第134話 頭は打ってない!
許可?
一体何の?
そんな疑問は声に出す前に消え去り、伊織は自分が置かれている状況も忘れて満面の笑みを浮かべるとニルヴァーレの腕を握った。
「ニルヴァーレさん! 良かった、無事だったんですね! 溺れそうになった時はありがとうございました、それに今も――今……その、これはどういう……?」
「やっと落ち着いたか。君がピンチのようだったから無理矢理外へ領域を広げて顕現したんだ、あの赤毛の坊やがイオリを助けろって言ってたからね」
本来なら本人が言わないと受ける気はなかったんだが、サービスだ。
そうニルヴァーレは言って、景色を覆う崩れゆく薄膜のようなものを指した。
「で、あれが広げた領域。今ここは夢路魔法内の空間を薄く引き伸ばしているような状態にある。時間も無理矢理止めてるが……持ってあと二分か」
「に、二分!?」
「ついでに多分解除されたら僕ごと壊れる」
伊織はサッと青くなって腕を握る力を強めた。
助けにきたというのに助けられ、そしてそのせいでニルヴァーレが壊れて――死んでしまっては元も子もない。
しかしニルヴァーレ本人は余裕を崩さないまま言った。
「そこで許可をくれ。君の体を借りたい」
「……へ?」
「イオリの魂は強すぎて、憑依なんてしようものなら僕はたちまち消滅してしまうだろうが……だが本人の許可があれば成功するかもしれないんだ」
「か、かもしれない、って確実じゃないんですか」
「だって何の実証実験もしてないしね? この体になって得た、ただの直感に近い」
そんな不安定なことに全部を賭けようとしているのだ。
ようやく状況を飲み込めた伊織はニルヴァーレを睨みつけた。
「こういう無茶はしないでください……!」
「えー、どの口が言うんだい、イオリ」
「僕だって無茶しますけど、それでもです!」
「僕は魔石として同行出来るだけでも良かったくらいなんだよ、ここまででも十分同行させてもらった。使い捨てるくらいでいいのに君ってやつは……」
「僕はあなたのこと、もう仲間だと思ってるんですけど」
仲間は使い捨てたり見捨てたりしません、と伊織は言いきる。
ニルヴァーレはついさっきまで呆れさせていた表情をきょとんとさせ、直後に目を見開いて立ち上がると伊織の腕を引いて起き上がらせた。
「君はズルいな! ここでそんなことを言われたら是が非でも助けたくなるじゃないか! ……そうか、これが仲間か」
ばらばらと周囲がひび割れて落下していく。
剥がれた空間は普段とは違う光の反射を見せながら落ちていく途中で溶けて消えた。
その内ニルヴァーレもああなるのだろう。
――なら。
「さあ、イオリ」
「……わかりました。あなたに体を貸します、ニルヴァーレさん」
どう許可を出せばいいのかわからない。
こうして口で伝えるだけでもいいのかどうか、確かめる術がない。
下手をすればニルヴァーレは自分の中で死ぬだろう。
しかし折角助けに出てきてくれたというのに、このまま何もせず無駄足を踏ませたまま終わるよりは、可能性が低くても試した方がずっといい。
伊織はそう強い意志で思い、ニルヴァーレを見上げた。
「――よし、では許可は貰ったよ。大丈夫、契約は守ろう」
ニルヴァーレは自分の契約の証である指輪を指して言うと、ばさりと片腕で広げたマントの内側に伊織を優しく囲い込んだ。
***
ネロは震える足を奮い立たせてダガーを引き抜いた。
伊織がどうなってしまったかわからないが、傷持ちの大カラスは依然としてそこにいる。
パニックから回復すれば次はネロか雛を狙うだろう。
――伊織はきっと大丈夫、水に押し流された時だってあの魔石が守ってくれたじゃないか。ネロはそう自分に言い聞かせ、今は伊織が戻ってきた時に出迎えられるよう自己防衛を優先した。
正気に返った傷持ちの大カラスがネロを捉える。
ダガーを構えていようが小さな存在だ。臆した様子はない。
見れば雛の親の大カラスもすぐそばまで迫っていた。上手く二羽を争わせることが出来ればいいが、最悪両方とも相手をするはめになる可能性もある。
(俺の火の魔石は残ってるけど、イオリが使った時のことを思うと近くで投げつけないと効果は薄そうだな……でもあまり近いと二の舞だ)
伊織より身長があるとはいえ、恐らく同じ状況になればネロも吹き飛ばされてしまうだろう。
それだけ超大型鳥類の羽ばたきは強力なのだ。高い場所では最高の武器になる。
身構え、緊張感が最大に達しようとした瞬間。
普通とは違う、おかしな吹き方をする風がネロの元に届いた。
自然に吹いていた南西からの風とは逆側から吹いてくる風。それは一定の強さで南西の風を押しのけていた。
ネロは思わずそちらに目をやる。
崖のふちに何者かの指がかかり、驚くほどふわりとした軽い身のこなしで体を浮かせて着地した。
「ッイオリ……!」
ネロは思わず大カラスの存在を忘れて安堵する。
崖の下から姿を現したのは魔石を抱えた伊織だった。どうやって助かったのかはわからないが、地下でのことを考えるに魔石の風が這い上がるのをサポートしてくれたのかもしれない。
そう思っていると視界外で親の大カラスが傷持ちの大カラスに体当たりし、あろうことかその巨体がネロのいる方角へと吹き飛ばされた。
巨体が間近に迫ったところで、伊織が無言のまま地を蹴り――風を纏うようにして凄まじいスピードで前進すると、ネロを掻っ攫ってその場から離れる。
次に地に足をついて蹴り進むまで優に五メートル。
大カラスの巣の隣もあっという間に通り過ぎ、そのまま赤土の山から飛び出したことに気がついてネロは驚愕と共に短く叫んだ。
落下する、と瞬時に覚悟を決めて歯を食い縛ったが体にかかる重力は緩やかで、ほとんど飛ぶように滑空しているのがわかったが――その事実をネロの脳はすぐには受け止めてくれなかった。
「っな、なんッ、なんだっ!? 落ち……落ちない!? なんで!?」
「はははは! 使いやすくて魔力は無尽蔵、素晴らしい体だな!」
戸惑いながら足元ばかり見ていたネロは伊織の声で伊織らしからぬことを言い放った口を見上げた。
表情は自信満々、眼下を見ているのかやや伏せた目は金色に仄かな青と緑が混ざっている。何事だろう、と思う前にネロは歯に衣着せるのも忘れて言い放っていた。
「イ、イオリ! お前頭打ったのか!?」
「失礼な!」
伊織は渦巻く風でドラゴンの羽のようなものを作り出すと、争い合う大カラスのいる赤土の山から一気に距離を取った。風の魔法で難なく空を飛んでいる。
それをやっと理解したネロの表情を満足げに見て、伊織――『彼』は言った。
「僕はニルヴァーレ。さっき君が放り投げた魔石だよ!」
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