第96話 法と真実の神

 それから3日ほど平和な日々が続いた。

 あれからイツナはいつもどおりの笑顔を見せるようになり、シアンヌは未だ帰らず、ステラちゃんはシンジを連れ歩いてどこかに遊びに行く。

 ティナが俺がいなくならないことに安心し始めた頃、彼らは俺の予想通りに現れた。


「たのもう!」


 挨拶とともに巣立ちの翼亭の扉がやや乱暴に開け放たれる。

 食事を楽しんでいた客たちが一斉に何事かと入り口に注目した。


 そこに立っていたのは白銀の鎧に身を包んだ男。

 如何なる不正も許さなさそうな、厳しく、いかつい表情のまま周囲を見回し……料理を配膳していた俺を見咎めると、まっすぐにこちらへ歩いてきた。


「お前がサカハギリョウジだな?」

「はあ、確かにそーですが。御仁、お客ってわけじゃないですよね。なんの用で?」


 やる気なく返すと、白銀の御仁が巻物を取り出してバッと広げて見せた。


「法と真実の神ロウエスによる召喚状である。おとなしく大神殿まで来てもらいたい」


 ざわざわと客たちが騒ぐ。

 法と真実の神と言ったら、この世界における法と秩序を司る神である。

 そこからの呼び出しとなれば、当然ただ事ではない。

 

「嫌だと言ったら?」

「その場合は強制執行を行なう。拒否権はない」


 俺の確認に、きっぱりと何の感情も交えずに答える白銀の御仁。


「なるほど。確か法と真実の名の下には何者も抗うことなかれ、だったか」


 確かそんな教示だったはずだ。

 やれやれと肩を竦める。


「わかりました。ついてきますよ」

「え、サカハギさん!?」


 俺のわりかしあっさりとした回答に、今後の展開について何も知らされていないイツナがびっくり仰天する。

 いつもの俺なら唯々諾々と従うはずがないからだろう。


「では、すぐに出る。挨拶を済ませておくのだな。逃げようなどと思うなよ」


 白銀の御仁がマントを翻して出ていくと、ティナが心配そうに俺のもとにやってきた。


「リョウ、いったい何が起きてるの……?」

「大丈夫だ。何も心配ない」


 想定していた流れの中ではムカつきはするけど、まだマトモな方だ。

 ひとまず流れに乗ってみるとしよう。


「じゃあ、ちょっと行ってくる」


 散歩に出かけるような軽いノリで手を振ると、ティナが後ろから抱きついてきた。

 その温もりに少しハッとする。


「気をつけてね。絶対に帰ってきて」

「ああ、当然だ」


 ティナが名残惜しそうに離れる。

 そこにステラちゃんがシンジを連れてやってきて、俺を見上げた。


「にーちゃ、いっしょにいきたい」

「ごめんな。ステラちゃんはシンジのことを頼む」

「うー……やだ。でも、わかった」

「いい子だ。それと、シンジ」

「えっ、ボク?」


 自分の名前を呼ばれると思ってなかったのか、シンジが驚いて目をぱちくりさせる。

 そんな息子に目線を合わせるように膝立ちになり、まっすぐに見つめた。


「お前は戦士なんだよな?」

「……う、うん。戦士だよ!」


 俺の問いかけにシンジは少しだけ逡巡したものの、力強く頷いた。


「だったら、母さんのことを守ってやれ」


 まだ4歳のシンジには何を言われてるのか、わからないかもしれないけど。

 いつの日か、思い出してくれる日があるかもしれない。

 ジーッと見つめていると、やがてシンジがコクリと頷いた。


「わかった。お母さんのこと守るよ」

「よし、よくできた」


 頭をくしゃっと撫でてやってから、すっくと立ち上がる。

 これでしばらく平和な生活からはオサラバだ。

 それと、最後になったが。


「イツナ。みんなのこと、頼んだぞ」


 シンジとのやり取りを不思議そうな顔で見つめていたイツナに背を向けたまま言葉を投げかける。


「……うん。任されたよ!」


 いつものような元気な答えにフッと笑いながら、俺は巣立ちの翼亭を後にした。




 俺を乗せた物々しく板金された馬車が大神殿のある王都の方へガタゴトと音を立てながら進んでいく。

 白銀の御仁と似たような鎧を着て軍馬に跨がったフルヘルメットの騎士たちが厳重に馬車を取り囲んでいる。

 護衛というよりは脱走を防止するための措置だろう。


 現に俺は馬車に乗るなり手枷と猿轡を嵌められた。完全に犯罪者扱いである。

 そんなもんだから、道中もまったく会話はない。

 こんな扱いを受けても大人しくしているのは、これが俺の計画に沿った流れだからである。


 俺がイツナとシアンヌに預けたお供えには、俺の名前と今回の目的の書かれた封書が仕込まれている。これによって神サイドからの接触を待つつもりだったのだ。

 神の真名を調べ上げれば直接召喚することも可能だが、いきなり喚び出された者の気持ちを知る者としては、これから交渉する相手と考えると避けたい道である。

 この展開が俺の思惑と無関係だったらひと暴れするところだが、王都までしばらくの辛抱だ。

 と、思いきや。いきなり馬車が止まった。


「ここだ。降りろ」


 少しばかり首を捻りつつ、早速予想とは少し違う展開に胸を踊らせながら、指示には従う。

 俺が降ろされたのは、だだっ広い平野。神殿はおろか家の一軒も見当たらない。

 白銀の御仁に猿轡を乱暴にずらされ、口が解放される。


「ぷはっ。俺を大神殿に連行するんじゃなかったのか?」

「その必要はない」

「へえ。神の名においてっつー割には随分と嘘がお得意で」

「無論だ。犯罪者が相手であれば、どのような嘘も許される」


 皮肉を込めた軽口に白銀の御仁が表情ひとつ変えずに堂々と胸を張る。


「で、ここで何をするって?」


 護衛の騎士たちが無言で俺の首に縄をかける。

 縄の伸びる先は俺の背後、先程乗っていた馬車の後部に取り付けられていた。


「こいつはどうもご丁寧に。ところで俺の罪状は?」

「お前は最高神リ・アーズを侮辱した。その無礼は万死をもって贖われなければならない」


 うーん、どうやら俺のお供え物はそのように捉えられたらしい。

 できるだけ丁寧文で書いた上、充分に神サイドのメリットも記述したつもりなんだが。


「俺はその最高神ってほうにお供えしたんであって、法の神のところに貢いだ覚えはないんだけど」

「すべての供え物は必ず我らが検閲する」

「あ、なるほど。それなら納得」


 俺のお供え物は最高神の目に触れる前に、おまわりさんに見つかってしまったらしい。

 だいたいいつもはコレでいけるから、ちょっとばかし油断したかな。


「さて、もう言い残すことはないな?」

「んー、ちなみに刑の執行の結果死ななかった場合って、どうなるんだ?」

「そのようなことを考える必要はない」


 白銀の御仁が断言したので仕方なく付き合うことにする。


「おーけー。じゃあ、死ななかったときはそのとき考えよう」


 俺の今後の身の振り方も含めてね。


「よし、やれ!」


 白銀の御仁の指示を待っていた御者が馬を全力疾走させるべく、その背を手綱で強く叩いた。

 その瞬間。


「あーあ、だから言ったのに」


 本来であれば首を一気にへし折り引きずり回すという極刑なのだろうが、俺の肉体はビクともしなかった。

 その結果、逆に引っ張られた馬車のほうがバランスを崩して激しく横転してしまったのである。

 もちろん、俺の首をくくっていた縄は引きちぎれていた。


「ば、ばかな……」

「化物か?」


 騎士たちが信じがたい光景に狼狽し、俺に恐怖のまなざしを送ってくる。

 ただひとり、白銀の御仁を除いて。


「何故あらがう。貴様は罪人だ。大人しく刑に服し、その人生を全うせよ」

「俺は別にあらがったつもりはないんだが」

「私の目は誤魔化せん。お前がどれほど特別で首の骨が折れなかろうとも、地面か空間に自身の肉体を固定しない限り、馬車のほうが引っ張られることなどありえん」

「ありゃ、バレてたの」


 肩を竦めてから、首にかかっていた縄の残骸をポイッと捨てる。


「わかっているのか? 抵抗すれば、貴様の家族にも累が及ぶ事になるのだぞ」

「わかってないのはお宅の方だろ。今は俺だけだから大人しくしてるが、人質を取るって言うならこっちも後には退けなくなるぞ」


 俺の警告に白銀の御仁が初めて笑った。

 もっともそれは圧倒的な余裕に裏打ちされる酷薄めいた笑みだったが。


「いや、理解していないのは貴様だ。罪人はすべからく法と真実の神ロウエスの前に膝を屈する。そのように定められているのだからな」

「わかったわかった。そういうの、もういいから。そろそろちゃんとお互い自己紹介しようや」


 アーアー聞こえないー、と耳を抑える素振りを見せつつウインクし、笑みを返す。


「俺は通りすがりの異世界トリッパー、逆萩亮二」

「罪人に名乗る名など――」

「で、アンタは只の死刑執行人なんかじゃ当然ない」


 白銀の御仁の返答を遮り、その名を告げる。


「なぁ? 法と真実の神……ロウエスさんよ」

「…………」

「アンタ、代行分体だろ。言っとくけど隠しても無駄だぜ。その気になれば俺の鑑定眼で確認できるんだからな」


 もちろん、確認するまでもなくバレバレである。

 人間離れした雰囲気。

 俺の異常性を目の当たりにしても維持された泰然自若の姿勢。

 そして法を司る神々に共通する、頭の硬さと会話の通じなさ。

 まあ司る権能が「法」「正義」「秩序」とかだから、しょうがないんだろうけど。


「ああ、もしも周りの連中の目を気にしてるなら大丈夫だぜ? 全員、俺の魔法で石化させといたから」

「……ッ!?」


 白銀の御仁が初めて動揺に息を漏らし、視線だけで周囲を確認した。

 無論、騎士たちは俺の宣言どおりになっている。


「いつの間に」

「アンタが罪人に名乗る名前とかなんとかほざいてるときにだよ」

「自ら罪状を増やすとは、愚かな」

「いやいや、どっちみち罪ポイントマックスで死刑だったんだろ? で、どうなんだ?」


 俺の再確認に白銀の御仁がすぅっと目を細める。

 その身に纏う人ならざる気配をさらに濃くしたかと思うと、まばゆい光を放った。

 普通の人間が直視すれば失明すること請け合いの神の光。

 輝きが晴れた後、白銀の御仁の姿はそこにはなく。

 白銀の衣を纏い、先端に天秤のついた杖を左手に携えた男が立っていた。

 かの者が厳かに口を開く。


「如何にも。我こそが法と真実の神……ロウエス・リュ・アルマイアである」

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