第4話 この身で出来る守り方

 半透明なゴーストゴーレムの体越しに景色が見える。

 こんなモンスターを相手にどうやって静夏とルタリナを守ればいいのかわからないが、そこまで考える時間もないほど真っ先に体が動いていた。

 そうだ、母親に守ってもらってばかりだったが、自分は母親を守りたいのだ。


「こ、こっちに来い!」


 どうにかしてふたりが逃げる時間を稼ぎたい。

 ゴーストゴーレムに聴覚があるのかどうか怪しいところだったが、そう叫びながら伊織は左へと跳んだ。

 距離は短めですぐ着地できるもの。そんな敵の反応を見るためだけの動きにゴーストゴーレムはぴくりと反応する。


(視覚はある……それなら!)


 幸い庇われたため怪我はない。伊織は一か八かだと地面を強く蹴って走り始めた。

 下手をすればふたりを置いて逃げる形になっていたが、ゴーストゴーレムは激しく動く伊織を本能的に獲物に定めたのか足音もさせずに追ってくる。

 まだ知らない道も多い村だが、家と家の間が開いているおかげで袋小路に追い詰められることはない。

 ゴーストゴーレムが自分を追ってきているのを時折確認しながら伊織は走った。

 恐ろしさも不安感もある。

 それらはすべて全力疾走により早まった鼓動に覆い隠されたが、時折ちらついては伊織の恐怖心を煽った。

 怖い。

 もし自分が廃人になったら、また介護をさせて自由を奪ってしまうことになるんじゃないか?

 でも。

(でも……!)

 ここで守らないという選択はできなかった。


 伊織は意識的に障害物のある道を選んだが、ゴーストゴーレムはそれをすべて透過していく。時間稼ぎにならない。そう悟った伊織は出来る限り遠くまで走ることを目標に据えた。

 静夏とルタリナのふたりが結界にさえ入ってくれればいい。

 たっぷりと時間を稼げたその時、もし自分がまだ無事なら結界へ向かおう。広場の場所ならわかる。

 そう考えたその時だった。


「おかあさぁん! おとうさぁん!」

「っ子供……!?」


 前方に泣きながら道を歩いている小さな女の子の姿が見えた。

 まさか逃げ遅れている子供がいるとは。しかしよく考えてみればルタリナが自分の部屋に飛び込んできたのもついさっきのことだ、きっとすべてが急だったのだろう。

 全力で逃げている伊織。

 大きな声を出しながらゆっくりと歩く子供。

 ゴーストゴーレムが伊織を追ってきたのが「音をたてるもの」「動くもの」だけでなく、あの三人の中で一番「弱いもの」だったからだとしたら?


「……っひろばに、ッ」


 逃げろ、と声をかけたかったが息が上がって言葉にならない。

 抱き上げて逃げるにしても伊織にはそこまでの腕力はない。静夏のように力で人々を救うことができないのだ。

 女の子はこちらを見ると一瞬安堵した表情を浮かべたが、伊織の真後ろにゴーストゴーレムが迫っているのを見つけると目を見開いた。手に持っていたテディベアが地面に落ちる。

 それを踏んで転んでしまった女の子を見て、伊織は思わず足を止めた。


 自分だけならこのまま走り去れただろうが――静夏たちを守れてもそれでは意味がない。


 背後に迫る気配はすぐ間近。

 ゴーストゴーレムは物体を透過するが、中へ入り込む際はきっと一人ずつに違いない。そうであってくれ。伊織は祈るように考えながら女の子に覆い被さった。

「……!」

 背中に氷のように冷たいものが触れる。

 しかしすぐに寒い、冷たいを通り越して痛みの域に達し、伊織は歯を食いしばって目を見開いた。

 このまま入り込まれて精神が内側から破裂してしまうのだろうか。恐怖心がむくりと首をもたげ、自分で選んだことだろうと諫めても消えてくれなかった。

 自分にはこんな無様な救い方しかできない。


 ――母さんのように力強く人々を救ってみたかった。


 何かが体の中の更に奥、内側の無防備な部分にずるりと入り込んでくる感覚がした。

 不意に滲んだ涙ごとぎゅっと目を瞑り、衝撃に備えるも――なぜか表面上の痛みしか襲ってこず、それも時間の経過と共に消えてしまう。

「……あ、あれ?」

 ゆっくり片目ずつ開いて後ろを確認すると、そこにはもう何もいなかった。

 完全に自分の中に入ってしまった?

 なら何故無事なんだろう?

 そんな疑問を抱いていると、体の内側で何かがぱちんと爆ぜて溶け込んでいく感覚がした。

「……母さんを支えるための……心強くしっかりとした精神力……」


 ふと自分が神様の前で願ったことを思い出す。

 まさかメンタル的な強さではなく、物理的に『精神』が強くなった?

 その精神が入り込もうとしたゴーストゴーレムを返り討ちにしたのだろうか。


 詳しいことはまだよくわからないが、これが自分の能力なのではないか。ようやく糸口を見つけた安心感と、危機の去った安堵感に伊織はその場で脱力した。

「お兄ちゃん、大丈夫……?」

「あ、ご、ごめん、大丈夫だよ」

 心底疲弊したように映ったのだろう、心配げに見上げる女の子をひと撫でして隣に尻もちをつくように座ると伊織は無理やり笑ってみせる。

 すると遠くから聞き慣れない音が響いてきた。

「……?」

 ずずん、ずずん、という地響きだ。

 まるで怪獣が歩いているような――否、走っているような地響きに自然と体が強張る。

 まさかまだ他にも魔物がいたのだろうか。伊織は無意識に身構えようとし、そして道の向こうに大股開きで走ってくる静夏の姿を見つけると一瞬で納得した。この地響きは母親の足音だ。ほら、あんなに地面に足がめり込んでるし。


「母さん! 僕……」


 やったよ! と単刀直入に報告しようとして言葉が詰まる。

 母親もルタリナも女の子も守れた。無様は無様だったが目的は達成できたのだ。

 それを喜び母親に伝えようとしたが、その母親の表情があまりにも憤怒のそれで思わず固まってしまったのだ。引き結んだ口、それによりしわの浮き出た顎、見開かれた両目、眉根にはしわが何本も。

 この表情は過去に一度だけ見たことがある。顔のパーツも何もかも今とは違うが、本気で怒っているのが伝わってくる表情だった。あれは、そう、たしか熱く沸かした熱湯入りのヤカンをまだ小さかった伊織がふざけて触ってぶちまけた時のことだ。

 あの時は幸い火傷もなく終わったが、唖然としてしまうほど怒られた。普段の母親の優しいイメージが百八十度変わったのを覚えている。

 冷や汗が顎を伝う。ゴーストゴーレムを前にした時より強い恐怖心が湧いた、と表現しても過言ではなかった。


 ずん、

 ずん、

 ずん。


 ついに伊織の目の前まで辿り着いた静夏は状況を部分的に理解しているようだった。

 どういった理由かはわからないがゴーストゴーレムという脅威は消え去った。それは伊織が成し遂げた結果だ。逃げ遅れた女の子も怪我ひとつない。

 しかし。

「伊織!」

「は、はい!」

「……遠目にお前がゴーストゴーレムに襲われ、逆に返り討ちにしたのを見ていた。私たちを、そしてその子を守ったのは伊織だ。だが」

 鋭い眼光に射すくめられる。


「考えなしの自己犠牲で他人を守ることを私は許せない」

「……!」

「無茶は勝つための策がある時にだけするものだ。あれで守られたとしてお前に何かあったら守られた者がどう思うか……そこまできちんと考えて動くんだ」


 静夏の言葉を聞いて伊織は項垂れた。

 守りたいという想いで頭がいっぱいだったが、それは相手の肉体しか守る気がないといっても同然だった。心も一緒に守らなくては本当の意味で他人を守るということには繋がらない。

 もちろん咄嗟に動くことは悪くはない。しかし今回は独断すぎた。


「ご……ごめん、たしかに……もう少し、いや、もっと沢山よく考えるべきだった……」


 ひとりで囮にならなくても協力すれば何とかなった可能性もある。たとえば自分が引き付けている間に静夏がパンチの余波でゴーストゴーレムを吹き飛ばし、戻ってくるたびそれを繰り返す、そんな穴はあるが不可能ではない可能性が。

 それに自分の得ていた能力がゴーストゴーレムと相性が良かったのも偶然だ。

 触れられたあの瞬間廃人になっていた未来もありえる。――それも、追ってきた静夏の見ている目の前で。

 逆の立場だったらどうだろうか。

(僕もきっと怒ってた)

 すぐに導き出された答えに伊織は唇を噛む。静夏の怒りはもっともだ。

 もっときちんと謝らないと。そう思い詰めて言葉を探していると、不意に逞しい両腕で抱きすくめられた。


「――だが伊織、さっきも言った通りお前が助けてくれたことには変わらない。だからありがとう」

「っ……母さん、でも僕、こんな方法でしか」

「ありがとう、伊織」


 重ねられる感謝の言葉で弱音が塗り潰されていく。

 伊織は鼻の奥がツンとするのを感じながら、飛び出しそうになった言葉をすべて飲み込んで、どうにかこうにかこくりと頷き返した。


 理想の守り方ではなかった。

 それでも大切な人たちを守れた。

 ――いつかは静夏のように人々を守りたい。

 伊織はそう思いながら、今はただふたつの事実だけをありのままに受け止めることにした。

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