第79話 最後の日にふわふわを
ロストーネッドに留まること一週間。
それ以前にもロスウサギ盗難事件の調査で数日経っているため、旅立ってから一番長く留まった街になった。
それでも出立の時はやってくるもので、気づけば今日がロストーネッドで過ごす最後の日になっていた。
(今日一日ブルーバレルで仕事をしたら、明日の今頃にはまた旅に出てるのか)
なんだか実感が湧かない。
伊織は不思議な感覚にそわそわと気持ちが粟立つのを感じた。
思えばこの世界に転生してからというもの、初めのベタ村以降はほとんど移動し続けていたのだ。もちろん休養のため留まることはあったが、仕事を得て一週間も、というケースはない。
きっとこの感覚はそのせいだろう。
(店長や先輩たちやネロさんにも挨拶してかなきゃな。あとバルドたちに目的地の場所も伝えないと)
あれからバルドとサルサムの行動について皆と話し合い、静夏も「ふたりがその形でいいならば」と頷いた。
ミュゲイラは内心複雑そうだったが、自分とバルドが相容れないせいで余計な手間がかかっているというのは理解しているため、下唇を噛みつつも口出しはしなかったのが救いだ。このままゆっくりと互いの存在に慣れるか、何かしら折り合いをつける方法があればいいのだが。
「……なんか新入り猫を先輩猫に慣らす過程みたいだなぁ」
「猫がどうしたって?」
ネロの声に驚いた伊織はそこでやっと口に出ていたことに気がついて笑って誤魔化した。
今日のブルーバレルは激務というほどの混み具合ではなく、ようやく平時通りに戻ったようだった。
昼過ぎともなると一気に落ち着き、空席も目立っている。店長曰くこれが普通なのだそうだ。
人の噂も七十五日ってやつだろうか、と伊織がしみじみとしていると厨房から顔を覗かせた店長が言った。
「あっという間に楽になったでしょ、人の噂も――」
(おお、この世界にも似たことわざが……)
「六日間ってやつね」
(短ぇ……!)
やはり似ていても似ているだけなのだ。
不思議な気分になっていると新たな客が来店し、出迎えようとしたところで店長が気さくに声をかけた。
「ベリオット! うちに来てくれるのは久しぶりね」
「あぁ、盗難事件が落ち着いたら顔を出そうと思っていたんだが、やたら繁盛してるようだったから通常運行になるのを待ってたんだよ」
店を訪れたのは白髪交じりの優しげなおじさんだった。
ベリオットというそのおじさんは店員の中に伊織を見つけると、二、三度目を瞬かせる。
「おや、もしかしてうちのロスウサギを取り戻してくれた人じゃないか?」
「あっ……!」
奪還した複数羽のロスウサギ。その所有者のひとりがこのベリオットだった。
そういえばお礼を言われた時に顔を見た気がする。あの時はバルドのことが気がかりだったのと、所有者とのやり取りは主に静夏とヨルシャミが行なっていたため一瞬ピンとこなかったのだ。
「あれからロスウサギは元気にしてますか?」
「ああ、おかげさまで。少し神経質になっているがようやく警戒を解いてくれたよ」
よかった、と伊織は胸を撫で下ろす。
「あまりストレスを受けすぎると肉質が悪くなるからな……それに一番影響を受けるのが毛づやだから、早めに助けてくれて助かった」
「毛……そういえば毛皮にもするんでしたっけ、どんな手触りなんだろ……」
触ったことないのか、とベリオットは意外そうに言う。
ヨルシャミが犯人たち用の魔法を仕掛けている際に接近はしたのだが、不用意に触るのは駄目だろうと手を出すのは控えておいたのだ。
その時ネロが少しそわそわした様子で言った。
「細かい毛でふわふわって聞いたが……」
「その通り、ふわふわだよ。それが売りだな。そうか、商品としては高級なものに使われがちだから手触りをしらない子もいるのか……」
ベリオットはしばし考えると「そうだ!」と伊織を見た。
「よかったらうちに見学に来るか? そのついでに触ってもいい。適当な日の朝か昼にでも――」
「あっ、その、じつは僕は明日ロストーネッドから出発予定で」
「そりゃ残念だ。なら……今日仕事が終わってからはどうだ? 寝床に戻してからになるが」
伊織は一瞬悩んだが、そう長い時間ではないと聞いて「ぜひ」と頷いた。仕事が終わってから寄り道は今までも何度かしているため見咎められることはないだろう。
本来なら情報収集や準備を手伝うべきだろうが、それらの作業もほとんど終わっているため、今日は各々自由行動をしていた。
「そうそう、誰か誘ってもいいぞ。ただ大人数はあいつらがビックリするから、もう一人くらいかな」
ふわふわな生き物。
自分の仲間たちは全員触りたがりそうだが――ヨルシャミは魔法を仕込む際にちゃっかり堪能していたし、他の面子は宿に帰らないと連絡がつかない。あちらからブルーバレルまで来れば誘うことも可能だが、これも確実ではなかった。
伊織はそわそわしていたネロの様子を思い出して言う。
「ならネロさんも一緒に行きませんか?」
ネロは不意打ちを食らったような顔をすると自分自身の顔を指さした。伊織はうんうんと頷く。
「な、ななななんで俺を」
「あれ、ふわふわな毛並みが凄く気になってるみたいに見えたんですけど……気のせいでした?」
うぐ、とネロは短く唸る。
ばればれだったが本人としては認めるのが気恥ずかしいのだろうか。
しかし好奇心に勝るものは早々ないようで、散々迷った後取り繕うように言った。
「し、仕方ないな! 可愛い後輩がそこまで言うなら一緒に行ってやるか!」
「なんで突然ツンデレみたいになったんですか……!?」
ネロの思う『カッコいい頼りになる先輩像』から遠退くからこそ素直になれなかったのだが、伊織の与り知らぬことだった。
とにもかくにも良い息抜きになりそうだ。
そうわくわくとしながら、伊織は午後の仕事をしっかりと片付けてブルーバレル最後の勤務を無事に終えた。
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