88、もう悪いことなんか起こらないような気がする


 無実は証明された。


「お腹が空いた!」


 浮気でないということが確認できたので、二葉先輩は意気揚々いきようようとこたつを準備し始めた。


「焼き芋を食べたとは信じられないくらいに、お腹が空いている」


「効果テキメンですね。本当に大丈夫なんでしょうか。あの薬」


「まー。終わりよければ全て良しということだよね」


 ネギと豆腐を切って、鍋の中に入れる。牛脂ぎゅうひを塗って、牛肉をごっそり入れる。


「え、いきなりそんなにいっちゃうの?」


「ガンガン行きましょう。遠慮は無用です」


「わーい」


 箸で卵をかき混ぜながら、先輩は歓声をあげた。

 温めた鍋に、牛肉をぶち込んでいく。焦がさないように、ちゃんと様子を見て、ベストの頃合いで二葉先輩に渡す。


「はい、どうぞ」


「ありがたやありがたや」


「冷めないうちに食べてください」


「ナルくんもね。一緒に食べよ」


 先輩がせかすように、俺の肩を突っつく。肉を焼くを手を止めて、生卵のなかに、肉をダイブさせて口の中に入れる。


 柔らかい。


「美味しぃ!」


 二葉先輩は箸を持ちながら、身体を震わせた。


「信じられないくらい、美味しい!」


「美味しいですね」


「私の中の肉食獣が喜んでいる」


 黄金色に輝く肉を、パクリと口に入れた。


「すき焼き、初めて」


「そうなんですか?」


「うん。小さい頃はね。身体弱かったので」


 ぐずぐずに煮込んだ食事がほとんどだった、彼女は言った。


「まー、慣れれば、不味くもないんだけどね。しかしこの味を知ったら、元には戻れぬ」


「そんなに急がなくても大丈夫ですよ。いっぱいありますから」


「そうは言っても。箸が止まらぬ」


 たくさん買っておいた肉がどんどん無くなっていく。やっぱり二人だけの時を選んで良かった。これで剥不さんまでいたら、間違いなく取り分は減ってしまっていた。 


「はー、一気に食べてしまった」


 鍋を空っぽにして、先輩が満足げに微笑む。


「幸せー」


「先輩」


「なぁに」


「ご飯がありますが」


「食べる」


 旺盛おうせいな食欲で何よりだ。

 残った割り下と生卵をご飯にかける。甘辛い風味が、炊きたてのご飯と合って、とても美味しい。


 お腹の中が幸せになっていく。


「食べ過ぎましたー」


「だねー」


 そう言いながら先輩は、ミカンに手をつけた。


「そんなに食べて、大丈夫ですか」


「ミカンは別腹」


「明日お腹壊しても知りませんよ」


「パク」


 聞いちゃいない。


 俺の腹はさすがに、もう入らない。


 こたつの中で脚を伸ばすと、彼女の足の裏側にチョンとぶつかった。二葉先輩がクスリと笑う。


「ちょっと、くすぐったいよう」


「すいません。このこたつ小さいんですよ」


「……そういうことなら、しょうがないけど」 


 照れ臭そうに笑った彼女は、俺のすぐそばに自分の脚を置いた。身体を動かすと触れ合うので、二葉先輩はその度にクスクスと笑った。


「ちょっと近い気がするけど、あったかいね」


「あったかいですね」


「美味しいご飯も食べられて、コタツであったかくて、私は幸せだなぁ」


 先輩はテーブルの上に、頬をスリスリすると、幸せそうに言った。


「もう、悪いことなんか起こらないような気がする」


 そんな彼女の笑顔を見られただけで、高い肉を買った価値はある。


「そうですねぇ」


「ね」


 翌朝、二葉先輩は腹痛で寝込むことになった。


 どう考えても、食べ過ぎだった。

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