第89話 ヨルシャミの失敗

 ――静夏、ミュゲイラ、ヨルシャミの三人は明るい廊下を進む。


 伊織たちが侵入したエリアは暗かったが、こちらは少し進むと灯りのついたエリアに入った。

 どうやらスタッフの私室エリアらしい。発見される危険性が高いため、ヨルシャミの召喚した小さな蜂を斥候にしながらゆっくりと進んでいる。


「ニルヴァーレ曰く前回来た時の人数は覚えていないが、両手の数ほどは居た気がする……だそうだ」

「大雑把だなー」

「他人に興味の薄いあやつが大雑把でも覚えていたのは僥倖だぞ」


 声を潜めながらそう言い、ヨルシャミは蜂の視界から周囲の様子を探った。

 人の気配がする個室が五つ。

 それぞれ鍵はかかっておらず、いつ出てくるかはわからない。奥に食堂らしき部屋があるが現在は使われていないのかここからは人の気配はしなかった。

 食堂の両左右に伸びる廊下も灯りがついている。どうやら灯りの源は燭台らしく、電気や火系の魔石を用いていない辺り魔石及び魔力の枯渇具合は相当のようだ。

 ふむ、と小さく声を漏らしたのは静夏だった。


「ナレッジメカニクスの技術力は中々のものだが――随分と偏っているようだ」

「偏ってる?」

「発電方法を確立したり電気のみで動く機械を作ったり……そういう所から始めたならば解決することすら、魔力不足だからと手が回らず一昔前の方法を用いている。まるで工夫を重ねずひとっ飛びで機械と魔法を合わせた技術を得たようなアンバランスさだ」

「……実際そうなのであろう、上位文明からの知識の収集が上手くいけば一足先の技術が手に入る。だがその過程で発生した技術まで拾えるわけではない」


 ナレッジメカニクスの現在の技術は魔力ありきすぎるのだ。

 それを当人たちもわかっていて新しい知識を次から次へと求めているのかもしれない。ヨルシャミは静夏を見る。


「さっき下調べをした時に裏に畑もあった。これもナレッジメカニクスの技術基準から見れば一昔前なのではないか。シズカ、お前たちの前世の世界ではあっという間に野菜を生み出したり肉を生成する機械があったんじゃ――」

「いや、そこまでは」

「なんだ、残念だな」

「3Dプリンターで人工肉を出力する試みは始まっていた気がするが、まだ庶民には遠い話だった」


 あるではないか! とヨルシャミは思わず声を潜めるのも忘れてツッコミを入れかけた。

 ミュゲイラは「すりいでぃ?」と首を傾げている。

 しかしこの技術は日本のただの主婦だった静夏には本当に遠い場所での話で、一般流通する頃には自分はこの世にいないだろうとも思っていた。それは奇しくも当たり、こうして本当に手の届かない世界にまで来てしまったため実感がない。

「文明の水準はここよりも高かったかもしれないが……それでも自給自足で生活する者も多かったはずだ」

「そちらはそちらで偏っている気がするが、ふむ、まあある程度はどこの世界も似たようなものか……。っと」


 そうこうしている間に食堂の前まできた。


 さて、左右どちらに行こうか。

 情報収集をするなら資料の置いてある場所の方がいいが、それは伊織たちの担当エリアにあるようだ。それは左の方角のため、自分たちは右に向かおう。そう決めて三人は足音を消しながら歩いていく。

 曲がり角から数歩進んだ時だった。

「……!」

 背後からドアの開く音がし、続けて廊下を歩く音が聞こえてくる。誰か部屋から出てきたらしい。

 早く先へ向かおうと気持ち足を早めた三人だったが――そう、ここは私室エリア。つまり居住区である。

 廊下の突き当りはトイレになっており、他に道はなかった。まさかの行き止まりだ。

 曲がり角の先まで蜂を進めておくべきだったとヨルシャミは後悔したが、二つの視界を確認しながら慎重に進むことは至難の業であるため常時先行させておくのは難しかったのだ。


「どっ、どうする? この時間帯に出てくるとか用があるのはここじゃね? ぶっ飛ばすか?」

「それは最終手段だ。……三人とも、私のそばに寄れ」


 ヨルシャミは静夏とミュゲイラに挟まれるようにして突き当りの隅に座り込むと、指先から魔法でベールのようなものを出して頭の上から被った。

「隠遁魔法の一種だ。このまま動くことはできないが……私の使える隠遁魔法はこれのみ故、我慢しろ」

「超賢者ならもっと色々あるんじゃないのか……!?」

「う、うるさい、返り討ちばかりで普段はそこまで逃げ隠れする必要がなかったから種類が……シッ」


 足音が近づいてくる。

 燭台の火で照らされた人物は若い男性だった。眠そうな顔をしているため、就寝する前に用を足そうと思ったのかもしれない。案の定ヨルシャミたちのほうへ向かってくる。

 このままじっとしていれば見つからないはず。ついでに隠れている間に少しだけでも周囲を観察してやろう、と視線を巡らせたヨルシャミは息をのんだ。


(シズカの頭だけはみ出ているぞ!?)


 巨体すぎて隠遁魔法の範囲から出てしまったのだ。

 内側からは境目がかりにくいためすぐに気がつけなかった。ヨルシャミの何ともいえない表情で静夏、ミュゲイラも気がついたのかハッとする。

 静夏はしゃがんでいる状態から三角座りになって何とか内側へ入ろうとするが、すると今度は足が見えてしまった。毛布を三人で分け合っているような状況だ。

 基本的に単独行動だったヨルシャミにはベストなサイズだったのだが――規格外すぎる。何もかもが規格外すぎるのだ。

 即席で範囲を広げる細工もできないことはないが、今の自分だとそのためには一度隠遁魔法を消さなくてはならない。

 普通の魔法なら二重で発動させて旧式の上に新式を置いてから旧式を消す、ということもできるが隠遁魔法は一度に一回分しか発動できないため単刀直入に言って詰んでいた。


(蜂でもけしかけて混乱させるか……!? いや、もしそれで人を呼ばれれば余計にマズい。ならばいっそ先制攻撃で――)


 他にも良い方法があるはずだったが、混乱が邪魔をして考えが上手く纏まらない。

 そうこうしている間に男性の視界内に入った。


 首の太い女性の生首が。


「……」

「……」

 生首状態の静夏と男性はしばし静かな空間で見つめ合った。双方真顔だった。

 首から推測される体格の人間の首があるにはあまりにも低い位置。

 しかしたしかにそこに存在し、慈しみと強い意志の感じられる瞳でじっと見ている。


 男性の顔から見る見る内に血の気が引き、引き攣った呼吸音と共に口元が歪む。悲鳴のなりそこないである。

 そして、遭遇からたっぷり十秒後、ようやく肺の空気を上手く吐き出した男性は大声でこう叫んだ。


「――ッマ、マ、マ、マッチョの幽霊だァァァァーッ!!」

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