第9話

「そう嫌そうな顔しないでよ」


 整った顔立ちの中に、長い睫毛で縁取られたきれいな黒目が視界に収まる。

 ポニテの似合うクラスメイト。昨日、突然訪問してきた『はるか』ちゃんだった。

 誰からも好かれそうな彼女には、いつもの楽し気な雰囲気はなかった。眉にシワを寄せてこちらを見上げていた。


「いや……、絶対笑われると思って」

「なんで?」

「今日が創立記念日で休みだったのに、登校したからさ」

「でも、そんなこと言ったら私もじゃん」

「確かに……」


 とは言いつつも、そんな間抜けなことをやらかすとは、普段の彼女からは考えられなかった。

 何か裏がありそうだな、とつい身構えてしまった。

 休みの日ならば、ゲームやらアニメやらで時間を有意義に使えるというのに、こんな状況で……って、待て。

 ゲームで遊べる?

 

「今日はとにかく授業はないんだ。俺はもう帰るわ」


 俺は颯爽と教室に戻り肩掛けカバンを手に取ると、下駄箱へ向かうため廊下を歩き去ろうと。


「待て。話はまだ済んでいない」


 するも、それを許してくれない友人がいた。


「おい、手を離せ。お前、こんな絶好のゲームデーに無益な時間を割いていいのか?いいや、良くないだろう?さぁ、一緒に家で娯楽に耽ようじゃないか!!」

「その無駄に高いテンションで、鼻息荒く迫られても困るんだが」

「何言っているんだ!そう思っても乗ってくるのが友人ってものだろうが!」

「そんな無茶振りがあるか!」


 この一言が合図ゴングと化したが如く、俺と友人は押し相撲のような取っ組み合いを開始した。

 二人して押し合いながら力比べをするも、力は拮抗し勝敗は中々つかない。

 そんな中、「二人して仲良いねぇ」と横で微笑む彼女は、さすがに空気が読めていなさすぎると思うが。

 膠着状態が長引き、次第に俺と春人はデコを合わせて力比べを継続する。

 端から見たら、疲れの溜まる無駄なことをしていると思うだろう。


 ――が、しかし。


 これが予定通りなのである。

 

 俺としては、今すぐにでも春人の家でゲームをしたい。

 しかし、容易く実現できるはずの小さなその願望は、現実ではそのが邪魔するせいで叶えられていない。

 俺は少し疑問に思ったのだ。

 いつものこいつならば、俺の提案に条件反射のように乗っかってくる。

 だが、こいつは俺の意見に賛同するどころか、むしろ何か彼女を手伝っているようにさえ見える。

 だからこその、この状況。

 こいつに探りを入れるには、もってこいのシチュエーションだ。

 俺は春人に、小声で話し掛ける。


「(春人、お前はいつもこんなことしないだろう。今日は一体全体、どうしたんだ?)」

「(仕方ないんだよ)」

「(何が仕方ないんだよ)」

「(逆に、お前はどうしてそんなにゲームしたがってるんだ?)」


 ゲームソフトを既に用意しているからなんだが、しかしそれは春人を驚かせるタイミングで言いたい。少なくとも今じゃない。


「(それは少し言いづらい)」

「(なら、俺からもお前に言う必要はないな)」


 こいつ、意地でも言わない気か。

 普段無気力なこいつにしては珍しく、矢鱈と真剣に俺の帰宅を妨害しようとしているようだ。

 お前がそうまでして俺の邪魔をするならば、こちらにも考えがある。

 この手だけは使いたくなかったんだがな。俺から明かせば、こいつも俺を邪魔する理由を吐くだろう。


「なぁ、春人」

「何だ、三嶋」

「お前、登校してくる時何の話をしていた?」

「……もしかして……」


 俺が押し合いを止めてカバンからバイアのソフトを取り出しながらそう言うと、友人はメデューサに睨まれたように固まって動かなくなる。

 と思うと、刹那、その呪縛を解かんが如く、彼はうめき出しながら地面に蹲った。


「お前まで……」

「……どうしたんだよ」

「お前までその手を使うのか!?」

「お前まで?」


 こいつは頭がイカレたんだろうか。

 訳のわからないことを言い出す友人と、その彼を微笑ましげに見つめる『はるか』ちゃんのギャップに、俺は戸惑うしかなかった。




   *




「つまるところ、お前は『はるか』ちゃんに依頼されて俺を引き留めたと」

「あ、あぁ……」


 歯切れの悪い口調で、彼はコクンと頷く。

 俺は春人に硬く冷たいフロアで正座をさせ、説教する親のように腕組みしながら彼を見下みさげていた。もちろん、どちらの意味合いにおいても。

 春人から聞いたところによると、昨日の夜突然『はるか』ちゃんが家に訪れ、彼に取り引きを持ちかけたらしい。

 その取り引きの内容は大方俺の予想通りで、ゲームを譲るから俺を学校へ連れ出して、彼が帰宅するのを阻止して欲しいとの話だった。

 友人も二つ返事でオーケーした訳ではないらしく、最初は渋ったとのこと。

 しかし、俺と『はるか』ちゃんが少し仲違いを起こしてしまったと聞いて、仕方なく承諾したらしい。


「というのは、建前だろ?」

「そんな訳……」

「あるな?」

「……………………」


 この極度のゲーオタが動くとしたら、ゲーム関連しかあり得ない。要は、新作ゲームという飴をしゃぶらせられた訳だ。勝負事でではなく、上手い話で丸め込まれるという意味合いで。

 『青春』のルビに『ゲーム』が当てはまるこの男は、なんとも情けなく縮こまるように正座したまま、俺の表情を窺っていた。


「はぁぁ……、もういいよ。わかってるよ。こういうのは、嵌められた方にも落ち度があるからな」


 そもそも今日が登校日だと思い込んでいた俺自身も悪いし、ほとんど人とすれ違わない時点で察するべきであったのも確か。

 というか、俺はどうして今日は学校があると思い込んでいたのか。

 担任の先生が作っているクラス便りのプリントに、創立記念日くらい書いてある。もちろん、俺はプリントに目は通したし、今日が休みであることは先週聞いていた。

 にもかかわらず、俺の意識で今日が授業日になっていたのは……。

 誰かに言われたからだった気がする。それはいつ、どこで、そして誰に……。

 

 『それじゃ、また明日。学校でね』


 そうか、思い出した。

 昨日、俺の自宅で、彼女に言われたんだ。

 俺は彼女に向き直って、敢えてニッコリと笑ってみせる。


「もしかして、昨日の時点でもう俺は君の策に乗せられていたのかな?」

「うん、正解っ」


 「正解っ」じゃねぇわ。

 元凶たるこのアイドルちゃんは、何の悪びれもなく俺を嵌めたことを肯定した。

 

「というか、登校している人が全然いなかったら、君帰ってたでしょ?で、私と二人きりで会ってもまともに相手してくれなさそうだったから、春人君に協力してもらったの」

「その協力が取引から始まるのは、どうかと思うけどね」


 彼女の虎視眈々と人を動かす才能に少し恐怖を覚えつつ、それでも許せてしまうのは可愛いが正義だからだと自覚した。

 それにしても、どれだけ彼女は手を回して、俺を引き留めようとしていたのか。

 その理由に少し俺は緊張しながらも、しかし、思考は彼女以外の人物に対して八割方割いていた。

 

「用件は何か聞きたいけれども……ちょっと待ってね、『はるか』ちゃん」


 俺は彼女がしたいであろう話を促す前に、教室から学校指定の肩掛けカバンを手に、帰宅しようとしている友人を引き留める。


「お前は一体どこに行く気なんだ?」

「家だが、何か文句あるか?」

「あぁ、文句しかないね。ついさっきまでビクついた振りをしていたお前が、さっきまでのことは無かったかのように、我関せず決め込んで帰宅を敢行しようとしていることを、被害者たる俺が許す訳ないだろ」

「被害者は言い過ぎだろ」

「だとしても、ここは帰るな。俺の休日を奪った罪として、今日は俺に付き合えよ」

「しかし、今日は特大な課題があってだな……」

「あぁ、そうだな。『はるか』ちゃんから譲り受けたバイアをやり込むという重大ミッションがあるもんな」

「わかっているなら、その手を離してくれ」


 離す訳がないだろう。

 だって、今日の学校帰りにでも、こいつの家でその作品を俺は一緒にやる気でいたのだから。


「俺だって、お前にこれを見せて驚かしてやろうと思っていたんだぞ。それに、お前このまま帰ったら、ソロプレイする気満々だろ。そして、一番許せないのはな——」

「なんだよ」

「――お前は俺よりも、ゲームを優先させたんだなってことだよ」


 『はるか』ちゃんから話を持ちかけられて、俺を嵌める側として動いたということは、つまるところ、そういうことだろう。


「いや、まぁ、確かにそうなるかもだけど……」

「かも?」

「………………ごめんて」

「まったく……」

「あまり、春人君を責めないであげてよ。私のお願いを聞いてくれただけなんだから」

「いや、お願いじゃなくて取り引きでしょ……」


 呆れる様に俺は口にすると、なんだかゲームをする気が若干失せつつも、「俺もお前と帰るから待っておけ」と春人の説得を図る。


 ——が。


「それはできない」

「……なんで?」


 春人は、俺のゲームの誘いをきっぱりと断った。

 つい反射的に理由を尋ねてしまうも、それに答えたのは春人ではなかった。


「私達には、これからやることがあるからだよ」

「私達?春人と『はるか』ちゃんでってこと?」

「いいや」

「じゃあ、この三人で?」

「違うよ」

「……なら、『はるか』ちゃん一人でじゃん。私達なんて言うから——」

「三嶋、それは良くないと思うぞ」


 煮え湯を飲まされたような友人の一言に、俺は「えっ」と驚きの声を漏らした。

 

「お前とは物心ついた頃からの付き合いだからさ。お前が悠ちゃんを避けている理由もわかるけど、それは彼女に失礼なんじゃないか?」

「でも、彼女は友達と何かあるみたいだし……」

「そうだね。友達である君と、デートしに行く予定があるかな」


 彼女の口から漏れ出た単語の意味を、俺の脳は処理できなかった。


「……へ?」

「そういうこと」


 俺はやっと気づいた。

 本当の意味で、謀られたことに。

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