第26話 あたしの名前は

「夢中になり過ぎた」


三日後、災害獣ガイカルドを食べ続けていた彼女は囚われていた欲望から解放された。食欲に半ば理性を溶かしていたため三日という程度で済んだが、半ばではなかったらガイカルドを喰らい尽くすまでそうしていただろう。

そして三日という時間喰らい続けたにもかかわらず、巨体過ぎるガイカルドの死骸はまだ1割も食べられていない。


「でもおかげで随分と強い身体になった。前のあたしとも遜色なさそうだし」


三日も喰い続けた影響は明白に身体に現れていた。まずバラバラになっていた跡は完全に消え去り、体色がほんの少しあざ黒くなったものの元の身体に復元しきった。

服が色こそ多少黒くなったものの全て修繕されており、布切れ程度しかなかった3日前と比べれば社会的に見えるようになった。


肉体強度に至っては前のあたしすら超えており、魔力の強化なしでローヴルフすら超える脚力や大岩すら砕く膂力を得ていた。魔力総量については誰かを超えられてはいないが、近づきはした。魔力操作系の能力は前のあたしに比べると月とすっぽんもいいとこだけど、それは一朝一夕で身に付くものじゃない。

少なくとも災害獣とやり合っても逃げ切れるほどの力を……前のあたしの経験からしてもそう言いきれる程に強くなれた。


それだけ魔力が増えれば魂喰らいと言われる種族になったことも分かる。知識はあったからどんな種族なのかは分かったけど、「奪う」だのといった特性はちんぶんかんぷん。食べれば強くなるからきっとそれかな。


「それじゃこれからあたしはどうす……あたし?」


これからどうするか考えようとしたが、それ以前に決めなきゃ―いや、思い出さないといけないことがあった。


「あたし……名前は?」


レイスだった時も、前のあたしだった時も、あたしはあたしの名前を知らない。レイスになる前には名前があったような気もするから、きっと思い出せばあるはずだ。


ついさっき気づいたことだけど、ガイカルドにあったあたしを喰らった時、膨大過ぎる魔力に身を任されていたけど、記憶も少しだけ戻っていた。けれどその記憶では記憶の中にいる親しいモノの名前とか、どんな想いを持っていたのかは明白には分からなかった。


ただ多分そうだったんだろうという予想はつくものもあった。例えばある人間の男性にそれなりに親しい感情を持っていたんだろうってことや、別の人間の男女にも似た感情を持ってたんだろうってこと。

あと記憶に残っていた感情はもう一つあった。それは途轍もないほどの絶望。これについては何が起きたのか全く記憶がないけれど感情だけが残っていた。きっとレイスになった原因だろう。

思い出したくもないけれど、あたしの全部が返ってきたら思い出すことになるのかもしれない。……怖い、でも今じゃない。きっと思い出した時のあたしが何とかしてくれるだろう。


「名前……、んー…」


思い出そうとするもやはり霧がかっているかのように記憶は明白には見えない。身体が覚えているなら身体に残る記憶を奪うのだけれど、この身体は元のあたしの身体じゃない。あたしの身体である右目は喰らったから記憶は残っていない。


「右目?」


はて、と気づく。ガイカルドに合ったのは右目だけだっただろうか?。

ガイカルドと戦ったあの時、ガイカルドにあたしを見つけたあの時、確か右目以外にもあったはずだ。

記憶を少し検索すれば確かにそこには脳の一部があった。


「んー?でも今のあたしにはない……よね?。だとすると」


ガイカルドの死骸の頭に目を向ける。彼女が食べ掘っていた場所がえぐられているようになってこそいるものの、まだまだその大きさに変わりはない。


「あそこにまだある?」


左目を瞑り右目だけを開きガイカルドの死骸を見る。ガイカルドと戦った時に比べれば明瞭もいいとこという視界になっており、性能は彼女の身体が50mどころか1km先にあっても見つけられるほどになっていた。


「…あるね。食い残し」


瞳が1km近く先に吹き飛んでいた外殻を見て輝く。彼女が放った最後の一撃の威力が余りにも大き過ぎたがために、元は右目と同じ場所にあったはずの脳の一部は吹き飛んでいた。

外殻は破壊のされ方がまばらであり、粉微塵に吹き飛んだところもあれば割れて内部に貫通してるところもあった。幸いにも脳の一部は割れた破片の中にあり、粉砕されてはいなかった。

彼女は指輪からゼㇽを喚び、身体能力を自らの魔力で強化し脳がある外殻の破片へと走り出す。


「っと!、ここね。行き過ぎるところだったわね。前とは比べ物にならない強化…、慣れが必要かも」


1分もしないうちに破片の元へと辿り着く。障害物が散り散りになっている外殻以外に何もないため、今の彼女からすれば当然の踏破能力だった。

だが走った跡に残る魔力の残滓が自身の魔力を使い切れていないことを証明していた。

魔力の残滓は小さな動物や魔物の餌となるため、強い魔力を持つものは残しやすい傾向を持っている。だがより強力な魔物や災害獣からすればそれは美味しい餌がこっちにいますと言っているようなものである。

だからこそルーナのように全く魔力の残滓を残さないように移動したり戦闘するのがドワーフやエルフたちの基本だった。


彼女は魔力を扱い始めてまだ二日と経っていない。

彼女はレイスという魔力に意志があるだけの存在となっていたことで生物として生きるために魔力を操る術を、ルーナから継いだ知識から生物として動くために魔力を操る術を得ていた。

だがルーナの身体ではなく彼女の身体となった今は扱い方が違う。ガイカルドとの戦闘のときに比べて魔力操作技術が拙くなるのも必然だった。


「慣れは後からなんとかするとして……。…これか」


彼女が1m程の外殻の破片へと無造作に腕を突っ込む。脈動していた外殻の破片はそれだけで動きを止めた。

少しずつ外殻の破片に残っていた魔力が中心に集まっていく。

魔力が集まり切ったと感じ取った彼女が腕を引き抜くと、そこには30cmくらいの球状の肉塊が握られていた。


「それじゃ、いただきますっと」


一口だけブチっと肉を喰い千切る。右目を喰った時は右目が居場所を探すように動き回り激痛が走ったが、今回はそんなことはなかった。


「…あれ?。これで間違ってないはずだよね?」


彼女は残っていた肉も食べていく。右目でこれだと確認して一口で食べたが影響がなかった。もしかするとこの肉全体が元のあたしと融合しているのかもしれない。

30分ほどして肉を喰いきった彼女だが、身体に異変は全く起きていなかった。


「身体には…痛っ!?」


身体には痛みは走っていない。ただ頭の中に自分のものとは全く別の異質な魔力が入ってきていた。それは内臓に衝撃を与えるような痛みであり、失神してもおかしくないほどだった。


「がっ…!。ぁぁ……!」


頭が揺れ回されているようだ。それも数回回すどころか数百回は回されているようなものだ。右目のときは身体を弄り回されているようだったが、今度は感覚的なところが弄られている。

彼女はふるふると動く手を頭に当てた。自身の魔力を異質な魔力に食い込ませ、細かく分解していく。

頭に固まっていた異質な魔力を細かくし、身体の方へ流すと同時に痛みは治まっていった。

そして痛みが治まっていくと頭の中がよりクリアになっていた。


「記憶…あるわね。でもそんなに多くない?」


別世界である地球という世界。親がいるということ。友…?、いやこれは恋人だろうという人がいること。

それらの情報が流れ込んでくるも、詳細が全くない。例えば地球という世界の情報であっても、その風景や移動手段といったことはこれにはない。

それが身近な存在であったとしても同じだった。

だがそんなことよりも彼女には知りたいことがある。


「名前……。うみ?」


記憶には名前が明確にはなかった。彼女が理解できる範囲においては、だが。

正確には記憶上に存在していた。存在していたものの、それが自身を示すのだということが分からかった。発音が分からないならば書物に名前を記載されていたところで自分だと分からないのだ。

そして彼女は発音は分かっても言語の記憶が欠け落ちていた。


「むみ?違う…。二文字じゃないような気もするし」


彼女は首を傾げながら自分自身の名前を記憶から検索する。生来変わらないはずである自身の魂はそこにある以上、発音さえしっくりくればそれは自分だと言えるはずと考えていた。


「みーな?。うーみな?。違う…でも近い?」


彼女の考えは間違っていなかった。だが前提条件が一つだけ間違っていた。

確かに彼女は記憶や身体と言ったものは奪われたものの、魂はあった。だが彼女の身体に宿る魂は一つだけではなかった。


「るいな?、るみね?…。…るみな。ルミナ、これだね」


彼女―ルミナは自らの名前を思い出した。

異世界に来た当初であれば違うと叫んでいただろう。だが彼女はそこから残酷過ぎる異世界の経験を得てしまった。ルーナというドワーフから余りにも多くをもらい過ぎてしまった。

魂をもったままの身体を得てしまった。

その結果が思い出した名前だった。

名前は生命体が自身以外の全生物と自身を分ける明確な線引きであり、自我が独立した個体であれば変わることはない。




それはかつて自我のあった彼女には戻れないということでもあった。

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