第227話 温泉ダイブ!

 体躯の大きなワイバーンが突然村の中に現れれば住民が驚いてしまう。

 魔獣と召喚獣は異なる存在だが、それを見分けられる者は一般人には少ないのだ。


 そのためワイバーンの命名そのものはミヤコの里の宿泊期間が終わり、準備を整えてから火山へ向かう道中で行なおうということになった。

 この一帯ならば飛行困難になるほどの吹雪に襲われる心配は少ないだろう。

 村から少し離れたら火山への移動にワイバーンを呼び出してもいいかもしれない、という話も出た。


 そう流れが決まり、さあ今夜は訓練はせず休息を優先しようか、となったところでニルヴァーレが口先を尖らせた。


「ところでイオリ、ヨルシャミ。ちらちらと聞こえていたが君たち温泉に入ったようだね?」

「あっ、はい、今ミヤタナというおばあさんがやってる温泉宿に泊まってて」

「なんだニルヴァーレ、お前も入りたくなったのか?」


 その通り! とニルヴァーレは勢いよく頷く。

 なんでもニルヴァーレも温泉そのものは入ったことがあるが、日本式に整備されたものは経験がないという。

 長く生きている二人が二人とも経験がないということはやはりかなり珍しいものなのだろう。


「東の国には似たものがあるかもしれないけどね、用がなきゃそんなに東まで行くこともなかったし。うーん、しかしもしあるなら入っとけばよかったなあ、なら君たちと同じ経験を共有できたのに」

「……ふむ。それならここで再現すればいいだろう、ついでに訓練にもなるしイオリに再現を任せてはどうだ」

「僕? 前にやったイメージの反映を温泉ですればいいのか?」


 ヨルシャミは頷き、ニルヴァーレは「その手があったか!」と隠しもしない期待の眼差しで伊織を見た。

 ロスウサギの小屋を再現した時のことはよく覚えている。あの時の感覚も。

 やれ、と言われればやれる気が伊織はした。加えてニルヴァーレも喜んでくれるなら一石二鳥だ。

 やってみると頷いた伊織は夢路魔法の主であるヨルシャミと手を繋ぐ。これで主に許可を得た形になるので反映が可能なはずだ。


 楽しかった思い出と共にミヤコの里の温泉を思い出す。


 景色だけでなく湯の温度も今なら細かく再現できそうだ。

 伊織はそれを夢路魔法の世界に反映させるべく集中し――あまりにも。そう、あまりにも温泉を中心に想像したため、足元にそれは再現された。


「……へ」

「おや」

「むっ!?」


 それぞれ同時に短い音を発し、突如消えた地面の代わりに現れた温泉の中へと突っ込む。

 ばしゃーん! という派手な音がして辺りに湯気が立ち込め、それを淡く色のついた湯の中から見上げた伊織は慌てて浮上した。

 見れば温泉だけでなく見える範囲の景色や屋根、雪の様子や気温も再現されている。

 伊織は安堵したものの心配すべきところは他にもあった。


「すっ、すみませんっ! まさか直で突っ込むとは……」

「あははは! 次はもう少し再現位置に注意した方がいいね!」


 服を着たまま全身びしょ濡れになったというのにご機嫌な様子でニルヴァーレは笑う。

 そのまま服を脱ぎ、伊織の上着を脱がせつつ周囲を見た。


「なるほど、広くて解放感があるのに外からは見えないようしっかり配慮してある。良い場所じゃないか」

「そうなんです、おかげで手足もゆっくり伸ばせて。それにちょっと高い位置にあるんで、柵から外を覗くと景色がいいんですよ。ただ……」


 景色が見えるところまで裸で近寄るとちょっと寒いです。

 そう伊織が笑うと、上手く想像できたのかニルヴァーレも「そうだろうなあ」と笑い返した。そして満足げに温かな湯を自分の肩へとかける。


「しかしこの体になってから湯に入るなんて久しぶりだ。人らしい生活に興味があるわけじゃないが、ルーティンワークがあった方が時間を潰しやすいから、今後は定期的に入ろうかな」

「それ、僕らがここへ来た時に鉢合せするフラグじゃ……」


 古からのお約束且つ王道の展開である。

 先ほどのベッドで添い寝の件といい、ニルヴァーレとそういうイベントに見舞われすぎるというのも考え物だ。

 しかし伊織はそれも何度目かで慣れてしまう気もしていた。人間は色々な意味で強かだ。


「……で、だ。私は何見せられているのだ?」


 やや不満げな低い声。

 伊織がハッと声がした方を見ると、いつの間にか男性の姿に戻ったヨルシャミが湯舟のふちに寄りかかる形で入浴していた。

 眉間にはしわがありありと寄っている。湯気越しでもわかるほどだった。


「おわっ! ヨ、ヨルシャミ、一体いつの間にその姿に――」

「イオリならともかく、ニルヴァーレにセラアニスの裸体を見せる気にはなれんのでな」

「あれで遠回しに爆弾発言してるって気づかないんだから凄いよね」

「僕に振らないでくださいよ……!」


 揶揄うニルヴァーレにひそひそと言いつつ伊織は首を傾げた。

 ヨルシャミの言う「見せられている」とは何のことだろうか。

 ニルヴァーレの全裸ならつい先ほど二人とも見たのに、と考えたところで、景観以外はまだイメージの反映を行なっていないにも関わらず自分も真っ裸になっているのに気がついて伊織は仰天する。


「ちょっちょっなんで!? 靴下までない!? ヨルシャミが反映した!?」

「ま、真っ先に私を疑うでないわ! さっきから凄まじくスムーズな動きでニルヴァーレが脱がしていただろうが……!」


 そういえばたしかに物凄く自然な流れでニルヴァーレに脱がされた気がする。伊織はそう口を半開きにしてハッとした。

 思わぬ手腕、そしてそれを自然と受け入れてしまった自分に伊織は頭を抱える。

 一方、当のニルヴァーレはきょとんとしていた。


「温泉に入るんだから脱ぐのは当たり前だろ? ……あ! そうか! ヨルシャミも脱がしてほしかったんだね!」

「その前向きさのせいで悪夢でも見ているかのような気分だ! というか悪夢だ!」

「と、と、とりあえず、たしかに入浴するなら脱がなきゃならなかったし、ここは手間が省けたってことで……! あ、そうだ」


 伊織はいそいそと湯の中でヨルシャミの手を握り、ちらほらと降ってくる粉雪を再現した。

 そして二人に笑いかける。


「……こういう形で三人で入れることはなかなかないんだし、今は楽しみましょうよ。ね、ヨルシャミ、ニルヴァーレさん」


 腰を浮かしかけていたヨルシャミはムムムと唸りつつも、根負けした様子で湯に浸かりなおして足を組んだ。

 ニルヴァーレは機嫌良さげに粉雪を摘まもうとしながら「じゃあゆっくりさせてもらうよ」と笑う。

 ほっとしながら伊織は湯に身を任せた。

 ――こうして一日に二度も温泉を楽しめるなんて贅沢なことだ。

 ミヤコの里では朝や昼でも指定時間内なら入浴可能らしいので、夜以外に入るのも一興かもしれない。そう思いつつ伊織はヨルシャミを見る。


「そういえば気になってたんだけど、ええと……それ、刺青か何かなのか?」


 ヨルシャミの体、普段服で隠れている場所にトライバル柄に似た黒い刺青が彫られていた。

 胸部から左腕の一部、太腿、今は見えないが背中側にも少し入っている。

 もちろんセラアニスの体の時にはないものだ。ヨルシャミは「ああ」とそれを特に珍しいものでもないといった様子で見下ろすと口を開いた。


「里の習わしでな、魔力量の多い者が幼少期に施す魔力安定目的の刺青だ。とはいえ効果は微々たるもの、風習的な魔除けの意味合いが強いな」

「へえ、今まで全然気づかなかった……」

「普段は見えぬところに彫るもの故、当たり前と言えば当たり前だ。見える位置で魔力安定を目的に施すなら専用の装飾具を使うことの方が多いぞ。手軽に手に入ればイオリにも使わせてやれるのだが……」


 魔力量が多すぎて支障が出ている伊織にはぴったりかもしれない。

 ただし伊織の魔力は常識外れの多さのため、施術者によるが効いても雀の涙程度かもしれないなとヨルシャミは口角を上げる。


「まあ……役に立つか否かはさておき、安定して魔法を使えるようにするための手段というのは存外多い。イオリよ、もし訓練しても改善が難しかったり、今後別の問題に直面したとしても試行錯誤の余地はあると思っておけ」


 すぐに諦めなくていい、とヨルシャミは言っているのだ。

 こういうところは師匠っぽいなと感じながら伊織は嬉しそうに頷いた。そして「そうだ!」と良いことを思いついた顔で手を叩く。


「ヨルシャミ、流れでそのまま入っちゃったけど髪や背中を洗ってあげようか? 宿では一人だったからまだ経験ないだろ?」

「へぁ? あ、ああ、うむ、そう、そうだな、経験はないが」

「なら決まり! ……その、一番最初は僕がいいなーなんて思ってたんだ」


 もし混浴の時間に入れたとしても、さすがに皆の前で背中を流すのは抵抗感がある。

 だからいい機会だと伊織がはにかむと、ヨルシャミは無言のまま耳をばたつかせた。湯の雫が飛ぶ。

 そのまま洗い場へ歩いていく二人を見送りながら、両腕を組んだニルヴァーレは肩を揺らして笑った。


「ヨルシャミは僕に見せつけられたと思って怒ってたようだけれど……ははは、見せつけてるのは一体どっちだろうね!」

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