第204話 母の成長
静夏が小屋ごと連れ帰った人々は集会所に運び込まれ、衰弱や凍傷の酷い者から治療を受けることになった。
しかし不思議と死者はおらず、操られていた犬も伊織たちを追っていったもの以外になるが健康状態は良好だったという。
――集会所にある小部屋にて、狼頭の雪女をシロと呼んだ男性と向い合せに座りながら静夏は話を聞く。
男性の名前はアルヌイ。
聞けばこのアルヌイがミセリの夫だという。戦う静夏の邪魔をした際は直後に雪崩が起こったこともあり何も言わなかったミセリだったが、治療を受け指を切り落とすほどの凍傷ではない、と診断を受けるなりアルヌイを頬をこれでもかとつねった。
ただのつねりではない。あの筋肉を持つミセリの渾身のつねりである。
このつねりがおっさんの死因になるんじゃね? と地獄絵図を見ながらミュゲイラはそんな感想を抱いた。
ミセリはミセリで怒りがおさまらない様子でアルヌイに詰め寄る。
「まさかアンタがあの魔獣を呼び込んだんじゃないでしょうね!?」
「いや、違……うんだが、当たらずも遠からずっていうか……」
「どういうこと!?」
アルヌイがもう一度つねられそうになったところで、静夏が太い腕を夫婦の間に差し込むようにして制止した。
「ミセリ、力を罰に使う時は冷静に。アルヌイも後ろめたいことがあるようだが、隠さずに教えてくれないか」
「……はい、すみませんマッシヴ様」
「俺もすみません、……ミセリ、お前も心配したから怒ってくれてるんだよな」
肩から力を抜きつつアルヌイは「話します」とイスに座り直した。
――なんでも、その魔獣は初めは子犬のような姿をしていたという。
雪の降る日が増え始めた頃。
こうなると地元民でもそう山に入る機会はなかったが、たまたま山小屋に忘れ物をしたアルヌイは何日経ってもそれが気になって仕方なかった。
特に価値のあるものではない。ミセリが弁当を包んでくれた風呂敷である。しかしだからこそここまで気になる要因にもなっていた。
ある日天候の良い日を見計らって取りに行くと、山道で子犬を見つけ、万一の時のために持ち歩いていたクッキーを少し分けてあげたのだという。
「子犬っていってもこりゃ大きくなるタイプだ、もしかすると狼の子かも。だとしたら親とはぐれたのかな、と思って……野生動物に手を貸すのはご法度だってわかっちゃいたんですが」
しかし子犬がクッキーを食べることはなく、しばらくアルヌイと戯れた後いつの間にかいなくなっていた。
そのまま帰宅したアルヌイだったが、吹雪くたびあの子犬は大丈夫だろうかととにかく気になる。結局ひとつ気になることを解消しても次の気になることが出てきてしまったのだ。こっそりと様子を見に行くこともあった。
すると足を運ぶたび子犬の方から出てくるようになり、アルヌイはその子犬にシロと名付けたという。
だが、ある日シロは一目で見てわかるほど異常に成長していた。
見た目はまだ普通の狼の範疇内だったが、昨日は子犬だったというのに二日見なかった間に成犬サイズである。アルヌイは初めそれをシロの親だと思ったが、仕草や挙動が明らかにシロのそれで混乱した。
不思議な狼だ。
もしかすると山の神様かも。
そんなことまで思ったそうだが、幾度目かの大きな吹雪の後にシロの元を訪れると再び姿が変わっていた。
頭は狼、そこから下は人間の女という奇妙な姿に。
「……さすがにこれはおかしいと思ったんです。それにあの狼なのに人間の目をしているところ。その目付きを見たら、神様じゃなくてこりゃ魔獣かもしれないって本能がやっと警鐘を鳴らした。けど……」
そんな姿になってもシロは『アルヌイに懐いたシロ』のままだった。
しかし数日が経ち、街の男性と犬が失踪するという事件が起こり始めた。
アルヌイはすぐに「シロの仕業かもしれない」と思ったが、この段階でも疑うことを申し訳なく思う気持ちもあったらしい。
皆が不思議に思ったり一線を引くものに対して器が大きい、そんな人柄なのだろうと話を聞いていた静夏は思う。
シロはアルヌイに木の実を持ってくることがあった。実っているものではなく、リス等が木のうろや地面に隠しておいたものだ。
餌を与えているつもりなのか、はたまた遊んでくれているお礼か。
それを受け取るたび、シロがそんなことをするはずがないとアルヌイは思っていたが――ついに知り合いまでもが消えるようになり、シロに会うためではなく真相を調べるために山へと向かい、その途中で自分までもが標的になってしまった、ということらしい。
「悪い奴じゃない、はず……だったんです。けど魔獣は魔獣だったんですね……」
「――今までそのように人に懐いた魔獣の例は聞いたことがない。だがあの魔獣は戦っている最中に不思議な二面性を見せていた」
静夏は戦闘中のことを思い出しながら言う。
「思うに……魔獣が何らかの理由で人間に近づく進化をし始めた。しかしそれは魔獣と人間の境目を曖昧にするものだ。メリットもデメリットもある。今回はメリットとして人間の懐に潜り込みやすくなったが、デメリットとして仲間意識を持ってしまったのではないだろうか」
「仲間?」
「魔獣は、シロは小屋を守っていた。そして逃げられないようにしていたが、殺しもしなかった。それは魔獣の本能と進化で獲得した感情が衝突していたからではないかと思う。……確証はないが、間近で見てそう感じた」
シロは魔獣として成長するたび本能が強くなっていき、それを抑えることができなくなったのではないか。
もしかすると雪を操る特性からして、シロの成長を促すキーは吹雪だったのかもしれない。そう考えながら静夏はシロの冷たい感触を思い出す。
「もしそうなら、アルヌイが手を出さずともこの失踪事件は起こっていたことになる」
「け、けど、事前に誰かに相談していれば……」
「ここからでは騎士団への要請も時間がかかってしまうだろう?」
騎士団からミラオリオへの派遣は魔獣の危険性が大きければ高位魔導師の同行でいち早く行なわれるかもしれない。
しかし転移魔法や召喚魔法を使える魔導師のいないミラオリオから王都へ要請をするのには時間がかかるのだ。
それにこの天候の不安定さ、そしてアルヌイと接していた段階での魔獣の危険性の低さからすぐに騎士団が来てくれるとは思えない。きっと騎士団は最近の魔獣の強化で手が足りない状態だろう。
静夏はそう丁寧に伝えながらアルヌイの瞳を見る。
「アルヌイよ、お前も被害者だ。しかし心にわだかまりがあるなら、自分の意思で皆に話し雪崩の復旧作業をするといい」
山のどこかで起こったと思しき雪崩は街までは到達しなかったが、恐らく雪の季節が終わった頃に山の幸を採り獣を狩る地区を巻き込んでいる。
もちろんアルヌイが責任を取るべきことではないが、罪悪感があるなら償う道があると静夏は示した。
そこでミセリが口を開く。
「マッシヴ様、私も手伝います」
「ミセリ……」
「ほらあんた、しゃんとしてよ。回復したら皆に挨拶回りして、春になったら山の整備よ。小屋もいくつか巻き込んでそうだけど……腕が鳴るわ、丸太くらいなら何本でも運んじゃうんだから!」
「う……うぅ、さすが俺の惚れた性格と筋肉だ……ごめんなぁ!」
抱き合う二人を見て「良い夫婦だ」と頷く静夏の耳に集会所の扉が開く音が聞こえた。
しばらくして誰かが会話している気配がし、そして小部屋へのドアが開く。
現れたのはこれでもかと全身が雪にまとわりつかれたサルサムと、なぜか赤く染まりぼろぼろになった服を着たバルドだった。
ミュゲイラがバルドの姿を見て一歩引く。
「なんだよその斬新なファッション……!」
「どんな姿でもイケてるだろ? いや俺も腹出しはどうかと思うんだけどさ」
腹出しルックになった理由を知っているサルサムは視線を逸らしつつ静夏に近寄った。
「それより伊織とヨルシャミが雪崩に巻き込まれた」
「……!」
「ワイバーンで防御していたから無事だとは思うが、この寒さと視界の悪さだ。助けに向かうなら出来る限りのサポートはするが」
静夏は僅かに視線をぶれさせる。
息子のこともヨルシャミのことも心配だ。特に伊織に関して静夏は聖女としての覚悟とはまた違う、母親としての覚悟が必要があった。
一瞬答えに窮した静夏をバルドがじっと見つめ、手を伸ばしかけたが――静夏は目元に力を込めて言う。
「あの二人が揃っているならばきっと大丈夫だ。それに今探しに出れば余計に手を煩わせることになる」
筋肉に愛された聖女マッシヴ様ならこの吹雪の中でも歩き回ることはできる。
しかし人を探せるかといえば話は別だ。視力は人並み、地形にも詳しくない。だからといって案内を頼むのも天候が過酷すぎる。
吹雪が止むまでここで治療の手伝いをする、と静夏は言った。
バルドは鼻から抜けるような声で笑う。
「強くなったなぁ。伊織だけでなく静夏も母親として成長してるじゃないか」
「そうだな、これが成長と呼べるかどうかはわからないが……伊織がこの世界で目覚めたばかりの頃ならすぐに走り出ていただろう」
この吹雪は魔獣によるもの。
なら自然のものより早く止むかもしれない。
そう祈りながら、静夏は真っ白になった窓の外を見た。
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