第4話 百舌鳥区留置所
大迫小夏はここで明日を待つ。
簡素な造りだ。鉄格子には目の細かい金網が張られている。机も椅子もない狭い空間に、彼女ともう1人女性がいた。どこかの事件の被疑者だろう。一言も言葉を交わしたことは無かった。21時を過ぎると就寝時間で、静かな留置所はさらに深く静かさを増す。洗面所の蛇口が締め忘れているのだろうか。水滴の音がポタリ、ポタリと落ちる音がその静かさを余計に際立たせていた。
ボタンもファスナーもない。イヤリングも髪留めもない、質素な姿で、大迫、もとい『溺愛』はうずくまる。
吐く息は白い。留置所の寒さは心も身体も芯まで凍えさせた。
「今頃みんな、どうしてるかな」
口の中で言葉を飲み込む。ここでは私語は厳禁だ。取調室で聞かれたことだけ話す。ここでは人として生きるほとんどの行動を制限される。
罪を認めて楽になろうか。彼女が犯した罪は計り知れない、数えきれないほどの人を殺した。ここで裁かれようとしている罪は彼女にとって冤罪なのだが、それを調べる彼らにとってその冤罪を晴らすことはできないに等しいだろうことも彼女はよく分かっていた。
彼女をこの留置所に入れた事件は、トリックルームで扱われた事件。その事件は、極上の謎を銘打っている。市井の警察では歯が立たないだろう。
そう、彼でなければ。彼ならば、彼女の無実を証明出来るはずだ。
彼女の頭には、一人の参加者が思い描かれていた。
栗色の長髪、女性のようななで肩。一見頼りなさそうだが、参加者の中でも推理力では目を見張るものがある、彼だ。
「どうしてるかな……」
彼女の思いは、彼女の愁いは、彼には届かない。
◆
22時35分。
百舌鳥区留置所付近にタクシーが停まる。
「ちっ。なーにが車で15分だよ」
「たっぷり30分ほどかかったな」
「サンキューな! あの薬のおかげで車酔いしなくて助かったぜ」
「あぁ、あれか」
『怠惰』はポケットから飴を取り出した。
「あれ、ただののど飴だったんだよ。単純で素直な君が『酔い止め薬だ』と思い込めば、よく効くだろうとは思ってたけどね」
「なんだと……!」『正義』の手が背中の竹刀袋に伸びかける。
「酔わなかったんだから良いじゃないか。プラシーボ効果って言うんだぜ。僕のような疑い深い人間には効かない、魔法のようなトリックさ」
「お前の言葉は今後一切信じねぇ」
やれやれ、と『怠惰』は、気にとめず先にタクシーを降りた。料金は先にもらっているとのことだった。
「それよか、アレ、読まなくて良かったのかよ」
「なんだよ、アレって」
「『愛と呼べない夜』っつー問題だよ。アレに俺らの未来が書いてあるっつー話だろ?」
「あぁ、いいよ。そもそもアプリ取ってないし」
「ふん」
『正義』はバタンと、思いっきりタクシーのドアを閉めた。タクシーは何か指示を受けているのか、そこで待機するようだった。
既に消灯の時間は過ぎてはいるが、留置所の門の明かりはついていた。門の近くに人影が見えた。
「あ、どーも」
赤と黒の帽子を被っていた。その特徴的な帽子はトリックルームの裏方、即興演技集団「
「そっか。現場にはこいつらがいるのか。他の
トリックルームのトリックを成功させるためには、綿密な計画と的確な指示を請け負う裏方が必要不可欠である。
直接的な殺人行為は行わないが、それ以外ならば何でも頼めるスタッフが細石だ。
門の前にいたスタッフは、操作していたスマホをしまって『怠惰』たちに向き直る。
「『正義』さんと『怠惰』さんですね。『肉薄』さんから聞いてます。ここで皆さんを留置所内へお連れする任務を請け負ってます、細石の
細石の中でも起爆師と呼ばれるスタッフは、よりテクニカルな任務を請け負っている。細石の一般構成員である『石ころ』よりもランクが上のスタッフだ。
「思ったよりも時間がかかりましたね? 道が混んでましたか? 深夜だから平気かと思いましたが……」
「あぁ、それはな……」
「トリックルームのあの長い階段だよ。あれ上がるのに10分くらいかかるんだよ」
「あぁ……そう言えばそうですよね。私はあの階段があるから、トリックルームには実際に足を踏み入れたことはないんですよ。留置所も今やスロープやエレベーターが入って、随分とバリアフリーになりましたし、トリックルームにも取り入れてもらえるよう、話してもらえませんか?」
「ほんとだよな」
「同感」
「あぁ、そういえば時間があまり無いんでしたね。こちらです」
御垣は門を開けて、先を行く。
二人はついて行き、門を閉めた。
「何か持ち物検査とかはしなくてもいいのかな?」
「いいえ。ここは持ち込み自由ですから」
留置所は本来、ひも状のものや、ボタンなどの持ち込みは出来ないものとされている。ネクタイはもちろん、靴紐、イヤリングも禁止だった。
留置所内で自殺することが出来ないように、だ。
鉄格子の間にも目の細かい金網が張られている。自分の衣服を破って紐を作ったとしても、目の細かい金網には結び付けられない。これも、自殺の防止のためである。
ボタンも、飲み込んで自殺を図った者が過去にいたから禁止となったという。
そのような事情があるため、ネクタイやベルトなどはもちろん、他の凶器を持ってきたとしても、没収されることを見越して、『怠惰』は目に見えて危ない凶器を持ってこなかったのだ。
「普段の留置所ならもちろんそうなんですが、今日この現場では自由です。『肉薄』さんの計画は、その程度の不確定要素じゃあ揺らぎません。それはもちろん私たち細石の裏添えあってのことですけどね」
もちろん、監視カメラは切ってあります。好きに動いちゃってください、と御垣は言う。
なんだ、つまらない。と『怠惰』は不満を洩らした。
「『肉薄』のトリックは見られちゃダメってことか」
「俺がその計画、ぶち壊してやるよ」
「これからの展開は内緒です。お楽しみに、ってことでお願いします」
御垣の後をついて行くと、T字路に差し掛かった。
「私が案内できるのはここまでです」
「分かれ道か」
「君が選ばなかった方を選ぶよ」
『怠惰』は『正義』に先に選ぶように促した。
「二者択一ってことかよ」
「まぁ、虱潰しかな」
そこに理由があったのか、適当に決めたのかは定かではないが、
『正義』は右に、
『怠惰』は左に進んだ。
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