第178話 聖女の手土産

 伊織とネロの二人は残っていた周辺の見回りを済ませ、他の仲間と合流してから時間を確認して街の外へと出た。

 そろそろ静夏たちがトンネル向こうの村からこちらへ向かってくるはずだ。


「用事は全部済ませたか?」

「はい、サルサムさんは……凄いですね、本当にあの状態から回復してる……」


 サルサムは二日酔いで生気の無かった姿から普段通りの様子に戻っている。あれから五時間ほど経っているとはいえ驚異的だ。

 そう思わず口にするとサルサムは「忘れてくれ……」と顔を背けた。


「ネロさんもさっきはありがとうございます、これで一先ずは心残りなくお別れできそうです」

「お礼なんて言わなくてもいいって、その代わり次に会う時まで顔を忘れないでくれよ」

「はい! へへ、あの綺麗なブリッジを見たら忘れたくても忘れられません」


 仰け反りの最終到達地点と言っても過言ではないリアクションだった。あんな反応は前世でも今世でも初めてである。

 それを素直に口にするとネロは「その部分は忘れてくれ。というか顔関係ないだろ」と真顔で言った。

 さっきからやたらと忘却を望まれ続けているが、今日は人の黒歴史が多発する日なのだろうかと伊織は密かにに思う。

 そこへリータの声が聞こえてきた。


「お姉ちゃん、マッシヴ様が見えたからって全力ダッシュして抱きつかないでよ?」

「マッシヴの姉御も疲れてるかもしんないのにそんなことしない……って……えっ、いやでもそれ、魅力的だな……うっわぁやりてー……!」

「余計な衝動を与えちゃった!?」


 注意が裏目に出たリータは己の口を押えた。

 と、その時視界の端に伊織とヨルシャミの姿が映り、ついついそちらを見てしまう。――昨晩料理屋に誘った時もそうだったが、心なしか二人の距離が近いようにリータは感じた。物理的にも、精神的にも。


(他の皆はあんまり気にしてないみたいだけど)


 もし前より打ち解けるような、そして関係が進むような出来事があったならいいなとリータは思う。

 ふとセラアニスはどう思うのだろうと心配にも似た思いが湧いたが、それはこの先彼女が目覚めた時に直接話そうとすぐに決めた。

 そしてもし彼女が気にしていたとしたら、美味しいものを一緒に沢山食べて色んな話を聞こう、とも決める。

「……」

 そんなことを考えながら伊織とヨルシャミを見ていると、伊織の目がヨルシャミの方を向き、それだけで小さく胸が締め付けられた。

 リータはきゅっと唇を引き結び、そして――


(この感情の起伏による体への影響、普通だとなかなか感じないものだから意識して観察してみると楽しいかも……!)


 ――初恋を失恋ごと楽しむ、それを真正面から実行していた。

 もちろん、さっきとは逆の立場で心配と呆れ半々の視線を送っているミュゲイラには気がついていない。



 正確な到着時間はわからないため、道の先がよく見える場所で各々思い思いに過ごしていると、真っ先に「あ!」と声を上げたのはネロだった。

 道の向こうに目を凝らしながら指をさして言う。

「人影が見えるぞ、あれじゃないか?」

「あっ、本当ですね! ほらお姉ちゃん、そろそろマッシヴ様に――」

「リータよ、ミュゲイラがやたら真っ直ぐな瞳でクラウチングスタートのポーズをしている故、まずは止めるのだ!」

 リータとヨルシャミは二人がかりでミュゲイラを止めたが、ミュゲイラは「わ、わかってるって! これは自然現象なんだよ!」とうずうずしている。自然現象って何だとサルサムが小さく呟いたのを伊織は聞き逃さなかった。


 まだ静夏たちだと決まったわけではない。

 普通の旅人や商人という可能性も大いにある。

 この距離からだとまだよくわからないな、と伊織たちが思っている間に人影は徐々に大きくなり、それにつれ一行は言葉を失っていった。


 なんだかとても大きい。

 正確に言うと縦に大きい。


 影は二人のようだがシルエットが不思議だ。

 もしかして魔獣か何かか? という緊張が走ったものの、細部まで視認できるようになって伊織はようやく浅くなっていた呼吸を元に戻した。

 静夏だ。

 静夏なのはよくわかる。遠目でも母親だと感じ取れるのと同じだ。

 しかしそのシルエットをおかしくしているのが、3~4メートルはあろうかという鹿だった。それを担いで悠々とこちらに歩いてきている。

 伊織は誰に対してでもなくぽつりと言った。


「……あれヘラジカか何かか?」

「さあ……」


 それを拾ったネロが小さく返す。

 伊織は母親が無事で、そしてもうすぐ再会できるということが嬉しかったが思わず口にしていた。


「なんか思ってた再会シーンと違うな!」


 わかる、とその瞬間何人もの声が重なったのだった。


     ***


 数刻前。

 静夏とバルドは出発の準備を終えて村を後にした。


 ベタ村周辺とは違い『旅に出る者を見送るための宴を開く風習』は薄いものの、長く滞在したこともありちょっとした祭りのような雰囲気で送り出される。

 静夏など村で生まれた赤ん坊たちの抱っこを親から入れ代わり立ち代わりせがまれていた。

 なんでも聖女マッシヴ様に抱かれれば加護を頂けるという。ただし迷信のようなものであり、本当に何かが与えられるわけではない。


「聖女の加護ってつまり筋肉の加護ってことになるのか?」


 トンネルの中を歩きながらバルドが静夏に訊ねる。

「ああ。だが筋肉信仰をしている皆は筋肉を崇めているのであって、己の身に纏うという発想をする者は少ない。もちろん居るには居るが。故に、私の加護は……筋肉に守られているから今後この赤ん坊は無事に育つ、というまじないのような扱いだ」

 実際に加護を与える力があるわけではなくとも、人々にとっては大切な意味を持つのだ。

 それを聞いたバルドはしみじみとしながら言った。


「獅子舞みたいだな」

「……そうだな」


 ――バルドも転生者、つまり世界そのものの神が招いた救世主の一人である。

 しかし不確定な部分が多いからと本人から詳しいことは聞いていない。

 静夏はバルドが話したくなるまで待つつもりだったが、獅子舞などを知っているということは自分たちと同じく前世は日本にいたのだろうか、と少し気になった。

 その疑問を解くことができるのは、バルドが話す気になった時だ。

 静夏は思わず出かかった質問を呑み込んだが、しかしその時は存外早く訪れた。


「ああ、……あー……今俺獅子舞って言ったか? そうか、日本……うん、出身は恐らく静夏たちと同じだな」

「はっきりするまで言わなくていいんだぞ」

「こうしてある程度明瞭に思い出したことは言うぜ、記憶って芋づる式に蘇るものだしな。っていっても今出てきたのはこれだけだが」


 日本人か、それとも日本に住む外国人だったのかどうかさえわからない。

 でも共通点があるのって何か安心するな、とバルドは笑った。


 朧気ながら記憶を取り戻しても基本の部分はバルドだ。

 口調はやや穏やか――且つ、思考が少しばかり小難しくなったところもあるが元からこういった性格なのか、もしくは長く『バルド』として生きてきたからだろうか。

 しかし今も縛ると違和感があるからと髪を解いたままで、髭も綺麗に剃って一見して別人のように見えることもあった。


 果たして記憶をすべて取り戻したその時、バルドはバルドのままなのだろうか。


 その結果が幸福か不幸かはバルド本人がどう感じるかによる。

 静夏は深くは立ち入らず、また何か思い出したら会話し記憶を刺激してみようと小さく言った。


 トンネルの案内は前回案内を担当したバントール。

 出口の光が見えてきたところで、彼は鼻水を垂らして泣き始めた。


「ぜ、前回は最後まで案内できず申し訳ありませんでした……! あ……あれが、出入口です」

「バントール、その様子を見るに長い間己を責めていたのだろう。気にすることはない、案内をありがとう」


 落盤の際に静夏は大丈夫だと声をかけたが、しかしバントールはずっと気にし続けていたらしい。

 自身の担った案内の役目は達成できず、容易に落盤を招いたのも村によるトンネルの管理が甘かったからだ、と。

 村長の孫という立場ながらそこまで責任を負う必要はない。

 静夏はバントールの背中を優しく叩いて再びそう慰め、村へと戻る彼を見送った。



 トンネルから出た先は平地に続く道が伸びていたが、出てすぐはまだ山の一部といった様子だ。

 その道中、ぬうっと現れた巨大な影に二人は足を止める。

 それは巨大な鹿だった。黒い巨体に左右に菌糸のように伸びた角、黒目がちな目。蹄は静夏の足より大きい。温厚に見えて興奮しているのか鼻を鳴らしている。


「これ、あー……ヘラジカか何かか?」

「別種だろうが――ああ、そういえば村長がこの山には時折肉食獣すら蹴散らす鹿のような何かが出て困っている、と言っていたな。これがその荒くれ者だろうか」


 そう呑気に話している目の前で鹿は静夏に向かって突進したが、巨体ではあるものの魔獣でもない普通の獣だ。

 角を両脇に抱えられ突進をいとも簡単に止められた鹿は疑問符を浮かべながら何度も地を蹴ったが、どうやってもびくともしない。

 静夏はひょいと鹿を持ち上げると手を離し、落下しきる前に心臓のある位置に向かって一撃を繰り出した。

 手加減されたそれはたった一撃で心臓の動きを止め、静夏は巨体が地面に落ちるより先に肩に担ぐ。


「手際良いな!」

「ベタ村に居た頃に食料として大型の草食獣も狩っていた。これは伊織たちへの手土産にしよう」

「……でっけぇ手土産だ」


 果たして伊織たちは喜ぶのだろうか。

 そう思いつつもバルドは鹿を担ぐ静夏に同行し――自分たちの姿を見るなりどう見てもぎょっとしている一行の顔を確認して、心の底から笑った。

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