幼なじみが菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の飼ってるネコになりました。
杉浦ヒナタ
第1話 彼(ばか)と一緒に平安朝へ
「待ってくれー、斎原。これ重たい」
後ろから情けない声がする。
振り向くまでもない、わたしの幼なじみで図書委員の
「なあ斎原。なにを怒ってるの?」
「怒ってなんかいないっ。さっさと運びなさい!」
まったくもう。
わたしの渾身の告白をスルーしたようなやつは、一生荷物運びを手伝わせてやる。
「まあ……それは、言い方がちょっと遠回しだったことは認めるけれど」
本当、あんな鈍い男だとは思わなかった。いや、知ってはいたけれども。そこは長い付き合いなんだから分かってほしかった。
「え、何か言った?」
「言ってないからっ」
赤くなった顔を見られないように、足を速める。
あー、これで14連敗だ。わたしはため息をついた。
「じゃあ、この本をジャンル分けして、PCのデータベースに登録するよ」
図書館の長机にパソコンを2台並べ、寄贈本のタイトル、著者、ジャンルなどを蔵書リストに入力していくのである。
振られた腹いせに、わたしのPCを思いっきり君依くんに近づけて、仕事の邪魔をしてやる。
「ほわー、斎原いい匂いがする」
「うるさい。ちゃんと仕事しなさいっ!」
死ね、この鈍感。
☆
わたし、
斎原家は奈良時代から続く
表向きは文書管理を主な役割とする図書寮だが、その実、
陰陽寮が、人や自然物が変化する、
一般に文妖は目に見えず触る事もできないが、触れた人に憑りついては、その精神を書物の世界に引きずり込んでしまうという性質を持つ。
現在に至るまで、この文妖に憑依され、そのまま現実世界と乖離した生活を送っている人は相当数に上っているらしい。
「気をつけてね、もう文妖を生み出してる本があるかもしれないから」
ページをめくりながら、わたしは君依くんに注意する。
「わかった。……お、早速発見したぞ斎原。これ、そうだろ」
君依くんは開いた本をわたしに向ける。
ち、近いよ。肩が触れているし。まあこんなに近付けたのは、わたしなんだけども。
そのページの表面に半透明な丸いものが付着している。間違いない、文妖の卵だ。
「うむ、よくやった君依くん。さすがわたしの従僕だね」
図書寮の家系であるわたしは当然だが、この君依くんも文妖を見ることができる稀有な存在なのだ。
彼とはいとこ同士なので不思議ではなさそうだが、実際にこうやって能力が発現している人は、斎原一族の他には滅多にいない。
これこそ、わたしが君依くんに執着する真の理由なのだ。別に君依くんが好きだとかいう安っぽい理由ではない。ましてや恋人になってお付き合いしたいとか、結婚したいとか、微塵も思っていないのだ。これはあくまでも仕事として……。
「あのさ斎原。その従僕って呼び方なんだけど、そろそろ別のものに昇格させてくれないかな」
どき。胸が高鳴った。じ、じゃあ、せっかくだから。
「だったら。こ、こ、こい……びとに、してあげよっかなー、なんて♡」
わー、言ってしまった。恥ずかしいっ。
「え? 故意びとって?」
意図的な人、じゃないわっ。いい加減気付けよ!
あーもういい。
これで小学校3年の時に初告白して以来15連敗。しかも今日は午前・午後と二回続けて惨敗なんて。
おのれ君依、許すまじ。
「こいつめ、って言ったのです。君依くんのくせに生意気な事を言うんじゃないのです。君依くんなんか、一生わたしの従僕で十分なのです」
「斎原、口調が棒読みだけど。何かウソついてる?」
くそ、なんでこんな時ばかり鋭いんだ。苛立ちながら、わたしはペン型の対文妖ライトを照射し、その卵を君依くんに見立てて無慈悲に灼き尽くす。
☆
「これは何だろう。料理本かな」
「え?」
いかん。つい、また君依くんの横顔をぼーっと眺めていた。わたしは慌ててその本に目をやる。
料理本? ちょっと待って。
「ねえ、君依くん。なんで、これが、料理本だと思うの」
「だって、これお蕎麦屋さんが書いた本だろ」
タイトルは『
うーむ。わたしは眉間を押えた。
……そうか、更科か。
いや、もちろん君依くんがバカだって事は、昔からよく知っていたけれど。だけど。まったくもう、時々こうやって恋心が揺らぐような事をいいやがる。
「え、恋心って?」
きょとんとした顔で君依くんがわたしを見ている。えっ、え?
「は、はあっ? 誰もそんなこと言ってないでしょ!」
思わず手にした本で君依くんをメッタ打ちにしてしまった。え、なに。わたし声に出してたのか?
まずい。これから気をつけなきゃ。
「これはね、
「長い名前。で、その人が蕎麦屋の元祖なのか」
「そろそろ、お蕎麦屋さんから離れようか、ねっ君依くん」
わたしが本を手に取ると、びくっ、と身体を引く君依くん。だから、その鋭敏さを他のことに活かして欲しい。
「じゃあ、ちょっとだけ内容を読んで聞かせてあげるよ」
わたしはその本のページを開いた。
――あずま路の道の果てよりも、なお
そこでふと目を上げると、隣で君依くんがわたしの声に耳を傾けているのが見える。よしよし、良い態度だ。……でも、図書館の中がうっすらと白く霞んでいるような気がするのだが。
(なんだか、おかしい)
「どうした、斎原。続きを」
どこか普段と違う声で君依くんが促す。君依くんとは思えない、渋いイイ声だった。その声に酔わされたように、わたしは続ける。
――世の中に物語というもののあんなるを、いかで見ばやと思いつつ、つれづれなる
何故か次第に意識が朦朧とし、本を読む自分の声だけが頭の中に反響していた。
「しまった!」
その原因に気付いたわたしは、思わず叫んだ。その途端、君依くんも図書館の風景も一瞬にかき消え白い闇に包まれた。
不覚にも、わたしは文妖の中に取り込まれてしまったのだ。
☆
「美雪ちゃん。こんな処で居眠りしていては風邪をひきますよ」
優しい声に、わたしは目を開けた。
「ここは……」
「ん、どうしたの?」
目の前には、どこかわたしに似た女性がいた。ただしその格好は
一方、わたしは学校の制服のまま。でもそのひとはそれを気にする様子もない。
「いえ、大丈夫です。お姉さま」
なぜかこの女性が姉だと分かった。
そうだ思い出した。わたしは菅原孝標の二の姫、美雪なのだった。
もぞもぞ、と腕の中で何かが動いた。
「うん?」
見ると、わたしは何かをしっかりと抱きしめていた。それはうちの高校の制服を着た男子だった。
ひーっ。危ない所で悲鳴をかみ殺す。
「き、君依くん?」
「にゃー」
君依くんは、わたしの腕のなかでネコみたいな声を出した。
「なんで」
「まあ、可愛い仔猫。どこで拾ってきたの、美雪ちゃん」
お姉さまには、この君依くんがネコに見えているらしい。
大きく伸びをした君依くんは、わたしの膝から身体を起こすと、器用に右足で首の辺りを掻き始める。姿は君依くんのままだが、ちょっと可愛い。
そしてひとしきり掻き終わると、わたしの方を見て言った。
「なあ斎原。ここ、どこ? なんで僕はネコみたいになってるんだろうな」
あ、喋れるんだ。可愛くないな。これじゃ普通の君依くんだ。
でも、そんな事わたしに訊くな。
とにかく、この文妖が造りあげた世界から脱出する方法を見つけなければ。
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