第七章

第219話 ララコアの温泉宿

 ミラオリオから村をひとつ経由し、犬ぞりで日暮れぎりぎりまで走った先にある小さな集落。

 そこでロンと別れた伊織たち一行は更に小さな山を一つ越え、点在する村を訪れながら目的地であるボシノト火山を目指していた。


 幸いにもララコアという村の周辺は山の位置の加減か大雪に見舞われることが少なく、ミラオリオより楽に移動ができる。

 ただしあくまで『比較的』であるため、道や屋根には白い雪が目立っていた。


 ララコアに到着したのは日が沈みつつある時間帯のことだ。

 そろそろ携帯食料の残量も不安になってきたため、ここに数日滞在しようという話になり、では宿を探そうと伊織たちは村の中を歩いていく。

 ミュゲイラはリュックの中を覗きながら眉を下げた。


「こう寒いと野生動物も少ないから、食料がすーぐなくなっちゃうのが困りものだよなぁ……」

「だからって買い込みすぎると重いしな」


 ミュゲイラの言葉にバルドがそう言って頷く。

 静夏やミュゲイラなら軽々と荷物を持ち運びできるが、他のメンバーは話が違う。たとえ成人男性でも同様だ。

 だからといって全員の荷物を二人に任せるわけにもいかない。

 伊織は足を進めながら考える。


(早く長距離移動に活かせるように魔力譲渡の練習をしないと……)


 あれから練習しようにも移動が存外重労働でなかなか集中ができなかった。

 旅人が少ないため宿の存在しない村もあり、そんな時は一般人に部屋を借りられないか探し回る作業もあったためリラックスできる環境とは程遠かったのだ。

 バイクを活かすなら引き続き魔力譲渡の練習を。

 ワイバーンを活かすならまずはニルヴァーレ発案の『名付け』からだ。


「……名前かぁ」


 あれから数日、伊織はずっとワイバーンの名前について悩んでいた。

 気軽に付けてしまえばいいと思ったこともあるが、これはペットに名前を付けるよりも子供に名前を付けることに近い。

 なにせワイバーンは知能を持っているのだ。

 言葉は話せないが、過去に人型になりバルドやサルサムと接していたということは条件さえ揃えば会話も可能、更にはワイバーンの姿でも人語は理解している可能性が高い。

 変な名前を付けてストレスを与えたくないな、というのが伊織の素直な気持ちだった。

 しかしいくら素直にそう思おうが良案がぽんと出てくるわけでもなく、今なお心の中に課題として残り続けている。


 そう悶々と考えていると、伊織の前を歩いていた静夏が足を止めた。


「母さん? やっぱりこの村も宿が無――」

「いや、あった。が、これは……」


 不思議な返答に伊織は静夏越しに前を見た。逞しすぎる背中、というより腰に遮られて道行く先が見えなかったのだ。

 そして二度見した後に何度か瞬きを繰り返す。

 なんだなんだと同じ方向に視線をやった一同も珍しげな表情を見せた。

 道行く先には石造りの階段があり、それを上った先に一目でそれとわかる宿がある。大木を縦に切ったと思しき看板に彫られたのは宿の名前で、そこにははっきりとこう書いてあった。


 『温泉宿 ミヤコの里』――と。


 転生者の翻訳能力がきちんと仕事をしているのなら、書いてあるそのままを信じていいのだろう。

 伊織がちらりとリータたちを見ると、彼女らも「温泉?」「温泉宿があるんですか?」とそわそわしていたため誤訳ではなさそうだ。そわそわしすぎて耳をばたつかせてしまいイヤーマフがずれている。


「ミラオリオでも共同で使ってる温泉があるっていうくらいだったのに、わざわざ宿にしてるなんて珍しいな」


 バルドが白い息を吐きながら呟く。

 たしかに、と思いつつも営業しているのなら行きたいと伊織も浮足立った。

 なにせ雪が少なくとも寒いものは寒い。今だって着込んでいても手足の末端は冷えていた。

 皆の気持ちを汲み取り、静夏は再び足を動かしながら言う。


「部屋が空いているか確認しよう。数日滞在するなら羽を伸ばせる場所の方がいいだろう」

「よっしゃー! ありがとうございますマッシヴの姉御!」

「よかった、部屋が空いてたら服の綿をもうちょっと増やせます!」

「リータさん、そういう作業よりゆっくりすることを優先した方が……うおっ」


 リータに休息を勧めようとしたサルサムと強引に肩を組み、バルドは先行して階段を上り始めた。


「ほらほら行くぞサルサム!」

「お前な、滑って転んだらどうするんだ……!」

「すまんすまん! いやー、温泉って久しぶりでさー! なんかテンション上がっちゃって――前に話した草津温泉が最後だったかな? いや、それとも他の温泉だったか……ううん……」


 バルドは記憶の欠片を拾い上げて思案する。

 雪の積もった階段を踏みながら考えごとをするな、とサルサムは半眼になった。


 そうこうしている間に温泉宿の前まで辿り着いた一行は中の様子を窺う。

 外観は洋風だが所々和風に見える。ちぐはぐな印象に不思議な気分になりながら伊織は中へと入った。

 ファンタジーゲームに出てくる和風の国の宿、といった雰囲気だ。

 等間隔に付けられた灯りの下にカウンターがあり、そこで半纏を着た皴の深いお婆さんがうたたねをしている。

 静夏がゆっくりと近寄って話しかけるとお婆さんは目を覚まして客を迎えた。


「はいはいすみませんねぇ、ちょっと寝てたみたい……で……ありゃぁ……こりゃたまげた、立派な筋肉だ。旅の方ですか?」

「ああ、数日……そうだな……今夜を含めて三泊したい。部屋は空いているだろうか?」


 そう訊ねるとお婆さんはにっこりと笑って頷いた。


「ありますとも、何部屋必要で?」

「ふむ、部屋が大きいなら一部屋、狭いなら男女で二部屋だと助かる」

「なら広い大部屋がありますから、そこを使ってくださいな」


 移動しながら話を聞くとお婆さんは名前をミヤタナといい、この宿の六代目だという。

 初代はミヤコという名の女性で、彼女は故郷の宿を模してこのミヤコの里を作ったとミヤタナは話す。


「初代は不思議な力でこの辺一帯を守ったらしくてね、与えられた土地を自由にしていいって言われたんでこうして宿を作ったらしいんですよ。幸いいくつかの隣村と近いし、数日の距離に大きな街もあるから中継してくれる旅人さんがいましてね、おかげで何とかやってけてます」


 初めは趣味で作ったんでしょうけど今はもう六代目ですよ、とミヤタナは笑った。

 伊織は静夏とバルドを見上げて小声で言う。


「……もしかしてミヤコさんって転生者か転移者かな?」

「いやー、少なくともこの世界にも東に中国っぽい文化の国があるみたいだし、日本みたいな国もあるかもしれないぞ」


 だが仮に転生者もしくは転移者だとして、ミヤコはもうこの世にはいないのだろう。ならここで「じつは自分たちもそうなんですよ」と明かす必要はない。

 そう伊織は思ったが――ただ少し、ほんの少し、故郷にまつわるものに触れたようで伊織は心がむず痒くなるのを感じた。

 その時、ミヤタナが音もなく足を止めて襖を手で示して言う。


「着きましたよ、ここがシレトコの間です」

「……」

「知床……」


 伊織はそっと廊下に並ぶ他の部屋も確認する。あまり意識して見ていなかったが、それぞれの部屋の出入り口脇には部屋名の札が掛かっていた。

 見える範囲にあったのは『クシロの間』『トカチの間』『ワッカナイの間』そして『オシャマンベの間』だ。

 伊織とバルドは顔を見合わせる。


「……転生者か転移者だな」

「うん、転生者か転移者だな」

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