第282話 大丈夫。

 会議室のような場所だった。

 席についた人々を前に立っているということは、何かを発表しているらしい。スライドだな、となんとなく理解したところでバルドはこれが夢だと理解した。

 蘇った記憶が夢という形で出てきたのは初めてだ。そもそもバルドは夢を見る頻度が少ない。

 (自由に動けるタイプの夢ではないようだけど……)

 映像として見ていればもっと鮮明に思い出すことができるかもしれない。そう思いながら夢の中の自分の行動を見守る。


 残念なことに細部が曖昧で、声も満足に聞こえなかったが――ああ、たしかにこんなことがあったかも、とバルドは漠然と思った。

 今までは過去の場面場面を何の繋がりもなく出されていただけだが、今回はこのシチュエーションに関連した事柄もいくつか頭の中に浮かんでくる。

(そうだ、なんか長いことかけて調べてたことの結果を発表してたんだっけ……なのにスライドの内容覚えてないとかしんどくないかこれ?)

 スクリーンには白色しか映し出されていない。

 だが夢の中の自分がスクリーンを指して何かを喋り続けているということは、実際にはきちんと表示されていたのだろう。

 座っている人の中から質問が飛んできた。

 名前を呼ばれたが聞き取れない。

 しかし、この雰囲気で思い出したことにバルドは小さく声を漏らした。


(学会……ああ、これ学会か! なら俺は何か調べる立場にあったのか? なんかサルサムに笑われそうだなぁ)


 似合わなさすぎると半眼になるサルサムが脳裏に浮かんできてバルドは笑う。

 恐らくこの影響で日本各地を飛び回っていたのだろう。行った先々の豆知識も得たし、テーブルマナーも必要に応じて覚えたし、道中で土産も買った。

(土産か……)

 それは帰る場所があるからこそ買うもの、という印象が強い。

 なら前世の自分の家はどんなものだったのだろうか。もっと日常に肉薄したものを見れば芋蔓式に沢山のことを思い出せるのでは、と期待した瞬間、夢がそれに応えようとしたかのように歪む。

 次に景色が正された時には辺りは闇が色濃く、夜だということが窺えた。携帯電話の明かり頼りに家の鍵を探しているところだ。待ち受け画面には誰かが写っていたがよく見えない。

(周りを見てないから手元しか見えないな、……っと)

 見つかった鍵を手に取る。

 その手が震えている。

 冬なのかな? とバルドが思っていると、前世の自分は震えつつも鍵を挿して解錠した。

「ッう――」

 ここでバルドは初めて夢の中で声を出した。

 玄関に足を踏み入れただけで、暗い室内を目にしただけで、シンと静まり返る世界を耳にしただけで。

 それだけで異様に胸が苦しくなったのだ。記憶を思い出すことはあれど、ここまでその当時の感情を追体験したのは初めてだった。

 不安感と寂しさだろうか。誰もいない家が恐ろしくさえ感じる。

 いるはずの人がいないから怖いのだ。

 その人がいない期間がどれだけ続くかわからないからこそ怖いのだ。


「……そんなに長引かない。大丈夫」


 バルドは落ち着いたトーンの男性の声がしてはっとする。前世の自分が自身に言い聞かせるようにして発した言葉だ。

 そのまま顔を上げ、日課として襟元を正そうと玄関に入ってすぐ吊ってある鏡を見て――そこに映った顔は、まだ20代の青年の顔だった。



「ッ!」

 寝入った時と寸分違わぬ体勢で目を覚ましたバルドは数秒間息を吸うことを忘れていた。

 ばくばくと脈打つ心臓に息苦しさを感じ、ようやくたどたどしい呼吸をしながら顔を上げる。夢から覚めた実感が湧かないまま部屋の中を見回すと、広い部屋は随分と静かに思えて恐怖心が湧いた。

 慌ててベッドの端に身を寄せて部屋の中の様子を窺う。

 その様子はまるで恐怖を感じて怯える犯罪者か何かのようだった。


 流れる冷や汗を止められないまま、呼吸だけはなんとか落ち着かせようと空気を深く吸い込み、バルドはよろよろとベッドから立ち上がった。


(僕……僕? 俺は……そう、俺はバルドだ。大丈夫)


 混乱した気持ちを抑えながら床に足を降ろす。

 初めて感情ごと思い出した影響で随分と混乱していたが、自分が誰かはわかっている。

 だから大丈夫だ、と再び自分に言い聞かせ、それが夢の中の自分とシンクロして頭を横に振った。

 バルドは身支度用に掛けられた姿見に目をやり、そこに映った自分の姿に顔を寄せる。もう何度も見てきた姿だ。なのに違和感を感じてしまうのはさっきの夢のせいだろうか。

「……お前、誰なんだ?」

 他意もなく思わず呟いたその言葉は、今この瞬間にとても見合っている気がした。


     ***


 伊織と静夏は昼を少し回った頃まで眠ったが、あまり寝すぎると昼夜逆転が加速してしまうため昼食は皆と一緒にとることになった。


 いつもより些かぼさっとした頭のまま伊織は欠伸を手で隠す。

「これ夜もぐっすり寝れそうな気がする……」

「このまま大切な話をするのが憚られるくらいだな」

 静夏も少し眠たげな目をしながら言った。

 昼食の後、昨日約束した通りランイヴァルが早めに手を打ちたい魔獣についての資料を纏めてきてくれたため、それを確認し話し合おうということになっていた。仕事があるためアイズザーラたちは立ち会えないが、代わりに静夏の兄のメルキアトラが共に話を聞いている。

 ランイヴァルはヨルシャミが頼んだベルクエルフの里の件もきちんと纏めてくれたようだが、当のヨルシャミがこの場にいないため一先ず目を通すだけになりそうだ。

 紙に書かれたいくつかの土地名をランイヴァルが指す。


「お疲れのところすみません。こちらが未対応・優先度の高い魔獣のリストです」

「ふむ、一枚目には三件か」

「はい。一つ目が王都からほど近いレビヘマという街に現れたゴーストスライム、二つ目がトバルアークという砂漠の砂中に住み着いているという魔獣、三つ目が空飛ぶ獅子の姿で各地の空に現れた魔獣です。他は二枚目から記載していますが、特に気になるのがこの三件ですね」


 ミュゲイラが紙面に目を凝らしながら口を開いた。

「砂漠のやつだけ魔獣としか書いてないの、なんでなんだ?」

「ずっと砂の中にいるため正確な姿がわからないからです。ただ被害だけは確実に出ており、先日は横断中の旅団五十名が三名を残してすべて食われたと報告がありました」

 その生き残りも魔獣の姿は見ていないという。

 音もなく近寄るタイプかもしれないが魔法による索敵なら引っ掛かるかもしれない。しかしそれを確かめるために現地に赴くにはとにかく遠く、そして暑い場所に慣れていない騎士団のメンバーが多いためなかなか直接出向けないでいたらしい。

「とはいえ砂上で活動しやすい装備や索敵に適した魔導師の手配は進めていたのですが、何分手が足らず……」

「ふむ、ひとまずこの三件の中で一番遠いと確定しているのはトバルアークか」

 静夏はしばらく考え、そしてリストから視線を外してランイヴァルを見る。

「ではまずトバルアークに我々で様子を見に行き、その場で対応できないようなら一旦戻って準備を整えよう。その準備期間中に動ける者で他の場所も確認する」

 何か言いたげなランイヴァルに静夏は笑ってみせた。

「遠征の足は気にしなくていい。これについては後で別途説明しよう」

「は……はい」

 転移魔石についてランイヴァルには話していない。

 元はナレッジメカニクスの技術であるため、身内間ならともかく騎士団に所属するランイヴァルには情報の取り扱いについてしっかりと説明する必要がある。

 騎士団ももしかするとナレッジメカニクスと敵対するかもしれないのだ、その纏め役が敵の技術を使っていては何か思う者もいるかもしれない。今ここで話の流れで口にするのではなく、落ち着いた環境で伝えようと静夏は考えた。


「皆、暑い場所へ赴くのに必要な準備について発案があれば聞かせてくれ。……あと伊織はここに残ってもらってもいいだろうか。ナスカテスラが突然追加で検査をしたがるかもしれない」


 伊織は難色を示しそうになったが、たしかにありえる。

 それに自分の味覚を治すために協力してもらっているのだ。こちらも指示に従ったり希望に寄せるのは筋というものだろう。

「わかった、とりあえず……水分と塩分はしっかり摂ってくれよ、あと母さんはなんか……」

「なんか?」

「……砂に埋まりそうだから対策練ってってほしい」

 伊織は至極真面目だったが、シュールな図でも想像したのかメルキアトラだけ不意打ちを食らった顔で噴き出すと口元を手で覆っていた。しかもそのまま震えている。

「ふふ、兄様は相変わらず笑いの沸点が低いな」

「クールでカッコイイのに笑いやすいんだ……」

 関西――もとい王族訛りでいう「ゲラ」というものだろうか。

 ウサウミウシの件の時も噴くと本気で言っていたのかもしれない。

 伊織はそう思いつつも、笑ってもらえる方が親しみを持てていいなぁと自分の口元にも笑みを浮かべた。何を想像したのかは後で聞くが。


「それと……バルド」

「んえ? 俺?」

 端で静夏たちの様子を見ていたバルドは突然自分を指名されて驚いた顔をした。

「顔色が優れないようだが大丈夫だろうか。無理に同行せず残っていてもいいが――」

「ああ、……あはは! ただの二日酔いだよ二日酔い!」

「お前アルコール飲んでなかっただろ」

 サルサムがツッコミを入れると同時にメルキアトラが崩れ落ちる。


「飲んでないのに二日酔い……ッふふ、っく……」

「笑う要素あったか!? 本当に箸が転がっても笑えるんじゃないかこれ!?」

「要素は私にもわからないが、兄様は一度ツボに入ると笑いの沸点が更に低くなるんだ」

「ほんと愉快な家族だな……!」


 まあ俺はこういう方が好きだけど、と若干苦笑いしつつも返したバルドの顔色は、ついさっきより少しだけ良くなっていた。

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