第7話 月夜の語らい~姉との別れ

 やはりこの世界は文妖が造り上げたものらしい。時間経過が少しばかり通常とは違っているようだ。


「明日にはもう都に着くそうだよ、斎原」

 他の人たちから聞き付けた君依くんが教えてくれた。上総の国を発ってからまだ数日のような気がするのだけど。

 

 君依くんは妙にうきうきしているようだ。

「何故だろうな、近くに藤乃さんの気配がするんだ」

 だったら永遠に京都には着かなくていいと思う。


「どうしたの、斎原。怖い顔して」

 君依くんがわたしの顔を覗き込んでいる。

「してません。いつもこんな顔です!」


「ああ。そういえば、そうだったね」

 納得している君依くん。だが、それはそれで腹立たしい。


 ☆


 いつの間にか京の屋敷に到着し、ようやく落ち着いてきた頃だ。

 ある夜。わたしは姉にあたる女性と並んで縁側に出ていた。君依くんは当然のようにその膝に頭をのせて、満足げに喉を鳴らしている。

 むう。いつもの事だが許しがたい。


 わたしとお姉さんは夜空を見上げている。雲もなく、月が明るく輝いていた。

「みゆきちゃん、月は他の世界への通路だというけれど、このままわたしが消えてしまったらどうする?」

 静かな声でお姉さんはわたしに問いかけた。

「にゃう?」

 何に気付いたのか君依くんが跳ね起きる。


「あら、逃げちゃだめよ」

 お姉さんは慌てて君依くんの頭を抱え、ぎゅーっと胸に抱きしめる。

「にゃうう♡」

 途端に君依くんは大人しくなった。よく見ると顔がにやけきって、鼻血が出ている。まったくもう、男というやつは。


「えへへ。これは僕じゃないよ。お姉さんが勝手にしている事だからね」

「分かってるわよ、そんな事はっ」

 だけど鼻血は拭きなさい。


「ねえ、聞いたか斎原」

「なにをよ」

「月が別世界への入り口だってことだよ」

 わたしは力任せに、君依くんの鼻を布で擦る。


「それがどうしたの。月に送り込んで欲しいの?」

「ちょっと、痛いよ斎原。違うよ、元の世界に戻る手がかりが、そこに有るんじゃないのかな」

 えーい、うるさい。わたし以外の膝枕でやに下がっているような君依くんの意見など、即時却下だ。聞く必要を認めないぞ。


「こうやって何だか、以前にも大事な事を却下したような気がするな」

 お坊さんが夢に出て来て……、何だったっけ。

「まあいいや、いまはそれより」

 もっと気になる事態が起こっていたのだ。


 あれは、いったい何だろう。

 輝く月の表面に幾つもの影が浮かび、だんだん大きくなって来る。


「どうやらお迎えが来たようです」

 お姉さんは立ち上がった。

 賑やかな音楽を奏でながら、天上から光り輝く乗り物が降りて来た。周りには薄物をまとった飛天(天女)が舞い踊っている。


「あのね、斎原」

 君依くんが言いかける。わたしも茫然と空を見上げたまま答えた。

「うん。わたしもきっと同じことを考えてると思うよ」

「へえ。気が合うね」

「そうだね」

 そこはやはり幼なじみ、と喜んでいる場合ではないらしい。


 ふと見ると、お姉さんは衣裳をするりと脱ぎ捨てて、半透明な天の羽衣を身につけている。これでは、ほとんど裸と変わらない。

「おお♡」

「こら、見るな!」

 わたしは君依くんの目を後ろから塞いだ。


「必ずこれを使って下さい」

 お姉さんはちいさな壺を置いて、中空に浮かぶ車に向かって歩き出した。まるで階段でもあるように空へ昇って行く。


「今はとて天の羽衣着るをりぞ 君をあはれと思ひいでける」

 最後にお姉さんの声が聞こえた。



「ねえ斎原。この世界はいつから『竹取物語』になったんだろう」

 君依くんが首をひねる。

「うん。それに……」

 わたしは少し言い淀んだ。


「そうだね。あのお姉さんの声って、藤乃さんの声だったような気がする」

 やはり君依くんは気付いていたようだ。 


 どうやら、この世界の外から救いの手が差し伸べられているようだ。わたしは残された壺を手にとって、夜空を見上げた。

 


――― 月いみじくくまなく明かきに、みな人も寝たる夜中ばかりに、縁に出でゐて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今、ゆくへなく飛び失せなば、いかが思うべき」と問ふに、なまおそろしと思へる気色を見て、ことごとに言いなして笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、さきおふ車とまりて ―――







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