第四話 やっちまえ! お嬢様!!(前編)



 ああ、今日もいい天気だな。

 

 春の到来というにはまだ少し肌寒いが、ここ数日でめっきり暖かくなってきた。

 穏やかな日差しが明るく大地を照らす中で――。


 我々公爵家の使用人一同は、皆一様に絶望の表情を浮かべていた。


「あ、あの。リーゼロッテ嬢、で、間違いないかな?」

「あら、殿下? もういらしてたのね」


 そうお聞きになっているのは、この国でも有数の偉い人。

 第一王子のエールハルト様だ。


「……ああ、ちょっと待ってね。今ランニングから帰ってきたところだから、先にお風呂に入ってくるわ」


 余所行きの見目麗しい恰好をした殿下。

 普段着どころか部屋着の――しかもランニング帰りで汗だくの、我らがお嬢様。


 やっちまったああああああああ!!


 と、内心で絶叫しつつ、可能な限りポーカーフェイスを維持する男が一人。

 どうも、リーゼロッテお嬢様の専属使用人兼、教育係のアランです。


「……はは」


 服装の時点で相当不穏な空気が流れているが、こんな格好で、第一声が「ちょっと待ってね」ときた。


 これはもう、不敬とかそういう次元の話ではない。


 殿下の後ろに控えている護衛の騎士数人と、宮内庁の役人であろうちょび髭の男は、怒りで口元が痙攣けいれんしている。


 有体に言えば、怒りに打ち震えている、という様子だ。

 このままいくと、多分数分後には、この場で首を刎ねられるだろう。 


 責任者である俺の首だけではなく、この場の何人かの首が、胴体と泣き別れする未来が見える。


 何故こんなことになってしまったのか。

 13年の人生が走馬灯のようにフラッシュバックし、最終的に、午前中の映像が流れ始めた。





    ◇





 早朝のことである。

 モーニングコールをしに行ったメイドから、リーゼロッテ様のお姿が見えないという報告を受けた。


「まさか。いやいやまさか」


 王族との約束をすっぽかすわけはあるまい。


「いや……あのお嬢様ならあり得る、か?」


 そう思い探してみると、ラフな衣服に着替えて館を出ようとしている、お嬢様を発見した。

 どうやら護衛も付けずに、屋敷を抜け出そうとしていたようだ。


「日課だから走らないと落ち着かないのよね。てことで、ちょっと行ってくるわ!」


 いつもより早く起きて日課をこなすこと。

 それが、お嬢様なりに気を使った結果なのだろう。


 しかし殿下のご一行は、昼前には到着予定なのだ。普段通りに動かれると、予定よりも早く来た場合に困る。


 さりとてお嬢様が行かせてほしいと言えば、俺の立場だと強く引き止めることもできない。


「旦那様、いいところに。お嬢様をお止め下さい!」


 どうしたものかと考えていると、ちょうど旦那様が二階から降りて来ていたので、俺は援護を求めた――のだが。


「お願いパパ。緊張で失敗しそうで不安なの。いつも通りにしていたいのよ」

「緊張かぁ、それはいけないな。ふわぁ……行っておいで、リーゼ」

「ッしゃ!」

「旦那様ァ!?」


 娘に激甘かつ寝起きの旦那様では、お嬢様を止られるはずもなかった。


 俺が旦那様へ抗議しているうちに、お嬢様は一人で、すたこらさっさとランニングへ向かってしまったのだ。


 せめてここにいたのが奥様だったら……とも思うが、今さら考えても仕方がない。


 かくして、婚約者との顔合わせの日なのに、お嬢様が不在という状況が出来上がった。 


 せめてお嬢様の着替えと湯浴みの準備をし、お茶会の準備だけでも整えておこうと、使用人一同が上へ下への大騒ぎ。


 殿下の到着予定時間近くになってもお嬢様が帰って来ず、右へ左へ右往左往。

 そうこうしているうちに、王子様御一行がご到着した。


 王家の紋章が刻まれた箱型の馬車が乗り付けてきたとき、先輩執事のケリーさんは茫然とし、口から魂が抜けていくのではないか、というくらいに放心していた。


 茫然自失ぼうぜんじしつという単語をここまで体現できる人がいたのかと、俺はむしろ感心してしまったくらいだ。


「さて、そんなどうでもいいことを考えていないで。何とかしねぇと」


 何かフォローの言葉を考えねばならない。


 湯浴みに時間がかかっております、とか。

 先に公爵夫妻からお話があります、とか。


 理由は何でもいいから、とにかく時間を稼がなければ。

 そう思ったときに、よりにもよってこのタイミングでお嬢様がご帰宅されたのだ。


 普段よりも長いランニングになったのは何故か?

 理由を答えて曰く、


「桜が咲いていたから、ちょっと並木道の方を走ってきたの。風が気持ちよかったわね」


 とのこと。

 ちなみに公爵家の敷地に桜の木は植えていない。


「……このだだっ広い庭園で飽き足らず、表を走ってきた?」


 公爵家のご令嬢が、護衛もつけずに家の外を走ってきたんかい。

 守衛は何をやっていたんだ?


 など。俺の頭に様々な感情が駆け巡った――


「ああ、ちょっと待ってね。今ランニングから帰ってきたところだから、先にお風呂に入ってくるわ」


 色々な想いが頭の中を駆け巡り、走馬灯が終わった。


 走馬灯というものは、命の危機にあるとき――過去の経験の中からどうにか助かる方法を探そうと――頭がフル回転した結果見られるものらしい。


 しかし残念ながら、この振り返りに意味はない。


 我が13年の人生で、「不敬による斬首の回避を試みる」などという特殊な経験を積んでいなかったからだ。


 俺はただ、数秒棒立ちしてから我に返った。ということになる。


「ええと、それで……どうしよ、これ。」


 改めて目の前に立つ護衛騎士たちの顔色を伺ってみると、彼らは憤怒という言葉を体現するかの如き表情を浮かべている。


 もう、いつ抜刀してもおかしくはない状態だった。

 



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