第六話 やったみた
穏やかな昼下がり。
風が心地よく、麗らかな春の日差しが心地よい今日この頃。
公爵家が誇る庭園。
その芝生の上に三人の少年少女と、それを遠くから見守る大人たちがおりました。
大人は皆一様に高そうな鎧やら、高そうな装飾品やら、高そうな生地の服やらを身に着けており、一目で上流階級と分かる装いの人たちです。
大人たちはものすごく険しい顔をして話し込み。
一人の男性を吊るし上げています。極道の集会さながらの様相を呈していますね。
「あちらは見ないとして」
一方で少年少女たちは? 部屋着でした。
公爵家お抱えの仕立て屋が持ってきただけあり、それなりにお洒落ではあるが……それでもフォーマルかと聞かれたら、十人中十人が違うと答える。そんなおべべです。
こんな服を着て、お見合いに出る奴はいねぇ。
そう断言できるくらいには場違いな服です。
さりとて着替えたのだから、もう、この方向で進めるしかありませんでした。
「も、もう、むっ、むりっ……ぜっ、はぁ、はぁ、げんか、い……」
「まだよ! まだいけるわ!」
婚約者になるであろう男の子を腕立て伏せさせている少女がいた。
明るい顔で、朗らかな声で、傍目から見ても親身に指導している。
それはもう熱心に。熱血の押し売りが極まっていた。
「ふっ、ぐぐっ、つぅぅ……」
「そうよ、その調子! 諦めないで! ほらもう一度! ワンモアセット!」
顔を真っ赤にして、汗をだらだら流す殿下の横に立ち、全力で励ましているのが当家のお嬢様です。
「ぐ、はぁ、ぐ、あぁぁあああ!」
「いいわよ、殿下! ワンモアセッ!」
ワンモアセッ。じゃねえよ。殿下に何やらせてんだ。
俺はもう遠い目をするしかない。
お嬢様。一度振り向いて、騎士たちの顔を見てみろよ。
顔面が、真っ赤を通り越して真っ青だ。
唇も紫に変色してきているし……ショックのあまり、チアノーゼを起こしているのではないだろうか?
「よーし! セット終了、お疲れ様!」
「ぜぇ……はぁ、はぁ、はっ、お、おつ、おつかれ……さ、ま」
いい顔しているお嬢様と、死にそうな表情で喘いでいる王子様。
お見合いがどうこうの前に、絵面がおかしい。
俺は言ったぞ? 「殿下はお体が丈夫ではないので、手加減を忘れずに」と。
「……それでどうして、こうなった」
もうどうにでもなれ、やってしまえとは思ったが――やり過ぎだ。
どう見てもやり過ぎだと、俺は絶望に打ちひしがれていた。
おいお嬢様。一回冷静になって、王子様の顔を見てみろよ。
ゾンビみてーな顔色になってんぞ。
「アルバート殿、この件はどう説明を。……いや、どう落とし前をつけるつもりだ?」
大人組の方はと言えば、あちらもあちらで大変そうだった。
「ああ、いや、その、な? 子ども同士体を使って遊ぶのも、その、悪くないかな、と」
「TPOという言葉をご存知ない?」
「どこの世界に、顔合わせに来た婚約者へトレーニングをさせる貴族がいますか」
おとなのせかいは、たいへんだなあ。
ぼくはこどもだから、こっちでいいよね。
そう思い、俺は大人組の方から目を背ける。
「……さあ、これからどうすっか」
爽やかに汗を流すことでいい雰囲気――甘酸っぱいものではないけれど――を作ろうとした結果。
顔合わせの場が、地獄の訓練場へと変貌するなど、誰が予想できただろう。
「まさか最悪の事態を回避した先に、更なる悪化が待っているなんて」
公爵夫妻が出てきたことで、ひとまず、この場で斬られることは回避できたと見ていい。
だが逆に公爵夫妻を引っ張り出したことで、王宮関係者からだけでなく、公爵夫妻からも責任を厳しく追及されることになる。
当たり前だ。俺の発言が原因で吊るし上げを食らっているのだから。
王子様御一行がお帰りになったら、速攻で呼び出しを食らうだろう。
客人がお帰りになったら、即座に屋敷から逃げないと命はない。
「さあて、どのルートで逃げようかな」
スラムに逃げ込むのは悪手だ。旦那様は元締めの親分と繋がりがあるらしいので、追手がかかるだろう。
貯金はゼロに近いが、どうにか王都を脱出することまで考えなければ――
「はあ。はあ……はぁ、み、水を、水を、くれ、ないか……」
「あ。はいっ、ただ今」
干からびた声で我に返ると、生ける屍状態となった殿下が、砂漠で遭難した旅人のようなことを言っていた。
そうだな。少なくとも今は、使用人の仕事をしなければ。
変な動きをしたら気取られる。
芝生に設置したテーブルには水差しが置かれていたので、俺はコップに水を注いで殿下に手渡した。
が、何故かお嬢様が待ったをかける。
「ああ、アラン。それただの水でしょ?」
「へ? はい」
「殿下、こっちのスポーツドリンクの方がいいわ。特製よ」
はい! と言いながら、お嬢様はご自分のドリンクホルダーを差し出した。
飲みさし、である。
「え、ちょっ! お嬢様!?」
王族を相手に回し飲みって、何考えてんだ。
そう止める間も無かった。
お嬢様は筋トレの効率だけを考えてドリンクを差し出し、殿下にも余裕がなかったせいか、あっさりと受け取って飲み干してしまった。
「あ、これ、間接……」
殿下は飲んでから気づいたようだ。
「ん? なーに? おいしいでしょ?」
「あ、ああ。おいしいと思うよ。甘酸っぱくて……いいね」
甘酸っぱいのは水だけですかねえ?
と、俺は下種い笑顔を浮かべる。
殿下の顔は真っ赤になっており、一転して良さげな雰囲気が広がった。
「でしょ? 運動したあとの一杯が最高なのよねー。トレーニングが厳しいほど身体に沁みるから、これも毎日の楽しみってやつよ」
何だか知らんが一周回っていい雰囲気だ。
このままいい雰囲気が続けば、処罰を免れるかもしれない。
いいぞお嬢様! と思いつつ、俺は成り行きを見守ることにする。
「……ははは、君は凄いな。こんなトレーニングを、毎日やっているのか」
「これは初心者向けメニューよ」
「え?」
「私としては、今のがウォーミングアップ」
おおーい! デリカシー無いのかあんた!?
と、もう叫び出したい。
殿下は「こんな(キツイ)トレーニングを毎日やっているのか」っつっただろ。
今のがウォーミングアップ?
どうして追い打ちかけてんの?
「そ、そうか。……そうかぁ」
甘い雰囲気なんて一瞬でどこかに行っちまったよ畜生。
と、俺は内心で頭を抱える。
「……やはり私は、運動には向いていないか」
「ん? そんなこともないわよ。むしろ、殿下は運動に向いている方じゃない?」
「「え?」」
思わず俺も「え」と声を出してしまった。
だが、言葉の意図が分からない。殿下はどこからどう見てもモヤシ野郎だからだ。
「運動っていうのは根気が大事なの。殿下、無理って言いながらやりきったでしょ? 大事なのはその根性よ!」
「そういうもの、かな?」
ガチ凹みしていた殿下も、意外そうな顔をしている。
しかしお嬢様は、どうやら本気で言っているらしい。
「大丈夫よ。今日一日を頑張れたら、明日も、明後日も頑張れるわ!」
「だけど、私は……君が準備運動と呼ぶくらいの訓練で限界だ」
殿下は尚も気落ちした様子だが、お嬢様は何でもないような態度で答える。
「そんなもの、続れば一か月で楽にこなせるようになるわよ。私がトレーニングを始めたときなんて、この半分で限界。それで完全に動けなくなったもの。最初からこれだけできれば大したものよ」
体力バカのお嬢様にも、そんな時期があったらしい。
そして殿下はと言えば、表情を少し暗くして、首を横に振っている。
「……気を使わなくてもいいんだよ?」
「嘘なんか言わないって。私も、鍛え始めのときは……泣けるくらい貧弱だったし。なんでこんなに体力がないのか、なんでこんなに体が弱いのかって。悔し涙で枕を濡らす日々よ」
お嬢様は遠い目をして過去を振り返っているが、俺はその頃のお嬢様を知らない。
だからそれは意外なエピソードだ。
俺が見てきたお嬢様は、好きなことを好きなだけ頑張って、前だけ見て全力で生きているような人だという印象しかなかった。
「軽い運動ならともかく、貴族令嬢が体を鍛える意味なんてない。それどころか、皆が反対しただろうに。……どうしてそこまで?」
昔のお嬢様を多少知る俺が意外だと思うのだ。
今日衝撃の出会いを果たしたばかりの殿下には想像もつかない話だろう。
当然の疑問を口にする殿下を前に、お嬢様はいい笑顔だった。
「そんなの簡単よ。私が、弱いのは嫌だった。じゃあ強くなるしかないじゃない。こればっかりは他人がどうこうできる問題じゃない」
そこで言葉を区切り、お嬢様はぐっと拳を握りしめて、その拳を高く掲げる。
「変わりたいと思ったら、自分の意思で変えにいかなきゃいけないの。そうしないといつまで経っても変わらないのよ。……だから、やってやったわ!」
堂々たる宣言だ。
真っ直ぐ前を向いていて、人としては好感が持てる。
が、俺の修正対象がこの人なのだから、一方でげんなりもする。
「君は強いんだね。……いや、強くなったんだね」
「そうよ。でもまだまだ足りない。もっとずっと強くなってみせる。心も身体もね」
「……そうまでして、騎士にでもなりたいの?」
お嬢様は「違うわ」と言って、不敵に笑った。
そして立ち上がり、拳を固く握りしめて宣言する。
「私は、最強の格闘家になるの。そして、メインの花道を飾るのよ! 今一番熱いのはプロレスラーかしら?」
「か、格闘家? ぷろ、れすらぁ?」
「いや、でも、総合格闘家も捨てがたくて……」
殿下が説明を求める顔つきで、俺の方を見た。
しかし総合格闘家の方は響きで何となく分かるが、俺もプロレスラーとかいう謎の職業については何も知らない。
というか時折出てくるコマンドサンボやら空手やら、柔術やらカポエラやら、一切がよく分からない。もはや独自の言語だ。
何らかの格闘技だということは分かるが、詳細など一度も掘り下げたことがない――ので、言われてみたら俺も気になってきた。
いい機会だし、殿下から聞いてみてくれないかな?
と、俺は期待の目を向ける。
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