20.名前

「別に大っぴらに名乗ったわけじゃないし、内輪での自己満足だった。けど、それこそ世界中に仲間がいて、全員を知ってるわけでもない。顔を見たこともないヤツがほとんどだ。腕自慢しようとしてしくじったヤツが、こっちに罪を押し付けようと名前を出したりしたもんで、裏の世界では意外と広まっちまった。津波黒苗字に引っ掛けたところがなかったわけでもないから、『父』は怒ったけど、証拠なんてないんだ。「誰がそんな分かりやすい名前を付けるんだ」ってしらばっくれて。警察にも何度も疑われて、何度もすり抜けて。そのうち鬱陶しくなった『父』に罪を被せた。その頃には仕事もしなくなり、重度のアルコール依存で身体もガタガタ。刑務所の方が人間らしい生活送れたんじゃないか? 出てくる前に死んだらしい。「あ、そ」って言った俺に顔見知りの少年課の刑事が悲痛な顔で言うんだよ」


 なんて?

 視線だけで問うと、ツバメは喉の奥でくくっと可笑しそうに笑った。


「奴は赤の他人だって。真っ赤っ赤に他人だって。ご両親はどうしたって聞かれても、俺の知ったこっちゃねぇ。あの家が津波黒家の持ち物なのは確かで、DNA鑑定と戸籍なんかで俺がそこの子供だというのは証明されたけど、だから、何だって言うんだ。世の中は大騒ぎしたけど、俺には関係ねぇ。やっと本当に自由になって、外へも出るようになって、でも、俺は普通じゃない。我慢なんて知らない。やりたいことしかできない。皮肉にも、奴に殴られてたことは、抵抗が経験にもなってた。どんどん喧嘩慣れして、そっちの界隈でも有名になりつつあった」


 二本目の煙草も吸い終わると、ツバメは携帯灰皿もポケットにしまって肩をすくめた。


「それが、十六までの俺。……安藤、録音したか?」

『……いいえ』


 久しぶりに、鈴から声がした。


本当マジか。二度と話さねーぞ」

『ほとんどが時効ですし、それについて記録を残すことはしなくていいとユリ様に言われています』


 ツバメは口をへの字に曲げて、アンドゥを見下ろした。

 

「アンドゥ、喋って大丈夫?」

『ここは防音もしっかりしていますから。ですから、ツバメも話す気になったのでしょう?』

「お前んとこのお嬢様があんまり世間知らずだからだよ! 刷り込み受けたヒヨコじゃあるまいし、犯罪者は平気な顔してその辺をうろついてるってことをきちんと教えとけ!」


 突きつけられた人差し指を見ながら、私は首を傾げる。


「でも、お婆ちゃんに会った後のツバメは? お婆ちゃんはどうして「ツバメ」と呼んでいたの? 多少捻ってあるとはいえ、知っていたのならそんな風に呼ばなくても……」

「知るか! 自分のしたことを忘れんなって嫌味だろ!」


 新たな疑問を口にする私にイライラとして、ツバメは今度こそ玄関へと歩き始めた。


「あ、待って」

「だから、連れてかねーぞ?」


 鋭く睨みつけるツバメに違うと首を振る。


「普通の連絡先教えて? ボディガードだもの。それくらい当たり前でしょ?」


 アプリでいいから、と端末を差し出すと、ツバメは崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。安藤のくすくす笑いが聞こえる。


「……なに?」

「……そんなアプリ入ってねーよ……くそっ。どう言えばわかるんだ」

『刷り込みを受けたのかもしれないですね。諦めたらどうですか?』

「諦めるとか、そういうことじゃねぇ! なんだ? もう、いっそ襲うか? そうしねーと分からないのか?」


 ツバメはゆっくりと頭を持ち上げると、ひたと私を見据えた。


「ツバメが、私を襲うの? 初めて会ったときはチェンジって言ったのに」

「へっ。男なんて穴がありゃあ突っ込めるもんだ」


 ツバメはよいせ、と立ち上がりゆっくりと近づいてくる。


「逃げねーのかよ」

「だって……」


 黙っているアンドゥに視線を投げると、同じように彼を向いて、ツバメはため息をついた。


「あんたも、俺を信じてる、なんて言うんじゃないよな?」

『紫陽さんが拒否を示さないのであれば、野暮ですので』

「アホか。ほら、機械はあてになんねーんだぞ」


 ぐいと腰を抱かれて、顎を持ち上げられる。煙草の匂いが濃くて、ドキドキした。


「お嬢さん? 悲鳴は? 声も出ない?」

「え? ううん。やってみないと、嫌かどうか判らないなって」

「……は、ぁ?!」


 思わずのけぞったツバメに、今度は、安藤は声を上げて笑った。


『ツバメ。あなたの負けですよ』

「わら……笑い事じゃねーぞ! 俺は、本気で……これ、まずいだろ?! まずいよな!?」

『桐人様の時は嫌がられていたようですので、それなりに空気は判っていると思いますが』

「くそっ。馬鹿にしやがって。もう、めんどくせぇ。じゃあ、お望み通りやってやるよ」


 強く腕を掴まれた瞬間、安藤が真面目な声を出した。


『アゲハさんに泣かれますよ』


 ぴたりと動きを止めて、ツバメはすごい形相でアンドゥを睨んだ。


「……お、ま……!」

『自棄になってないで、買い物に行ったらどうです? オーナーに信頼されているのは、あなたにとって悪いことではないでしょう? それとも、信頼されてはいけない理由がまだあるのですか?』


 最後に笑いを含まれて、ツバメはカッと顔を紅潮させた。それから、掴んでいた私の手を離すと、いつもの仏頂面で私の額をチョップした。


「バカみたいなことを言うんじゃねぇ! 部屋にこもって、勉強し直しとけ!」


 ズボンのポケットに手を突っ込んで、今度こそ振り返らずに部屋を出ていく。

 さすがに私も止められなかった。


「……連絡先、教えてくれなかった」

『忘れただけですよ。以前のアドレスはもう無効になっているようですから……ちゃんと教えてくれるはずです』

「安藤……」

『はい……紫陽さん、私を安藤と呼んでは……』

「アゲハさんって、誰?」


 シン、と急に静寂の音がした気がした。

 それは、「アゲハ」という名前をどこかで聞いたことがあるような気がしている私の記憶が正しいということだろうか。はっきりと知っているわけではない。でも、どこかで。

 思い出そうとしている私の耳に、くすりと笑う声が聞こえた。


『芸能人にもいましたが、違いますよ? そうですねぇ。特別ですよ? これは、ツバメは教えてくれないでしょうから。ツバメには内緒にしてくださいね? 「アゲハさん」は、ツバメの初恋の人、ですよ』


 芸能人、の方も思い出せなかったけど、“初恋の人”というフレーズが、あまりにもツバメに似合わなくて、私は数秒絶句してしまった。




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