第285話 少年よ○○を抱け

 イリアスから逃げたことで前とは違う道を通るはめになり、少し迷った伊織は予定の二倍の時間をかけてナスカテスラの私室兼研究室に辿り着いた。

 しかし出てきたのはステラリカだけ。

 聞けばここにはない資料を求めて本来の私室に移動したのだという。

「すみません、何か用事があったんですよね?」

「……っと、いえ、大丈夫です。明日出直しますね」

 少し残念だが致し方ない。完全な私室にわざわざ押し掛けるのはさすがに失礼だろう。

 会えると思っていただけに落胆はあるが、ここは粘らず引き返すことにした。


(明日は母さんたちも居ないし……もし出来るなら何か手伝えることがないか訊いてみようかな)


 寂しい、というのもあるが手持無沙汰ここに極まれりなのだ。

 やることがないなら自分で見つけに行くしかない。手伝う相手はナスカテスラでもステラリカでもいいし、アイズザーラたちでもいいだろう。

(けどおじいちゃんのお手伝いか、憧れだけど王様だし僕にできることはあまりなさそうだなぁ……)

 前世での母方の祖父は仕事や日常のあれこれ等すべて自分でできるタイプで、家に呼ばれたことは何度かあったものの、そこで何かを手伝った覚えはない。むしろ手を出すと叱られたのである。

 何かを手伝おうとしたら喜んでくれる祖父、というのがいまいち上手くイメージできないが、アイズザーラの人柄を見ていると気持ちに寄り添った考えをしてくれそうだなと伊織は感じた。

(それに……)


 まだ面と向かっておじいちゃんと呼べていない。


 いくら身内でも王様相手だと失礼だろうか。でもちょっと呼んでみたい。そんな葛藤をしつつ、伊織は「明日はおじいちゃんに仕事がないか訊いてみよう!」と決めた。


     ***


「な、ナスカテスラさんに届け物?」


 ――しかし、翌日アイズザーラから頼まれたのはそんなおつかいだった。

 なんでもしばらく前に「実験で使いたいから取り寄せてくれ!!」と頼まれていた乾燥薬草がようやく届いたらしい。

「今朝イリアスから聞いたんやけど、イオリ、昨晩あの辺おったんやろ。もしナスカテスラに用があったんなら会えんかったんとちゃうか?」

「な、なんでそこまで……」

「私室戻る前にあいつが王宮の倉庫の解錠許可貰いに来たからな。何時やと思っとんねんまったく……!」

 王宮の倉庫にも様々な資料が保管されているらしい。それを持って私室に引っ込んだ、ということのようだ。

「もし会えんかったんなら良いきっかけになるかなー、と思うたわけや。……お節介やったかな?」

 執務をこなしつつも伊織の様子をこそっと覗き見たアイズザーラは、完全に孫の反応が気になるおじいちゃんの顔をしていた。

 あれから聞いたがアイズザーラの孫はメルキアトラの娘のみで、その娘もまだ一歳未満だという。そのため食事会にはいなかったそうだ。アイズザーラにとって意思疎通可能な孫は伊織が初めてだったわけである。

 孫が祖父との関係に対して手探りなように、祖父も孫との関係に対して手探りなのだ。

 それを感じ取った伊織は表情を崩して笑う。


「ううん、ありがとうございま……ありがとう、……お、おじいちゃん」


 少し照れながらそう言うと、アイズザーラは捺そうとしていた判子を落として思いきり太腿に判をついた。


     ***


 部屋から出る直前にアイズザーラから「イリアスが迷惑かけてごめんやで」と謝られた。

 アイズザーラは自分たちがあまり構ってやれなかったのが原因だと思っているらしい。

(っていうか色々バレてるんだなー、あいつ……)

 祖父に大丈夫と伝えて退室した後、廊下を進みながら考える。

 落ち着いたらアイズザーラからも注意してくれるらしいが、バレていないと思っているイリアスはどれほどのショックを受けるのだろうか。

 アイズザーラはイリアスが人一倍評価に敏感で、自分を大きく見せようとする性質だと見抜いていた。このままでは生きにくいだろうと矯正しようともしたが、元の性格が強固すぎるのかなかなか上手くいかないという。


(昨晩も自分は何も悪いことしてないのに、って顔してたもんな。……僕だってちゃんとこっちの話も聞いた上できちんと誘ってくれれば……)


 行かないこともないのに、と声にせず呟きながら伊織は手に持った乾燥薬草入りの包みを見下ろした。

 雑念に囚われて道を間違っては大変だ。昨日散々うろうろするはめになった経験を思い出し、伊織は道をまっすぐ見据えて進んでいく。

 気にかかることはあるが、味覚さえ治ればあとは母たちの手助けをしに行ける。魔獣退治が一段落つけばベルクエルフの里の調査にも赴けるだろう。だからしっかりしろ、と伊織は自分に喝を入れた。


 が。


 その気合いが自然と続いたのは十数分間のことだった。

「……え、ま、まだ私室の方にいるんですか?」

「はい、すみません……よっぽど熱中してるみたいで……」

 応対したステラリカは眠たげな目をしながら頷く。どうやらナスカテスラがいないのでここぞとばかりに仮眠していたらしい。

 お休み中なのにすみません、と謝ってから伊織は彼女にナスカテスラの私室の場所を聞いてその場から離れた。

 しかしついついふらついた足取りになってしまう。

 余計なことを考えているからだ、という自覚があった。

(ヨルシャミ、まだ帰ってないんだよな……いやいやいやあの二人だったら問題のもの字もないんだけど)

 私室に二人きりで一晩中こもりきりというシチュエーションが心に引っ掛かってしまう。なんでだよ、と自分にツッコミながら伊織は足を早めた。

 余計なことを考える前にさっさと届け物を済ませてしまおう。

(ええと、たしかこの角を右って言って――)

 ステラリカの説明を思い出しながら曲がり角から顔を出す。するとそれらしきドアが見えた。なにせ『取り込み中』という札がかかっているのである。

 そこへ向かおうとした瞬間、そのドアが開いて伊織は反射的に元の曲がり角に身を隠した。

(……ん!? なんで隠れたんだ僕……!?)

 自分の行動に戸惑いつつそっと様子を窺う。

 部屋から出てきたのはヨルシャミだった。少しぼさっとした髪は頭の上で纏められ、なぜか服が一回り大きい。


 なぜか、服が、一回り大きい。


 その後に出てきたナスカテスラも服が変わっていた。ついでに眼鏡も。

 そんな二人がドアの前で親しげに話している。

 ああ、きっと資料漁りや検査に没頭するあまりお茶でも零したんだろうな、というまさしく以心伝心レベルの予想が瞬時に湧いたものの、それより先に伊織は自覚したことがあった。

「あー……これ、これはマズいやつだ……」

 呟きつつも二人を見る。

 自覚したそれは、今までよく気づかなかったなと思うくらい露骨な感情だった。


 要するに、伊織は心寂しさを餌に育てた嫉妬心にようやく気がついたのである。

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