第三章「ふたりのマリア」1-9
「まるで神隠しみたいな消え方だね」
「神隠しか、確かにそうかもな」
「他にも僅か数秒、目を離した隙に忽然と姿を消したっていう例があった気がする」
「しかし彼女の場合は、そもそも誰だったのかも分からないまま姿を消したから余計に謎は深まるばかりだ」
「……もしかしたら、この写真の女性こそ今、行方が分からなくなっている吉川さんかもしれない。彼女は時空を越えてお父さんが大学生の時代に迷いこんだ」
「面白い事を言うな。しかし、そう言われて妙に納得してしまうのも不思議だ。それだけ彼女は謎しかない存在だった。はっは、しかしそうか、本当の名前は吉川真里というのか。彼女はなんでリンと名乗ったのだろう」
「本当の名前を言ったら不味いって思ったんじゃない。本来、その時代には存在しない人がいるわけだし」
「なるほど。それさえ仮説、それどころかお前の創作話のようなものだが、それでいいような気がする。一応筋も通っているし」
「でも、もう一つ謎がある。吉川さんが着ているこの服。行方不明になった日、吉川さんはこんな服は着ていなかった」
「そうなのか。ということはこの前にもどこか別の時代に迷い込んでいたということか」
「そうかもしれない。そこで新しい服を与えてもらった。そうだったら吉川さんが急にいなくなったのもまたどこか別の時代に飛ばされてしまったのかも」
「そんな一つの時代には長く居られないものなのか?」
「それはさすがに聞いた事ないけど、知らないだけでそういうものなのかもしれない」
「面白い話を聞けた。お前に話して良かったよ。ところでお前、彼女と一緒に働いていたんだろう。どう思った?」
「どう思ったって、どういうこと?」
「つまり、惚れなかったって事だ」
「それ、本当のお話ですか?」
「信じられないかもしれませんが、本当です。ほんといつ居なくなったのかどう考えても分からないくらいのような一瞬のタイミングで、音もなく消えてしまいました」
吉田幸樹の話を聞き終えてピリピリとした空気が流れる。裸足で発見された記憶のない女性、後ろを向いていたほんの数十秒も経たないような内に消えてしまった。内容が奇妙な昔話の類いとしか思えない。
吉田幸樹は鼻をすすり、やがて咳払いしながら目を潤ませていた。
「どうなされたのですか?」
その様子を見て慌てる西田。真里は石像のように表情一つ変えず右の手のひらを肘あたりに置き黙っていた。
「申し訳ない。まさか、こんな歳になってからまた会えるとも思っていなくて。いや、実際はリンにもの凄く似た吉川さんなのかもしれませんが。宜しければこちらの都合に従って、またあの時のように写真を撮らせてくれないでしょうか? 実はこんな話が上がっていまして」
吉田幸樹はリンとの出会い、あの公園で写真を撮ったのをきっけに写真家を目指す決意をしたと初めて打ち明けてくれた。公式としても発表していない裏話だ。もしかしたらこの職業に就けばまたもう一度、出会えるかもしれないという淡い期待もあったようだ。そのくらいリンはモデルとしての素質があったと当時から感じていたらしい。ならまたどこかでモデルとしてカメラの前に立っていてもおかしくないと。
「まだ若手の頃ある仕事の依頼が来まして、それはあるミュージシャンのアートワークでした。その流れでCDジャケットも手がけることになったのですが、要望の一つに人物をジャケットにしてくれとありまして私はある事を思いつきました」
あの公園で撮ったこの1枚の写真を採用すると決めた。理由の一つにこうして一つの作品にある人物の写真が無断で使われていたら抗議の連絡一つくらいかかってくるのではないかと読んだ。それは当然、褒められた事ではないがこの件に関しては願ってもない事だった。そういう連絡が来る、それすなわちリンの足取りが掴めることに繋がるからだ。
「結局は発売してから何十年と経ってもそんな問い合わせは来なかったのですが。まぁ、そこまでメジャーな方でもなかったですし。でもね一応、音楽ファンの間では未だに根強いファンも多くてね。そんなファンの要望に応えて今度このCDを含むアルバム6枚がリマスターされて、ボックスセットで再販される事になったらしいんだ。それで事前予約特典で何か付けた方がいいですねって話があるらしいんだけど、私は是非、あのジャケット写真を吉川さん、君で撮り直したいと提案するつもりだ」
「おぉーそれはいいですね」西田は良いアイディアだと賛同の意を示した。
「どうかね?」
「……わかりました、いいですよ」
素っ気ない返事であったが断る理由もないと承諾した真里。
吉田幸樹は積年の願いが叶ったような表情だった。まさにこの時のために写真を撮り続けてきたと言っても過言ではない勢いで張り切る。この撮影には西田もアシスタントで同行する事になった。
「真里、なんかさらに元気なくなっていない? 吉田さんは気にしていない感じだったけど私ちょっと気に障らないかハラハラしたよ」
「そうだね、ごめん。世の中には不思議な話もあるんだなーって思うとなんかしんみりしちゃって」
「本当だね。インターネットで調べればそういう不思議な話だったり怖い話なんて山ほど出てくるけど、こうして体験者から直接、話を聞くとなるとより胸がソワソワして、不気味さも倍増するよね。ところで……真里、もう一度確認するけど、本当に磯村さんの記憶、戻ったんだね?」
「うん、そう、思い出した。最後は随分、あっけなくあっちの世界に行っちゃったんだね。酒に酔っていて海に落ちたって。ちょっとそういう不注意な一面があったのは意外だったかも」
「まぁ、二人が付き合っていた時はまだ未成年だったし……」
「ううん、そういうの関係なく。恭ちゃんってすごい他人の事、配慮してくれる人だったし。自分の事でもそんな後先、考えず突っ走って酷い目に遭う、そういうのには縁のない人だと思っていた」
「たまたま真里の前ではそういう気配を出さなかっただけじゃない? それにいくらそういう印象でもたまにはそこから外れる姿を見せるのが人間っていうものだと思うし」
「そうかもね。でも、私と別れなければ別の未来があったと思う」
「……真里。うん、確かに、あんな形で別れなければきっと磯村さんはもっと長生きしていたような気がするよ、私も」
「こんな事、話していると朝倉あおいさんだっけ? その人にはもの凄く失礼だけど。二人はいつから付き合っていたのか知っているの? 麻里は会った事あるの?」
「その話か……。あおいさんには感謝しなきゃいけないんだよ。どん底に落ちた磯村さんを一途に支えたのは間違いないんだから」
西田は自身が知る限りの事を話そうとした。付き合い始めた時期、そこからなぜ磯村が音楽活動を始めたのかそのきっかけを、本来なら真里がその場に居たであろう空白の期間を……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます