【番外編】それでもわたしの国なので 後編

「びっくりさせてすみません、痛むところはありませんか?」


 後ろを歩くマニュラに改めてそう問い掛けたリオニャは彼女の腕を見る。

 捻り上げられていた時はとても無理な体勢になっていた。

 体が丈夫なリオニャならあの程度ではストレッチにもならないが、普通の女性の体だと大きな負担になることくらいは予想できる。


 異種族の男性たちはメルカッツェ経由でルーストに引き渡し、余罪について詳しく訊くことになった。もちろんその際に三人に奴隷と呼ぶのもおこがましい扱いをした人間たちについても話をする手筈になっている。

 念のため安心するようにとマニュラに聞き取りの様子を見届けてもらい、今はその帰り道である。


 マニュラは腕をぐるぐると回してみせた。


「こちらこそすみません、体が柔らかいので大丈夫です。あの……助けてくれてありがとうございました。道中は優しい商人さんに拾って頂いて危険な目に遭わなかったんですが、運が良かったのですね……」


 聞けばマニュラはレプターラに入った辺りで商人と出会い、首都セラームルに荷物を運ぶついでに馬車や駱駝車に乗せてもらったのだという。

 対価を支払っていたとはいえ、騙される危険を考えれば女性のひとり旅としては思いきった行動だった。

 しかしレプターラは広大な土地の多くが砂漠や険しい道であるため、たったひとりで旅をするよりは安全だったとも言えるだろう。


 そんな危険な道のりを経てでも親族に会いに来たのは、たったひとりの家族である祖母の遺言に従ったからだとマニュラは言う。

 経緯を聞いたリオニャは気の毒そうな顔をした。


「なるほど、もう頼るあてがおばあ様のお兄さんの血筋しかなかったんですね……よし! またトラブルに巻き込まれちゃいけませんし、私が送っていきますよ!」

「ええ!? でも、その、名前とセラームルに住んでるってことしかわからなくて」

「ふふふ、それだけわかれば大丈夫ですよ。以前国民の皆さんに避難をしてもらう際に大変だったんで、最近やっと我が国でも戸籍の登録を本格的に始めたんです」


 まだまだ作業は追いついておらず、登録開始後に生まれた者や移住した者、そして身元の保証がされるほど古くからこの土地に住んでいる者しか登録されていないが、マニュラの親戚が長くここに留まっているなら見つけられる可能性はある。

 もし名簿に名前が見当たらなかったり、すでに他の土地へ引っ越していた場合は名前を頼りに聞き込みをしましょうとリオニャは拳を握った。


 マニュラは目をぱちくりさせる。


「そこまでして頂いていいんですか……?」

「折角遠くから訊ねてきてくれたんですから良いんですよ、それにレプターラの良い面も見てほしいですからね! ――あっ、でもその前に……そこの食事処で腹ごしらえして行きませんか? 奢りますよ!」

「本当にそこまでして頂いていいんですか!?」


 リオニャの至れり尽くせりな様子に慌てたマニュラだったが、リオニャは気にしていない様子で「もちろんですよ~」と笑みを浮かべた。


     ***


 その後。

 食事処でセラームル名物の唐辛子を三種類使用したスープや、ベレリヤから輸入したフルーツたっぷりのデザートピザを楽しんだリオニャたちは最後にお茶を飲んでから親戚の家を探しに出る――予定だった。


 しかし会話中にリオニャが息子への土産に迷っていると聞いたマニュラがアドバイスをしたいと申し出て、いくつかの店へと立ち寄ることになったのである。

 リオニャの善意も見る人が見れば怪しく感じられて警戒されかねないものだったが、同じように助けたいと行動を起こしたマニュラは完全に心を開いたようだ。


「故郷ではそれくらいの年には木刀で剣の稽古をしてましたね、タルハ君は興味ありそうですか?」

「う~ん、剣術はわからないけど体を動かすのは好きそうです。わたしたちって体術中心なんですが、一度試してみるのもアリですね!」


 ドラゴニュートやハーフドラゴニュートは武器を使うよりも自身の拳や脚で戦ったほうが強い。

 ただしクォーターとなるタルハはドラゴニュートベースで隔世遺伝もしているとはいえ、これからのことは未知数だ。見た目は純血に近くとも身体能力はエルフノワール寄りだという可能性もある。

 ならば護身に使える技術は多く身に着けていたほうがいいだろう、とリオニャは納得した。何事も選択肢があるのは良いことだ。


 木刀なら王宮でいくらでも用意できるが――初めの一本は自分で選び、自分の手で贈りたい。

 そう決めたリオニャはマニュラと武具店に訪れ、初心者向けの木刀を購入する。

 相当な力でも折れない硬い木材を使用したものだ。

 これもマニュラのアドバイスを元にしたチョイスである。


 無事に土産の決まったリオニャがほくほく顔で道を進んでいると、マニュラが不意になにかを思い出したようにリオニャを見上げた。


「さっき素手で戦うなんてカッコいいなぁと思ったんですよ。その時に既視感があったんですが……故郷に魔獣が現れた際に助けてくれた方も、武器を使わずあっという間に倒したのを思い出したんです」

「えっ、聖女マッシヴ様ですか?」

「いえ、男の方でした。その後も数日間滞在して復興のお手伝いをしてくださって、なのにお代は下級の魔石でいいとおっしゃったんですよ。たしか名前は、ア……ア、ええと……」


 リオニャは丸い目を更に丸くし、足を止めてマニュラの顔を見つめる。


「アズハル?」

「ああ――はい、そうです、たしかアズハルさんでした! って、お知り合いですか? もしかして同じ門下とかそういう……?」


 マニュラの中ではリオニャの話で思い出しただけの存在であり、場繋ぎ的な話題として持ち出したものだったが、名前を当てたことで繋がりがあるのではと思い至って同じ拳法を習った仲だと解釈した様子だった。

 リオニャはくすくすと笑うと手を素早く横に振って訂正する。


「いえ、父です」

「ち、父!?」

「いや~……あの人も変わるものですね。マニュラさん、ご親戚が見つかった後でもいいのでもう少し話を聞かせてもらってもいいですか?」


 タルハへの良い土産が増えた。

 そう微笑み、リオニャはマニュラの手を握って目を輝かせた。


     ***


 幸いにもマニュラの親戚は居住地を移しておらず、彼女の祖母の兄が存命していたこともありスムーズに話が進んだ。


 ひと騒動あったのはむしろ見つかってからである。

 マニュラの親戚はレプターラの中でも比較的善良な人間であり、アズハルが王だった時代も心ない扱いを受ける異種族を不憫に思っていた。

 だからこそ現国王であるリオニャが掲げる人間と異種族の共存についても賛成しており、国の催しによく出向いていたという。


 つまり、親戚たちはリオニャの顔をしっかりと認識していた。


 国王が突然遠い親戚を伴って家にやってきたのである。

 結果、リオニャは初めてノータイムで腰を抜かす人間を数人連続で見ることになった。目に見えない魔法でも放ったような気分になったのは言うまでもない。


 マニュラも他国から来たこともあってリオニャの顔どころか名前も把握しておらず、ただ最近王が変わったという認識しかなかった。

 言葉の端々に違和感があっても「良い家門の娘さんなのかな?」と納得していたそうだ。そのためまったくと言っていいほど気づいていなかったが――


「わたしとしては気にせず接してくれたほうが嬉しいです~」


 ――とリオニャ本人から申告され、アズハルの話をする頃には今まで通りに戻っていた。短い間とはいえこれまでの会話でリオニャの人となりが伝わってきたからというのもあるだろう。

 だからこそマニュラには気になることがあったのか、声を潜めつつもおずおずと訊ねた。


「リオニャさんは突然王様になることになって辛くはありませんか?」

「準備期間はありましたし、仲間もいるので平気……とは簡単には言えないけれど、レプターラを良い国にしたいという気持ちは紛れもなくわたし自身の望みですから」


 我が子に住みよい国をあげたい。


 それは他者のための願いだと思う者もいるだろう。

 しかしリオニャにとってはすべて自分の願いだ。

 外の世界も知った今、将来的にもしタルハが別の国で住みたいと言えば後押しし、我が子のいなくなった国でも今まで通り大切に守っていくだろう。

 レプターラを良い国に育てていくことは、それほどリオニャの生きる目標になっていた。


「まだまだ改善すべきところは沢山あります。きっと思い通りにはいきません。けれど――それでもわたしの国なので。最後の最後までやれることをやりますよ」


 これからマニュラさんが住む国でもありますしね、と。

 そうリオニャが微笑むとマニュラも嬉しそうにはにかむ。


 そうしていつかアズハルが十年の追放期間を終え、ここへと戻ってきた時。

 今日の話をタルハへの土産話にしたように、これまで頑張ってきたことを父に話したい。


 そんなささやかな願いを目標に加え、リオニャの休日は終わったのだった。

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