第7話
「――学校が始まってすぐのことよ。うちの学校ってね、他と違って生徒会が執り行う仕事がちょっと多いというか、変わっているというか······。だから、他の学校でそれは生徒が任されるものではないでしょ――って言われたらそれまでなんだけれど」
〝違って〟とは言うものの、僕達は〝他の学校〟というものに通ったためしがないし、この小さな街にある高校は麓咲高校以外に工業専門学校か看護学校、それから大学が一つしかないので比較対象がないのだけれど。
麓咲高校の生徒会は、生徒と括るにはいささが大きすぎる権力を有している。変わっているとしたら、ここだろうか。
例えば――校外、校内の催し物は、全て生徒会が主体となって執り行われるのだ。予算、備品の発注から、業者の手配、地域への心配りなど、その仕事は多岐にわたる。さらに殆どが、教諭の意思決定を介さずに進行していくのは――
――うん、確かにあまり聞かない校風もしれない。
つまるところ、先生と同等とまではいかないが、それに劣らぬ権力と〝責任〟を課されているのは確かである。故に、生徒の間に起こるいざこざや問題というものを解決するのは主に生徒会役員ということになるのだ。さすがに、公共機関(警察等)に掛け合う場合は大人が前に出てくれるとはいえ、実質、話を見聞するのはやはり生徒会なのだという。
――説明すればするほど、この隣にいる少女がその最たる権力と責任を背負う〝会長〟という席に就いているということが信じ難く思えてきた。
たるるは「短期間――たかがこの四週間のあいだに、何人もうちの生徒〝だけ〟が居なくなっているの」と続けた。
「最初にいなくなったのは、篠突柳子(しのつきりゅうこ)さん。部活が終わったであろう時間から随分と経つのに、いつまでたっても帰ってこないって親御さんから連絡が来たの。失礼とは存じているけれど、そんなに素行のいい子じゃあなかったから、ただの家出じゃないかってことで断片的には片付いた――いや、片付いたっていうのには語弊があるかな。一先ずは、生徒達に伝えたり騒ぎ立てることはせず、先生と篠突さんの親御さんだけで帰って来るのを待とうって話になったの」
「でも――見つからなかった、と」
「······うん。今も〝見つかっていない〟わ。それからすぐ、次の子が――たった一週間後のことよ。梅田鶯(うめだ けい)ちゃん。去年、私と同じクラスだったからよく覚えてるわ。スペインとのハーフの可愛い子でね、軽率にふらりと家出だのなんだのをするような子じゃなかったし、仄聞した限りでは、友達と喧嘩や言い合いをした覚えもない――」
「虐待の可能性は? 親が監禁してるとか」かよ子さんが保護者に疑いの目を向ける――最悪の可能性を口にする。
「そういう事件はニュースでたまに耳にするよね。けど、これは個人的な見解だけれど――日常的に圧迫された教育的指導を受けていたようにも見受けられなかったなあ。むしろ自由主義というか放任というか――親御さんも〝高校生なんだから友達の家に泊まったんだろう〟って〝悪ぶりたくなったのね〟なんて最初は笑って待っていたらしいの。でもさすがに何日も連絡が無いままだなんておかしいと思って学校に連絡してきたらしいわ」
「もう少し手前で心配にはならなかったのかしらね。放任主義と言っても限度があるわ······」
「まあ、しっかりした子だったからね。ね、虐待だとか、圧迫的な教育をしているようには見受けられないでしょう?」
「そうね。一歩間違えればネグレクトだけれど」
「ネグレクト? ないない。過度である可能性こそあったとしても、薄弱なことはないと思うよ」と、たるるは人差し指を立てて笑った。
梅田さんの家族は、日本人の母親を含め、皆パッション溢れる性格らしい。体育祭、学校祭などの行事には積極的に参加する、PTAの役員も進んでやる、そんな家族が大好きで仕方がないような人達なのだという。さすがタンゴと情熱の国の方である――その人と波長が合う家族なだけのことはある。
僕は我が家のいやにハイテンションで笑顔が情けない父親を思い浮かべてみた。あれの上位互換的な感じなのだろうか。
――うーん。それは······ちょっとどころではなくうざいかもしれない。
「それから程なく、休らう暇もない間に三人目。もう、私なんかじゃ手に負えなくなってきてることは薄々――ううん、はっきりと気づいていたけれど、それでも――」
「それでも――一度背負ったものを誰かの背に乗せたくなかった?」
「············」
「正義感は確かに素晴らしいものよ。どんな感情よりも他人に優しくてハッピーエンドには欠かせない代物ね。けれどもね――正義感はハッピーエンドに欠かせないし優しいけれど、ハッピーエンドは真実に優しいわけではないし、真実が必ずしも正義感に寄り添ってくれるとは限らないのよ。たるちゃん、あなたのやっていることが〝誰かの為〟という正義ではなく、ただの意固地になっていることも、生徒会がどれだけの権力を有していようとも、所詮は子供。子供にはどうすることも出来ないものだって、あなたほど聡い子だもの。気づく前に――一人目の時点で、もう分かっていたんじゃなくって?」
たるるの喉がひゅうっと鳴る。かよ子さんは変わらない笑顔で――つるりと光る目で、その喉を、目を、たるるそのものを射抜く。
「それはもう――正義感じゃないわ」
「ちょ、ちょっと待って」
僕はやにわに手を前に出した。手のひらを向けたことに顎を引いたかよ子さんを睨めつける。
「それはいささか言い過ぎじゃないですか? かよ子さんの言う通りかもしれない――たるるだってきっとそれは分かってるはずだ。それでも――けれども、周りから向けられる責任を果たそうと、求められるものに応えようと雁字搦めになるくらい頑張っていたんです! それを、正義感じゃないだなんて簡単に切り捨てないでください!」
あまりに口さがない無慈悲な物言いに、僕は思わず声を荒らげた。下唇を噛んで声を結んでしまったたるるの肩が小さく震える。その弱々しいさまに、ちくりと心が痛んだ。
ごめん、怒鳴り声は嫌いだって前に言っていたのにね。
僕だって、全ての事情を把握しているわけではない。他の生徒会役員や先生達に比べたら、数ならぬ身の幼馴染なんて蚊帳の外、どころの話じゃない。出来ることも知っていることも、微々たるものだ。本当はこんなふうに口を挟むことすら烏滸がましいのだけれど。けれどもしかし、今朝のことも、無駄な居残りを嫌う彼女が毎日毎日太陽が寝静まるまで学校で仕事をしていることも、僕は知っている。休日返上で制服に身を包んで家を出ていく後ろ姿を寝ぼけ眼で見下ろした土曜日も、久しぶりに――二週間ぶりに隣を歩くたるるの目の下のクマも、下がった眉尻も、全部――知らないけれど、僕は見ていたのだ。
――らしくあるために、らしくないことをしているのよ。
何も知らないけれど――知らなかったけれど、たるるがそう言って笑った顔だけは、僕は誰よりもよく知っている。
――黙ってられるかよ。
――何にも知らないくせに。
眉間に皺を寄せて憤懣の向けどころを決めあぐねている、というより向けたくないと切っ先を止めている僕に、笑顔を変えることなく――真顔を崩すことなく、かよ子さんはのたまう。
「あら、気分を悪くさせたならごめんなさいね」
僕の手の向こうにいる、縮こまってしまったたるるにも「ごめんね」と首を傾げた。
かよ子さんのよく通る声色のせいだろうか、それとも穏やかすぎるほどに朗らかに細められた瞳のせいだろうか、はたまた、僕のつむじ曲がりな偏見のせいだろうか。「ごめんなさい」という音に、意味も重さも感じない。まったく悪びれた様子のないその有様に、二の句が告げなかった。
「大丈夫。本当のことだもの」と俯いたままのたるるの声が膝を転がって畳に消える。
正義感すら否定したことを、本当のことだなんてどうして言えようか。僕には無理だ。猪突猛進なたるるの感情はまっすぐだ。責任感が強く、自分の任だと思えば一所懸命に打ち込む。行動も然り、在許紫和という馬鹿は、そういう奴なのだ。
それでもそんな自分すら否定するように、落ち込むなんてお門違いだね――なんてことを言うたるるに、違うだろと声を上げようとして既のところで別の声に塞がれた。
――それは違う。
僕ではない、反響を知らないかのような通る声がハッキリと断言する。
目を泳がせながらも顔を上げたたるるに、「違うのよ」ともう一度、今度はゆっくり紙芝居を読むようにかよ子さんは同じ言葉を続けた。
「意地だろうが義務だろうが、儘ならないことを嘆かましく思うことは何らお門違いじゃないわ。確かに正義感だけで動いていたわけじゃないでしょうと私は言ったけれど、正義感がなかったとは言っていないでしょう? たるちゃんの根底にあるものは、ちゃんと正しい――正義感よ。人の感情は一つではない、十の割合をいくつかの感情が陣取りをしている――それが感情よ。そして、その中で一番陣地の多い感情が表に出る、重きを置くもの――理由になるの。その割合にあなたの〝正義感(理由にしたいもの)〟が含まれていないとは思っていないわ。ただ、今、あなたの中で一番大きくなっているものが、正義感よりも意地なのではないの? ってそういう話よ」
僕はいきんでいた肩の力を抜く。相変わらず静かなままのたるると何一つとして変化のない凪いだ笑顔のかよ子さんに、僕一人だけが昂ってしまったような気分になって決まりが悪い。栓を抜かれた風船のようにしおしおと乗り出していた身を座布団に落として、行き場のなくなった手を湯呑みに添えた。まだ熱いくらいに温かいそれが、じんわりと僕の熱を上回っていく。
「私の言葉選びが悪かったのよね。もう下手に横槍入れないから、また続き、話してくれるかしら?」と小首を傾げたかよ子さんに、隣のふわふわ頭が珍しく大人びた苦笑いを浮かべて、大丈夫だよ、と続けた。
「うん――さっきも言ったけれど、たかだか小娘一匹二匹が集まったところでどうこう出来ることじゃないってことくらい、そんなことくらい私が一番よく分かってたの。せっかく怒ってくれたリオ君には悪いけれど、抗弁しなかったんじゃないわ、ムキになれないくらいに的を射ていただけなのよ」
私が悪くない――責任を一切持たないものがあるとしたら、それはほんの一時間前の一本道のことだけ、とたるるは一変して見慣れたふにゃりとした面差しではにかんだ。そうかと思えば、さらににべもなく「だってあれは避けようも解決しようもないじゃない」と間髪入れず頬を膨らませた――わざとらしく色を変えたたるるに、僕は安心と感心の声を上げた。
忙しなく、気丈な奴だ。
心配して損したとは思わないけれど、こちらの感情が傾く度に反対側から袖を引っ張るような態度は、さして表に驚きが出ないほど慣れたとはいえ、勘弁願いたいものである。杞憂で済むならそれに越したことはないが、今回のような〝杞憂で済まない、取り越せない事案〟も無いわけでない。
備えあれば憂いなし――という諺とはいささかニュアンスが違うかもしれないけれど、何かあってからでは遅いのだから、心配しないわけにもいかず。よしんば無関心に徹するだなんてことができるはずもなく、僕の肝はいつだって冷えたり温くなったりの繰り返しだ。
ころころ変わる顔色から透ける本心を常に見通せたなら、僕の憂愁はどれだけ減少し晴れ晴れとすることだろう。そんなことを何度考えては打ち消したか分からない。確か、三十七回を超えたところで〝四十回はさすがにやばい〟と数えるのを辞めたんだった。もう随分と前の思い出だ。
数えるのをやめただけで、何も解決していないけれど。
人生、諦観。
物分りのいいフリだって、美徳だろう。
かよ子さんは目を伏せて黙ったまま、次の言葉を待っている。湯呑みを持つ指先は不健康なまで白い。こつん、とテーブルに湯呑みが下ろされる音がなんとも言えない呆れた雰囲気に水を差した。さっきまで〝ぶりっ子〟の顔をしていたたるるがぱたりと頬を萎ませる。かよ子さんとは相反する、血色の良い頬が、笑顔に染まる。
世の女性の多くが羨むほど、長いまつ毛に縁取られていることは同じなのに、二人はひどく相対的だ。
たっぷりと蛍光灯から光を取り込んだ赤褐色の目が僕とかよ子さんの顔を映していく。言わんとすることを肯定するように、僕はどうぞ、と垂れてきた髪を耳にかけながら頷いた。
「さ、続けましょう。毒を喰らわば皿までよ!」
――なんか違うくないか、それは。
「······それはちょっと意味合いが変わってくるけれど――お願いするわ」
思考が謎すぎるかよ子さんと僕のツッコミが始めてシンクロした記念すべき瞬間である。
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