第197話 『目』の仕事
犬を連れたままミラオリオの方へ戻るわけにはいかない。
比較的なだらかな場所へ向かいながら伊織はバイクを走らせた。操られているせいか後ろに迫る犬たちの速度が普通の犬のそれではない。
ちらり、と燃料メーターを見ると三分の一ほどが削れていた。
伊織にまだ魔力を譲渡する技量はないため、バイクそのものの魔力が切れれば逃れられなくなる。
それまでに犬たちが諦めるか、三人のうち誰かが目覚めてくれればワイバーンに乗ることができるかもしれない。万一『離れれば効果が薄まる』という予想が外れた場合は何が何でもワイバーンを召喚しなくてはならないが。
そう冷や汗を流しているとサイドカーの方から呻き声がした。
「っててて……っえ!? なんで俺サルサムに腕枕されてんの!?」
「バルド!」
意識を取り戻したらしいバルドが状況を掴めずに騒ぐ。
伊織はバイクを走らせながら搔い摘んで説明した。
「音がしたなんて感じなかったけどそんなことになってたのか……すまん、頭はハッキリしてきたんだが手足がまだ満足に動かないんだ、力が入るようになったら二人を連れてワイバーンで上に逃げよう。サルサムは俺が支える」
「うん、頼む。犬は……まだ追ってきてるか」
ちらっと後ろを振り返ると犬との距離はほとんど開いていなかった。
タイヤに滑り止めを作り出し、バイクにも手伝ってもらうことで転倒の危険は軽減されているがまったくないとは言い切れない。細心の注意を払いながら木々の間を抜けていると、突然視界が開けて伊織はその白さに目をすがめた。
山の平坦な部分に出たらしい。木も少なくまるで雪原だ。
これなら少しスピードを上げても魔力消費を抑えられるかもしれない。
伊織はバイクをとんとんと撫でると、深呼吸してからアクセルを捻った。
***
「はあ〜……前回は縦方向への素晴らしい走りっぷりでしたが、直線でスピードを上げるバイク様も大変素敵であります……絵画にしたい……」
「パトレア、まだ走り出さないように」
崖の上に移動したセトラスたちは白い空間を突っ切るように走るバイクを見下ろしていた。
車体に光が弾かれて美しい。
「ある程度のデータが取れたらいいんですよね、セトラス博士?」
「ええ、改造後の試運転もしてほしいですし」
チャンスを逃さずデータを取った後は、本体が逃げぬ間に再び競争の再戦を持ち掛ける、とセトラスは口にした。
こんな状況で勝負を受けるかどうか怪しかったが、パトレアが初めて競争した際の状況も似たり寄ったりだったため試す価値はあるとセトラスは考えている。
そうしていい足場を見つけたセトラスは左目の眼帯を捲ると、明らかに右目と様子の異なる瞳でバイクを見つめた。
水色ではなく白く染まった瞳の奥にはカメラのような機構が備わっている。
機械と魔法により形作られたその目は失った目の代わりにシァシァが作り出したものだ。
延命処置をする際に本人曰く『おまけ』として付けられたのだが、元の目を優に凌ぐ静止視力と動体視力に加えて数々の観測機代わりにもなるという優れものだった。
ただし使い続けると脳が如何ともし難い状態になり、軽度なら三日分の徹夜程度のダメージで済むが、引き時を誤ると二ヶ月は眠るはめになる副作用付きである。
しかも回復魔法が利かない。そのため普段は眼帯で機能を抑えている。
(メリットよりデメリットが多いのは作り手が浪漫最優先だからですかね。まあこういう時は役立ちますが)
バイクの形状、その変化の過程、速度等を計測するなり紙に書き留めていく。
データはそのまま本部に送ることが可能だが、これはセトラスなりの楽しみ方だ。飽き飽きするほど面倒なことばかりの世の中だが、記録をつけるのは「まだ」楽しい。
温度を測るとやはり生物のような上がり方はしていなかった。
あれだけ意思を持っているような機微を見せるというのにほとんどが機械に近い。
セトラスは一部の高位魔導師の目のようにはいかないが、魔力の流れもある程度は観測できる。そちらに機能を切り替えた瞬間、セトラスは思わず素で「うわっ」と声を上げた。
「なぁに、セトラス。突然幼子に戻ったような声出して」
「ああ、いえ、召喚主の魔力があんまりにもあんまりだったのでつい」
「そうね、恐らく普段はある程度は殻の内にあるようだけれど……今は召喚対象が出てきているからか漏れ出てる。ここからでもわかるくらい随分恐ろしい量と質だわ」
なぜあれをバイクに分け与えないのかしら、とシェミリザは自分の頬に手を当てる。
「分け与えない……分け与えられない? あの子、召喚術を使うけれどまだ発展途上なのかしら」
「使いこなしたらどうなるのか見ものですね」
シェミリザは尖った歯の隙間から舌を覗かせて笑った。
「ちなみにあなたの目だと召喚主……イオリだったかしら。その子の魔力に掻き消されて見辛いかもしれないけれど、バイクにも魂に酷似したものが宿っているわ。やっぱりあなたたちの見立て通り機械に魂が宿った特殊生命体なんじゃない?」
「……今まで記録にはないものですね」
これはシァシァが喜びそうだ、とセトラスは残りの計測も手早く済ませていく。
その隣でシェミリザが「あら」と小さく呟いた。
サイドカーではなく召喚主の後ろにもたれ掛からせられた少女。意識を失っているがバイクのサポートもありずり落ちないでいたが、その瞳にようやく意思が戻ってきた。
手足の動きは鈍いが眉間だけ目一杯しかめている。
シェミリザは彼女を――彼をよく知っていた。
千年前に捕らえられた時にも確認し、その後脳移植によりヨルシャミの封印魔法がおかしくなった後遺症で眠り続けていた時にも様子を見に行っている。そして資料にも山ほど残っていた。
脱走後に聖女一行に加わった自称『超賢者』ヨルシャミである。
そして、元は彼もシェミリザと同じエルフノワールだ。
「動いているのを自分の目で見るのは久しぶりだわ……ふふ」
彼の脳移植を担当したのはローズライカという女性で、この世界に属するものを尊ぶ教えを持つ宗教を持っていた。ただし属してさえいれば自然な状態でなくともよく、移植などの入れ替えを特に得意としている。
そのため脳移植は滞りなく行なわれたが、異物である発信機の類は埋め込むことを許されなかった。
彼女にとっては機械はこの世界の異物という認識らしい。
閑話休題、そういった経緯で元の肉体ではなく相性の悪い体に入れられ、魔法も最盛期の数十分の一程度だろうと思っていたのだが――実際に見てみると存外魔力の流れが整っていた。
旅の間にヨルシャミにも何か変化があったのだろうか。
「イオリ、ヨルシャミ、どちらも今後が楽しみじゃない」
シェミリザがナレッジメカニクスにいる『理由』に活かせるかはわからないが、その可能性は秘めている。それが喜ばしい。
そう目を細めていると、あるものが視界に入った。
セトラスは得た情報を書ききったものを懐にしまい、少しふらつきながら眼帯を元に戻す。
つい集中してしまったが遠距離で取れる情報は取れたので良しとする。
シェミリザはどうだろうか、目視だけでなく魔法も用いてある程度のことは調べているはずだ。そう思い視線を上げると、普段はどこかうっとりとしたような笑みを浮かべている彼女が笑みを潜めており小さく動揺した。
周囲を覆う白さよりもしんとしている。
そんな印象に言葉を失っていると、セトラスの視線に気がついたのかシェミリザは意図的に笑みを浮かべて「どうしたの?」と首を傾げた。
「……いえ」
「そう? なら次に移りましょう、ここからわかることは大体把握したわ」
大体ね、と呟き、シェミリザは今度は自然と微笑んだ。
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