閑話:祖母

 安藤よりも幾分乱暴な出発だったものの、ワープも終えて自動航行に入る頃には、ツバメも冷静さを取り戻したようだった。

 今回は先に酔い止めを飲んでおいたので、気分も悪くならずにすんでいた。

 リビングに移動すると、ツバメが寝ている様子のアンドゥに何やらコードを繋いでいる。

 紐に繋がれた猫は多少不満顔だったけれど、文句はないようだ。


「繋いじゃうの?」

「モニター変わりだ。監視と連絡くらいはできるだろ。俺は休む」


 ひらりと手を振って部屋に入っていくツバメ。

 考えてみれば、早朝から作業して、猫を追いかけ、安藤と大立ち回り。事後処理も早々に慌ただしく出発したので、ゆっくり休む暇など無かった。


紫陽しはるさんも休んできていいですよ。何かあったらお呼びします』

「私は……それほど疲れてないから。監視って、大変?」

『いいえ。動いているのは宇宙船ふねのプログラムですので。モニターを眺めてるようなものですよ』

「じゃあ……少し話していてもいい?」


 アンドゥは瞑っていた目を開けて、あくびをしながら伸びをした。


『構いませんよ』


 私はとりあえず、とコーヒーを入れる。ふと気になって、アンドゥを振り返った。


「アンドゥは、何か食べるの?」


 安藤は普通に食事をしていた。アンドゥも食べられるなら、ミルクでも出そうかと思ったのだ。


『いいえ。この体に必要なのは充電のみです』

「そう……」


 少し寂しいな。


『そういう機能が欲しければ、戻って落ち着いてから新しいボディを新調すればいいですよ。安藤の時のようにはいかないと思いますが』

「そんなお金ないよ」

『ツバメに頼むといいです。この子に未練ありそうでしたからね』


 安藤の爽やかなんだけど人の悪そうな笑顔が浮かんで、私は少し笑った。

 笑ったけど、とても頼める話ではない。


「話し相手になってくれるだけでも、嬉しい……ねぇ、お婆ちゃんはどうして安藤を私に?」


 跡を継がせようという訳でもないのに、こんな回りくどいことまでして。


『……本当に、たいそうな理由ではないんですよ?』


 アンドゥは私の膝の上に乗ると、顔が見えないように丸くなった。まるで、恥ずかしがってるみたいに。


『ちょうど、ユリ様が入院される前の晩のことでした』



 ☆



「相続分はだいたい片付いたかしら。忘れているものは……」


 まだ元気な様子のユリ様は、パソコンの画面を眉を寄せてご覧になっていました。

 入院しても、すぐに良くなって戻ってくるのではないかと、私も思ったくらいです。


「後のものは調子が良くなってからでもいいのではございませんか?」

「ばかね。もう戻ってこないかもしれないのよ」


 ころころとお笑いになるので、それも冗談だと思っていました。

 少し深く息をつくと、ユリ様は私に椅子を勧めました。


「残りはあなただけね」

「ああ。そうですね。ですが……状況を考えると、私はユリ様を継ぐカスミ様に渡るのが一番いいのではないですか?」

「カスミが必要とするのは、崋山院の膨大なデータでしょ」


 私は少し首を傾げました。

 今では、それは私と同義です。

 ユリ様は脱走を企んだ時のように、少しお転婆な笑顔を浮かべました。


「安藤。あなたは誰と仕事がしたい?」

「ですから、カスミ様が一番だと……」


 ユリ様はゆっくりとかぶりを振りました。


「それは効率的な「一番」で、安藤の答えではないわ」

「ユリ様。私は自由意志で選択することはできません。ユリ様の選択に従うのみです」

「……そう。まだ、無理なのね……」


 少し残念そうに呟いて、ユリ様は肩を落としました。


「申し訳ございません」

「謝ることはないわ。勝手に期待したのはこちらですもの。期待させるほどには、成長したのよ。そんな顔ができるようになったのですもの」


 そっと頬に触れ、ユリ様は優しく微笑まれました。


「では、質問を変えてみましょうか。あなたの助けを一番必要とするのは誰かしら」


 私はしばらく個人データと自分で集めた個人の印象を見比べてみました。


「カスミ様は、崋山院のデータを一番上手くお使いになると思います」

「そうね。でも、あの子にはデータがあれば充分ね?」


 確かに。と私も頷きました。利便性はともかく、私がいなくとも問題ないお人です。


「蓮様は余計な情報を持つと、出費の方が嵩みそうですね」

「あなたが上手くコントロールしなければいけない?」

「できればいいのですが、主としての権限を振りかざされれば、止められないと思われます」

「そうね……」


 苦笑を見ながら、続けます。


「紫苑様は、逆に私を必要としない、かもしれません。ご自分で動く方ですので」

「あの子は崋山院を継ぐ気がないから……独立心はいいのだけれど、あなたを任せるのは適任ではないかもしれないわね」


 ほぅ、と息をついて困り顔をしたユリ様に、私はさらに続けました。


「紫陽様なら、お教えできることは沢山ありそうですね。カスミ様には委縮してしまうようですが、成績は悪くないですし、将来有望だと思いますので、今から――」

「紫陽?」


 ユリ様はきょとん、と途中で口を挟まれました。


「紫陽もあなたの人選に入っているの?」


 言われて、そういえば紫陽様はユリ様のお子様ではなかったと思い出しました。


「そうでした。ユリ様がいつも気にかけていらっしゃるので、つい。紫陽様には相続権はなかったですね。では、やはり――」

「面白い選択ね」

「……え?」


 ユリ様は顔をほころばせて、とても生き生きとした目でパソコンに向き直りました。

 私は何一つ選んでいないと思うのですが……


「そうしましょう。安藤は、紫陽に任せます」

「しかし、それでは……」

「もちろん、正攻法では無理です。だから、安藤を殺しましょう」


 嬉々として物騒なことを仰るユリ様は、とても明日から入院なさる病人とは思えませんでした。



 ☆



「……それだけ?」

『はい』


 少し呆然としてしまう。お婆ちゃんが何を考えていたのか、私には解らない。


『「鷹十さんの崋山院はこれでお終い。カスミはカスミの崋山院をつくるでしょう」ユリ様はそうも仰っていました』

「……そう」


 お婆ちゃんは、やっぱり偉大な人だったのだ。




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