第六十三話 え? 嘘だろ? なんで?
客人用の質素なソファに腰かけている俺は、俺にスラムでの生き様を叩きこんでくれた親分と面会しているのだが。
……久しぶりに会った恩師の背後には、とても物騒な方々がいる。
「えへ、けひゃひゃ」
「へへっ、へへへっ」
親分の右後ろには、目がイってしまっている、モヒカンでやせ型の男。
親分の左後ろには、ナイフを舌でぺろぺろしている、スキンヘッドでやせ型の男。
一般人が左右に立っている護衛を一目見れば、財布を放り投げて逃走すること請け合いである。
対照的に、部屋の入口を固めているのは「お花一輪、銅貨20枚」という札が刺さったバスケットを持っている、可憐な女性。ロリータ系の服装をした小柄な乙女だ。
……その札は花で隠れた部分に
少女のような可愛らしい見た目だが、これでも成人済みだ。それにカツアゲの常習犯だったと記憶している。
そんな物騒な人たちには目を合わせず、俺は親分に向き直る。
「で、なんだこりゃ?」
「まあ、悪い話ではありませんよ」
「そうか。書類には目を通したが……あのガキが、暫く見ないうちに書類仕事なんか覚えるようになってなあ」
「公爵家で仕込まれましてね」
「はっはっは、そうかそうか。でだ、アラン」
「はい」
俺が手渡した書類を粗末なテーブルに放り捨て、親分はこちらに剣呑な目を向ける。
「よくもまあ、こんな提案をしてきたもんだ。……お前、何のつもりだ? ここじゃ人身売買はご法度だって言わなかったか?」
「ヒャッハァー!」
「抉りますかぁ!?」
スラムにも色々な人間がいるし、ここに落ちた理由など人それぞれなのだが。
たまにいるのだ。こういう暴れるのが大好きな、真正の社会不適合者が。
親分の言葉に、
俺はいつでも戦えるように身構えたのだが、それを親分は手で制する。
「まあ待て。俺は、何のつもりかと聞いているんだ」
「何のつもり……ヘッドハントのつもりですね。人を雇いに来ました」
一応話は聞いてくれるようなのだが、それにしてはどうも雰囲気が剣呑だ。
「これがタダの雇用契約書で、土木作業の人工を雇いたいってんなら話は分かるさ。だがな……。お貴族様が適当な理由をつけて俺たちを雇うときは、大抵が人身売買か違法な実験の為だろうがよ」
「そこまでどっぷり貴族社会には染まってませんよ。適当って……ちゃんとした理由があるじゃないですか」
親分はちらりと書類に目をやり、そこに記入された、俺が人を雇いたい理由を一瞥する。
「この「魔道具製造のお手伝い、魔法使いなら誰にでもできる簡単なお仕事です」ってのは?」
「書いてあるままです」
「じゃあこっちの、「私兵募集、経験、学歴、出身問わず。先輩方が優しく教えるので、初心者でも安心」ってのは?」
「書いてあるままですよ。いませんかね? 中級魔法が扱えるレベルなら、どっちでも即採用なんですが」
話すごとに親分の顔つきが険しくなり。
終いには怒鳴り始めてしまった。
「中級魔法が扱える人材なんてスラム街にいるわけねえだろ、このスカタン! んなもんが使えるなら、とっととスラムから出て高給取りしてるわ!」
それはそうだと、俺は思わず納得してしまった。
中級くらいまでの魔法が使えるなら、属性問わずどんな仕事にも需要がある。才能を活かして、結構いい暮らしができることだろう。
凄い剣幕で怒鳴られたのだが、しかし親分はまだ言いたいことがあるらしく、紙を一枚捲り更に言い募る。
「で、なんだこれは! 「魔道具の売り子募集! お店の金を持ち逃げしない人なら誰でもいいです」って……ふざけてんのか!?」
「す、すいません」
「舐めてんじゃねぇぞアラン! 目の前に大金があって持ち逃げしないような奴が、ここいらにいると思ってんのか!」
「ですよねぇ……」
全くを以ってご尤もだ。まともに働けるなら、仕事を選ばずに働けている。こんなところでプー太郎などやっていない。
「あとここ、「役者募集。元演劇団員求む」ってのは?」
「それも書いてある通りです。ウチのお嬢様と王子様をいい感じにしたいので、暴漢役を雇って一芝居打とうかと」
「リーゼロッテだろ? あの別嬪な嬢ちゃんが相手だったら本当に襲いかねねぇし、手違いで王子が怪我したらどうすんだよ。それ以前に、王子様と戦いになんてなったら、護衛の騎士たちが本気で殺しに来るだろうがよ」
これについては全く違う。
どうやら、親分は一つ勘違いをしているようだ。
「あ、ご心配なく。護衛の騎士には話を通しますし……撃退するのはお嬢様の方で、王子様は守られてキュンキュンする方なので安全です」
「その配役でいいのか!? まずそもそも、何で人を雇うのにスラム街なんだよ! 貴族のツテで何とかできんのか!?」
「何でと言われも……」
ここに来たのは、最近の俺の悩みを解決するためだ。
……手が足りない。最近切実にそう思っており、その悩みを解消するために古巣へやって来た。
今の俺は公爵家で執事業務をしつつ、学生として学園に通っている。
一学期を振り返れば、リーゼロッテの世話はもちろん、メリルと共に攻略の作戦を練り、クリスの魔道具研究開発を手伝いながら、製造と販売の計画を立てる毎日だった。
学生なので宿題やテストも普通にある。しかも公爵家の評判を落とすわけにはいかないので、上位の成績をキープしなくてはならなかった。
たまにラルフから模擬戦を挑まれたりもしたし、クラスの付き合いで遊びに行くことも……ごく、たまにあった。
三つも年上な上に特殊な身分だから、悲しいことに滅多に誘われないが。
それらを片付けて公爵家に帰れば、クライン公爵家と縁故がある貴族から来ている魔道具利権参加の打診を捌きつつ。ワイズマン伯爵と懇意にしている商会と一緒に、販売利益の調整だ。
そこにプラスして、魔道具販売で生計を立てている貴族からの陳情が毎日山のように届く。
公爵夫妻は「アランの興した事業だから」と言って、盾になってはくれないため、毎晩毎晩、遅くまで返信に追われていた。
公爵家は販売利益に一切タッチしないから、利権による影響力だけちょうだいね、というスタンスであり。ワイズマン伯爵家はそれなりの利益と、ほどほどの影響力が欲しいというスタンスで動いている。
俺に脅しをかけてくる怖い貴族に対しても、積極的に介入はしてこないのだ。
その上俺の右腕となっているクリスが製造と研究の方に力を入れ始めたため、経営的な問題のほとんどは俺が処理することになった。
彼は歩合給なのだが、「今の私があるのは全てアラン様のお陰です! 何卒、給金の値下げを! 私如きにこのような大金を支払うなどあり得な」
……考えるのは止めよう。頭が痛くなってきた。
要するに。オーバーワークで死にそうだったのだ。
一学期末には学園のアイテムショップを頻繁に訪れ、売っている栄養ドリンク――乙女ゲームだと、回復アイテムになっていた――を全種類大人買いし、ドリンクがぶ飲みで何とか身を持たせていた。
だが、このままでは薬漬けになり、俺も
今は夏休みだから学業の問題はないが、その分公爵邸での仕事が増えているので、負担はそれほど減っていないのである。
それに夏休みも半分が過ぎ、あと十日もすれば二学期が始まる。それまでに何とかできなければ、本当に過労死をしかねない。
現実逃避で遊び惚けた俺が悪いのだが、もうそこまで時間の余裕が無いのだ。
そろそろ抜本的にどうにかしたいと考えていた数日前のこと、思い悩む俺の前に神が現れた。……神と言ってもクロスではない。ハルのことだ。
『アラン。もっと周りに頼ることを覚えようよ』
『けどよ、ハル。誰かに頼るって、誰に頼ればいいんだ?』
先日公爵邸に遊びに来た時、ハルはお疲れ気味の俺を捕まえて言った。
『僕らでもいいし……そうだ、お金があるなら部下を雇えばいいじゃないか』
『お金があるなら、部下を雇えばいいじゃない?』
……アリじゃないか? 何も俺が矢面に立って、ワイズマン伯爵のお気に入りだという脂ぎった商人と戦わなくてもいいはずだ。
会社の金で従業員を雇う。
非常に健全だし、魔道具の会社についてはむしろそうするべきだ。
お手伝いさんを雇って日常業務の代行を頼んでもいい。俺の意向だけ伝えて、代書屋から貴族へのお手紙を書いてもらえばそれでいいではないか。
俺が貴族の修飾語辞典などを引っ張り出して悪戦苦闘するよりも、プロに頼んだ方が早いに決まっている。
学園での「公爵家の威厳を損なわず、子爵という身分にふさわしい成績」というのを維持するのも大変だが、俺専属の優秀な家庭教師を雇えば少しは楽ができるかもしれない。
何なら、金で転びそうな教授に
そうだ、今の俺には金があるんだ。
金だ! 金で全てを解決しよう!
そんなこんなで、攻略対象にあるまじき発想に至ったわけだが、少し冷静になって考えてみた。
俺の業務を補佐する人間……秘書を雇うとして。例えばワイズマン伯爵から人材の紹介を受けたとしよう。
紹介された人物も曲者だろうから、当然今度はそちらとも闘いになる。最悪の場合は伯爵が懇意にしている商会とタッグを組んで、俺に襲い掛かってくるだろう。
結果としては金を払って苦労を増やす羽目になる、かもしれない。
公爵家だろうが伯爵家だろうが、貴族からの紹介を受けたら何かしらの紐がセットでついてくる。
貴族への対応が面倒で人を雇おうとしているのに、無駄な苦労を増やしてどうするというのだ。
それならどうするか、一週間ほど悩んだが。
つい先日、簡単に解決できる問題だと気づいた。
「そんなワケでスラム街にいる……人生をぶん投げたようなごろつきなら、紐は無いだろうなと」
「紐付き、なぁ。一番厄介なところか……。まあ分からんでもないが。流民のレベルなんてお察しだぞ? いいのか?」
「俺だってここまでやってこられたんですから、元がどうでも教育次第かなと。……そもそも俺だって、そういう理由で公爵家に行ったんですから。似たような人材っていないです?」
スラム街で小間使いをやっていた俺でもできる仕事なのだから、同じスラム出身の人間で何とかなるはずだ。詭弁のようだが、俺が身をもって証明している。
多少学が無かろうと、小間使いでもしながら勉強をしてもらえればいい。
「お前の場合は特殊なケースだと思うが、似たようなと言われたってな。どんな人材を求めてんだよ」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、俺は捲し立てる。
「そうですね……。元貴族で、貴族宛ての書類や手紙をかけるように教育された下地があること。なるべく見目麗しく、貴族との折衝に連れまわしてプラスに働くような外見をしていて……男女は問いませんが、庇護欲を誘うようなのがいいですね。俺の立場はそこまで強くないので、強面だと困ります。後は簡単な計算や読み書きができること。そして当然のこと、魔法は中級以上が使えるって人材がいれば、秘書に迎えたいです」
そう。今日一番の目標は、俺が行っている業務を一通り代行できる秘書を獲得することだ。給料だってそれなりの額を出すつもりだし、優秀な人材がいれば平均年収の倍くらいは出してもいいと思っている。
俺の仕事を半分ほど受け持ってくれるだけでいいのだ。労働時間が半分になれば、学生と兼業でもやっていけるのだから。
さて、俺が雇いたい人物像を一息に捲し立てると、親分は右手を額に当てて天を仰いだ。
「アルバートの奴と、似たようなことを言うようになりやがって……ああもう。少し待ってろ」
親分は乱雑にソファから立ち上がると、ぶつくさ言いながら右手でガシガシと頭を掻きつつ部屋を出て行った。
人身売買という誤解さえ解いてしまえば話は早い。「スラムの人間は仲間を見捨てない」という考えは、あの親分が中心になって広めた考えだ。
親分にとっては俺も息子みたいなものだろう。
可愛い息子のために、是非優秀な人材を連れてきてほしいものである。
何にせよ、親分の人を見る目は確かだ。俺は既に肩の荷が降りたような、幾分心が軽くなったような気分を味わっていた。
薄くて雑味が強い、マズいお茶を飲みながら。座り心地の悪いソファで、ふんぞり返って親分を待つ。
室内に残された護衛の方々とは一切目を合わせないようにして、十分ほどが経っただろうか。
一人の少年を伴って、親分が戻ってきた。
「おう、とりあえず連れてきたぞ。入れ」
「は、はい……」
「…………え?」
親分に連れられて部屋に入ってきたのは、クリーム色のくせっ毛を緩くカーブさせた、子犬のような少年だ。
顔立ちは整っているが、可愛い系の男子で、確かに庇護欲はそそられるだろう外見をしている。
髪の毛の色と合わせたようなクリーム色の瞳は大きく、こんな煤けた事務所の一輪の花。清涼剤のような、癒しのオーラを放っているではないか。
着ている衣服は多少汚れているし、ズボンが多少擦り切れてはいるが、高価な生地で仕立てられているところを見ると、いいところのご家庭から落ちてきたのだろう。
……スラム街でこんな格好をしていれば、そのうち追剥ぎに遭う。どう考えても、最近まで貴族として生活していた少年だ。
あれ? うーん。どこかで見た、ような……。
「あはは、いや、まさかな」
俺の頭を最悪の可能性がかすめて行くが、気のせいだ。きっと人違いだと自分を落ち着かせる。
そんな俺の動揺をよそに、親分は少年へ向けて、自己紹介をするように促した。
「最近流れてきた、ワケありの奴なんだがな……ほら、挨拶」
「ぱ、パトリック・フォン・ウィンチェスターです。ちゅ、中級魔法なら、問題なく使えます」
「お、おお、おう。よよよよろしくな」
「アラン、何をガタガタ震えていやがる。そんなに茶がマズかったか?」
パトリック・フォン・ウィンチェスター?
知っている。彼は、又の呼び方を後輩という。
ダメ元で別な名前が出てこないか期待していたが、十中八九、そんなことだろうと思っていた。
いやいや、嘘だろ? なんで?
どうして
混乱、恐怖、絶望、諦観、憤怒。様々な負の感情が爆発し、思わず叫び出しそうになる。数分前まで思っていた「これで楽ができるぞ」という希望。そんな淡い期待は打ち砕かれたのだ。
束の間の安息を終えて、俺の心に更なる重圧が圧し掛かってくることになったようだ。
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