。
取り繕うように、硬い笑顔を浮かべて無理やり笑う。
「ははは、そうだよな。おれは楽観的じゃなくっちゃな」
「お、おう」
そう返事した市村も、どこか不自然な表情をしているのだろう。樫村の笑いの影に、いまだ恐ろしいものが隠れているような気がする。
憎しみは人を狂わせる。これは誰の言葉だっただろうか。
記憶の中の二人の共通点、憎しみ。それに身を浸した彼らは、どうなるのだろうか。
「あはは」
その日から、笑う樫村の顔から憎しみの影が薄れることはなかった。
【Continue to the next Episode】
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