第315話 傀儡処置実験へ

 今このタイミングでラタナアラートへ傀儡処置実験の調整に向かうことになったのは、定期報告に『実験対象がここ数ヶ月にわたり不安定』という一文があったからだ。

 傀儡処置実験とは文字通り魔獣・魔物を傀儡のように操る技術である。

 ただし未だ実験段階であり実用には至っていない。

 魔獣の類にはなぜか洗脳や催眠魔法が効かず、テイムもすることができないが、魔法に加え機械的な技術を用いると操れる可能性があった。ただし針の穴に糸を通すような繊細な調整が必要で、ナレッジメカニクスでは今のところ一部の幹部とシェミリザしか担当できないものだった。


 これを成功させたからといってナレッジメカニクスに実りは少ない。


 人手不足なのは一定の技術力や知識を持った戦力が不足していることが問題であり、単純な労働力が不足している分にはまだ何とかなっていた。――手は回っていないが現状これといって頭を抱えるほど皆悩んでいないともいう。

 そして魔獣は傀儡化しても技術面で力にはなってはくれない。

 もし今後知能の高い魔獣を傀儡化できたとしても、そこに至るまでの労力と釣り合わなかった。


 なら何故無駄ともいえる実験をするのか。

 それは実験結果が気になるからに他ならない。

 むしろ「それだけ」だ。


 思いついた技術が正解だと立証する、もしくは不正解だと確信するために行なっている。

 シミュレーションだけでは駄目なのだ。

 実際に現実でやってみて初めて結果が確定する、そんな類のものだった。

 シェミリザはこの傀儡処置実験の魔法部分担当、機械関連はオルバートが担当している。ただしオルバートは熱中期に入ると他のことしかやらなくなる場合があるため、副担当としてセトラスがついていた。

 今回はオルバートが意識明瞭な状態で出向くため、本来ならセトラスは本部でぬくぬくと自分の研究をできていたはずなのだが、所用があったため致し方ない。


「凄い眉間のしわだね、セトラス」

 荷造りを済ませたオルバートがセトラスの顔を見上げて言う。

 セトラスは眼帯の位置を直しながら答えた。作業の際にシァシァから与えられた目を使うため直前までこちらのメンテナンスもしてもらっていたのだ。

「あまり外には出たくないもので」

「君が嫌うものは既にすべて死に絶えているよ」

 オルバートの静かな声にセトラスは黙り込み、しかし無視はせず、ややあって小さく言った。

「そういう気持ちはもう風化してます。びっくりするほど。今はただ単に面倒なだけですよ」

「おや、なら残るかい? シェミリザにはこちらから言っておくよ」

 オルバートの一声ならシェミリザも聞くだろう。

 しかしセトラスは眉間のしわを伸ばさないまま首を横に振った。


「一度受けたことはやりますよ、それに前回様子を見に行ってからそれなりに経ってますからね。自分の目でも確認しておきたいので」

「怠惰なのに律儀なのね、セトラス」


 そう言って微笑みながら現れたのはシェミリザだった。相変わらず彼女の荷物はほとんどない。自前の転移魔法でどうとでもなるからだろう。

 セトラスは苦虫を噛み潰したような顔をすると「ほら、さっさと行きますよ」と出発を促した。


 ――まずはラタナアラートの協力者の元へ向かう。

 定期連絡を寄越しているのもその人物だ。

 せっつくセトラスを眺めながら、オルバートは事前に得た様々な情報を元に天気を予想し、滞在中に降りそうだな、と目を細めて傘を手に取った。


     ***


「セラアニスに目覚めの兆候?」


 ニルヴァーレが夢路魔法の世界でセラアニスの眠る大樹を訪れた翌日。

 訓練の際に伊織の体に憑依したニルヴァーレは、訓練を始める前に昨晩目にしたことを伊織とヨルシャミに伝えた。

「身じろぎした、声を漏らした、なんて微々たることかもしれないが……ヨルシャミ、魂を休めるために休眠した場合は静かに昏々と眠り続けるだけだろう? 僕ならそう調節する」

「まあ、たしかに……そうではあるが……」

 なにぶん初めての例であるため、それを目覚めの兆候と言っていいのかヨルシャミは迷った様子を見せる。

 しかしもし本当にそうなら吉報に他ならない。

 セラアニスの目覚めの時期はヨルシャミにもわからず、彼女が眠りについた当初から数週間後に目覚めるかもしれないし、逆に何百年も眠ったままになるかもしれないといった状態だった。それが数ヵ月で済んだなら僥倖だ。


「……よし、今夜にでも直接見にゆこうか。もう魂が癒えているなら寝かせたままというのも差し障る」

「リハビリしないとね! それなら任せろ、夢路魔法の世界の先輩住人として僕が色々教えてあげよう。たとえばヨルシャミがココアにまで砂糖を突っ込むこととか」

「お前の耳に砂糖を流し込むぞ、ニルヴァーレ」


 半分本気な声音で言いつつヨルシャミはニルヴァーレの右目を見る。

「私に返事は聞こえないが……イオリよ、お前も来るのだぞ。もし寝たままだとしても、セラアニスもきっと喜ぶ」

 ――伊織はずっと自分が直接会いに行ってもいいものかと迷っていた。

 セラアニスは満足していたが、自分は彼女の気持ちを断わってヨルシャミと一緒になったのである。

 そんな人間が再び目の前に現れたら、セラアニスなら嫌がりはしないだろうが――つらいのではないかと心配していた。

 しかし命を失い、今や肉体も他人に明け渡し、ニルヴァーレ以外の住人がいない世界で眠る彼女のためになる可能性が少しでもあるなら、一度は訪れておきたい。

 そして伊織自身が自分の意思で「見舞いに行きたい」という気持ちもあった。


「……ニルヴァーレさん、僕がわかったって言ってたとヨルシャミに伝えてくれますか」


 伊織はそうゆっくりと口にする。

 ニルヴァーレは伊織の気持ちを察したのか、口角を上げると「いいとも」と優しい声音で答えて頷いた。

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