第85話 逆萩亮二の勤勉な労働

 俺が異世界で金策しようと思ったとき、所持している貴金属類を売却するのが一番手っ取り早い。

 冒険者ギルドがある異世界なら魔物素材の売却が容易いので悩むこともない。

 だけど今回は道を聞いた番兵から「冒険者ギルド? なんだそりゃ」って言われてしまった。

 どうやら冒険者という職業自体がない異世界だったらしい。あるいは、この地方にないだけか。俺にとってはどちらも同じことだ。


 気を取り直して取引所にアイテムボックス内のダイヤモンドを持ち込んでみたところ。

 

「申し訳ないが、鑑定書のないものは取り扱えませんな」


 立派なカイゼル髭のオッサンが俺が取り出した宝石を真剣に見繕ってくれたあと、至極もっともなセリフを吐いた。


「いやー、そこをなんとか頼む! どうしても今すぐ金が必要なやつがいるんだよ!」


 目の前で拝み倒してみるものの、オッサンの返事は変わらない。


「確かにこの宝石は値打ちモノのようですが、盗品かもしれんものを扱うわけにはいきませんな」

「ぐぬぬ……」


 悔しいけど、こればかりはオッサンの意見が正論だろう。

 出処がわからないモノを、紹介もツテもないような馬の骨から買い取れるはずがない。


 これが冒険者ギルドの買い取り所とかだと、いろいろすっ飛ばせるのだけど。

 盗品を扱ったら大きなペナルティがあるだとか、冒険者は信用商売だし違反が判明したら超強い追跡者がどうちゃらこうちゃらとか取ってつけたような理由で買い取り審査が甘くなっているのが冒険者ギルドの買い取り所。

 金に関係する誓約だと手っ取り早い金策ができて何かと重宝するから、野暮なツッコミはこれぐらいにしとこう。

 

 さて、買い取ってもらえないとなると仕方ない。

 いつもどおり催眠チート使ってゴリ押しするか。

 あるいは幻惑魔法で偽の鑑定書でも用意するか。

 とはいえ、オッサンは公正な取引をしようとしてるだけだしなぁ。この人のキャリアに傷をつけずになんとかダイヤを売る方法はないもんかねー。


「なにやら訳ありの様子ですが、あまりこういうモノを他で出さないほうがいいですよ。場所によっては、よくないものを引き寄せますので」

「あ、はい。気をつけます」


 ああ、うん。だめだな、これは。

 クズラッシュで荒んだ俺に親身になってアドバイスをしてくれるような人を巻き込むわけにはいかん。

 異種族奴隷コレクターの変態悪徳貴族でも探して金を巻き上げよう、そうしよう。


「……ところであなた、名前は?」


 などと思いながら席を立とうとすると、オッサンが俺を呼び止めた。


「通りすがりの異世界トリッパー、逆萩亮二っす」

「あなたの瞳はとても先を見据えているように見えます。どうか、頑張ってください」


 俺の名乗りに眉ひとつ動かさず、微笑みとともに送り出してくれた。

 そこまで言われたら、盗みも殺しもできないじゃないか。


「よし、ここは一つ真面目に働くとしますか!」


 店を出ると同時にそんな決意を胸に秘め、俺は取引所から大きな一歩を踏み出した。




 そしてそれから。


「あーっははははは!! いやぁ~、悪いねぇ! 今夜はツイててさぁ!」


 青ざめるディーラーをクソ神を見下すのと同じ目つきで嘲りながらバカ笑いする俺は、とある地下カジノにおりましたとさ。


 テーブルの上にはトランプによく似たカードが何枚も散らかっていたが、俺が行儀悪くドンと足を乗せると、卓上のチップまでもが弾けて散らばる。

 その行為を誰も咎めない。ディーラーがしたり顔で仕掛けてきた最後の勝負で、俺の全勝ちが確定したからだ。


「やっぱり、こう、あれだね。たまにはこういう誰にも迷惑をかけず地に足をつけた労働ってのもいいもんだ。そう思わない?」


 すべての指に宝石の指輪をこれ見よがしに煌めかせ、片手にワイングラスをくゆらせると、ディーラーが唇を震わせながら首を横に振った。


「こんな、バカな……。どうして。いやどうやって!」

「んー? どうやってぇ? 一体、何の話をしているのかな?」


 そう、何の話かわからない。

 ディーラーが袖に仕込んでたイカサマ用カードが俺の手札に空間転移してる理由なんて、全然わからないな~。


「さて、担保にしてたダイヤも返してもらうぜ。あんがとさん」


 誓約者の天文学的な借金を返すには、あと数件の地下カジノをハシゴしなきゃいかん。

 真面目な労働者が時間を無駄にするわけにはいかんのよ、チミィ。


「待て! このまま帰れると思うのか! おい、コイツを取り押さえ――ぶべらッ!?」

「おい、貴様――がはッ!」

「ぐええッ!?」


 軽めの念動力サイコキネシスでディーラーをまっすぐふっ飛ばし、俺を両脇から押さえ込もうとした巨漢ふたりをバンザイするような姿勢で繰り出した裏拳で顔面を潰し制圧する。


「お、わりぃ。こいつは治療費なー」


 去り際に俺が親指で天井に向けて弾いた金貨が、壁に叩きつけられてぐったりしているディーラーの胸ポケットにすぽっと入りこむ。

 ざわめくスタッフや客を尻目に俺は悠然とカジノを後にしたのだった。




 夜を徹して日が昇る。

 他の街の地下カジノが開くのは夜からなので、仕方なくうらぶれた酒場で悪酔いできそうな安酒をあおっていると。


「いやはや、お見事ですな」

「あん? アンタは……」


 カウンターで俺の隣に座ったのはダイヤを鑑定してくれたカイゼル髭のオッサンだった。


「驚きましたよ。まさかこの街の裏カジノをすべて荒らしきってしまうとは」

「アンタ、どうしてそれを?」


 若干警戒した声音で聞き返すとカイゼル髭のオッサンはにこやかに笑った。


「わたくし実はこういう者でして。ちなみにそちらは奢りです」


 名刺とともに俺が飲んでいるより数段高価な酒のグラスが俺の前に滑る。


「異世界情報コンサルティングサービス? なんじゃこりゃ」


 紙面に記載された奇妙な肩書に思わず目を細めると、カイゼル髭氏は鷹揚に頷いた。


「手っ取り早く言いますと、異世界を旅する方々にさまざまな情報を提供することを生業としております」

「アンタ、この世界の人間じゃなかったのか」


 鑑定眼を起動すると、たしかにこの世界の住人とは魔力波動が違った。

 地球出身ではないようだが、このカイゼル髭氏も俺と同様に異世界トリッパーなのは間違いなさそうだ。

 名刺に書かれている名前は偽名のようだが、チート能力の中には名前で対象を殺せるものもあるから知識がある者なら当然の用心と言える。


 た限り、俺に対する敵意はなさそうだった。


「それで、俺に何の用?」

「サイドビジネスですよ。サカハギ殿はこの世界での通貨を求めてらっしゃるようなので、ちょうど良さそうな情報を持ってまいりました」


 奢りの酒をあおりながら一瞬だけ思考する。

 うさんくさい話だけど……情報収集に使う時間を考えれば、話に乗ったほうがいいかもしれない。


「情報の対価は?」

「そうですな……先日のダイヤでどうでしょう?」


 カイゼル髭氏の目が光った。

 高額で捌けるルートを持っているであろうカイゼル髭氏にとっては十分な価値があるものなのだろう。

 逆に俺にとっては安い買い物と言える。


 無言でダイヤモンド――もちろん何かしらの鑑定系チート能力を持っていそうな魔力波動を持つ相手に偽物を握らせるなんてことはしない――をカウンターに転がすと、取引成立と見たカイゼル髭氏は鷹揚に頷いた。


「では、こちらをどうぞ」


 カイゼル髭氏がカバンから書類を取り出し、俺に手渡してきた。


「ふぅん……闇剣闘試合か。面白そうじゃないか」


 闇剣闘試合。

 簡単に言えば選手同士で殺し合い、客はどちらが勝つか賭ける競技だ。

 闇試合ということは当然、違法レートなのだろう。


「今回の儲けを元手にすれば資金は十分。そして、あなたが剣闘士として試合に出て自分に賭ければどうなるでしょうな?」


 なるほど、そいつは名案だ。

 彼がそういうからには、剣闘士が自分に金を賭けるのもアリなのだろう。

 さらに、カイゼル髭氏は意味ありげに口端をつり上げた。


「あなたの実力はカジノでの一件で既にわかっております。当然、わたくしもあなたに賭けさせてもらいますよ。それが本当の報酬というわけですな」


 うわー、そういうことか。


「ったく。アンタには完全に騙されたぜ」

「何の話でしょう? わたくしはどこにでもいる勤勉な労働者ですよ」


 カイゼル髭氏のセリフを受けて、俺達はお互いに邪悪な笑みを浮かべ合った。




 カイゼル髭氏に案内された闇剣闘試合は案の定、地下で行われていた。

 ざっと観戦したが、鉄格子に囲われた狭いリングの上で血みどろの試合が幾度となく行われている。

 安全な高みから見下ろす貴族や大商人たちに凄惨な愉悦を提供し続けているようだ。


 ここで正義の異世界トリッパーなら気の利いた葛藤台詞のひとつでも吐くのだろうが、むしろ自分の土俵を見つけた俺はやがてくる殺戮の余興に心を踊らせていた。

 カイゼル髭氏のとりなしのおかげで俺の試合もあっさり決まり、カイゼル髭氏がしれっとセコンドにつく。


「最大10回までの勝ち抜き戦ですな。降参は認められず、どちらかが死ぬまで試合は続きます。最終試合までオッズの倍率が下がりすぎないように勝ち方には気をつけてくださいね」

「らじゃー」


 カイゼル髭氏の言うとおり、目標額に達するには大穴の選手が偶然ラッキーヒットで勝っていくような演出が必要だ。


 ウォーミングアップもなく、俺と対戦相手が檻のリングに上がる。

 お互いに武器を構え合う。いつかの魔戦試合との違いは刃が潰れていないという点か。

 ちなみに最初の対戦相手は「へへ、坊主。楽に死ぬのと苦しんで死ぬの、どっちがいい?」などとのたまうテンプレチンピラだったので、その儚い命になけなしの愛とたっぷりの殺意をこめて剣を投擲し、頸動脈を切り裂いた。


「おお、すっぽ抜けた剣が偶然当たった! いやあ、ラッキーだったなぁ!」


 会場には俺の棒読み口調を気にする者はおらず、大笑いしながらハズレのチケットを放り投げる客ばかりだ。

 そんな調子で5回ほど『偶然』勝ち続けると、俺にはラッキーサックなどという不名誉な選手名が与えられてしまった。


「ここから先は主催者側が勝ち上がってきた選手を『処刑』するための精鋭が出てきますので、油断しませんよう」

「らじゃー」


 カイゼル髭氏の言うとおり次の選手は処刑人でもなければこの場に似つかない、そばかすの目立つモブ顔のエルフ少女だった。

 しかし。


「すげぇ、もうアリーだ!」

「ブラッディ・アリー!」

「サックのラッキーもここまでだー!」


 会場を埋め尽くす「殺せ!」コールが彼女が人気の処刑人であることを物語っている。

 エルフ少女、アリーが華奢な両手を広げると……鉄格子に向かって蜘蛛の糸のように光の線が広がった。


「お、すげー! 極細糸使いとかそこそこレアじゃん!」

「……あなた、見えるの?」


 あ、いかん。

 思わずコメントしてしまったが、普通の人間なら見えるはずがないよな。


「やっぱり、ここまで勝ち上がってきたのは偶然じゃないのね」


 それでもアリーは勝利を確信したまま不敵に笑う。

 自分の能力に絶対の自信があるのだろう。


 現にこのまま突っ込んだらリング内に張り巡らされた極細糸に飛び込むことになる。相手選手は極細糸に切り裂かれて勝手にバラバラになるという仕掛けだ。

 あるいは大仰な鉄格子も彼女の糸の結界を張り巡らせるためのオブジェクトなのかもしれない。

 

「武器を替えてもいいか?」

「ええ、どうぞ? 試合前の武器交換は自由よ」


 俺は持参した大袋から取り出すフリをして、アイテムボックスからとある武器を装備した。


「……なに、それは」


 怪訝な顔をするアリー。


宍戸梅軒ししどばいけんって知ってる? まあ知らないよな」


 試合開始と同時にを回しながら武器について解説する。


「本来この武器は離れた相手を捕まえて引き寄せて、鎌でとどめを刺す武器なんだ。だけど――」


 言うや否や、俺は鎖分銅を地面に向かって這わせた。

 念動チートによって蛇のようにリング上を自在に蠢きながら極細糸の結界をすり抜けた分銅がアリーの手首に絡みつく。


「今回、鎌の方は必要ないみたいだな? 血塗れブラッディアリー」

「いや、やめて!」


 こちらの狙いと己の運命を悟った少女の命乞いに耳を貸すことなく、俺は思い切り鎖を引き寄せてアリーの体を糸の結界へと飛び込ませた。




 その後も光速剣の使い手とか、触れた相手を腐らせるとかいうチート臭いのが出てきたが、それぞれ突然の心臓麻痺と謎の能力の暴走で自滅してもらった。

 どっから連れてきたんだかハーフオーガのレスラーみたいなのともマッチングされたが、ほどよく苦戦を演出しつつ偶然を装ったパロ・スペシャルを極めて無事に勝利。

 アリー戦で実力の一端を見せてしまったものの、なんとかラッキーサックの名前を取り戻した。


 ここまで来ると俺の人気もかなりのものになってきたが、最終試合は最強の相手が出て来るということもあってオッズは無事に25倍を記録。

 これまで儲けた分を突っ込めば、無事に誓約達成してお釣りが来るな。


 最後の選手が発表されるとカイゼル髭氏が珍しく眉間に皺を寄せた。


「気をつけてください。次の相手は常勝無敗のチャンピオン、ジェイグ。なんでも、すべての試合を一瞬で決めてしまうことからゼロと呼ばれているようです」


 ふぅん。

 まあ、最後の試合だから偶然のフリする必要ないし。

 鑑定眼も使っておくか。

 ははーん、こいつ。なるほどねぇ……。


 リングの向かいに現れたのは線の細い男。

 とても戦いに出てくるようなタイプには見えなかった。

 どうやら人気はないらしく、アリーのときのような歓声はない。

 理由はすぐわかった。


「なあ、キミ。サカハギといったね。ここで試合を降りないか? どうせ僕が勝つことは決まっているし、わざわざ争う必要はない」


 ジェイグが舐め腐ったようなセリフとともに、いやらしい笑みを浮かべる。


「仮にそうしたいと言ったら?」


 どこかで見たような相手に俺が何の感情も混じっていない声で返すと、突然ハイテンションに笑い出した。


「はははは! 冗談だよ。僕は殺しが大好きなんだ。たとえ降りると言っても、次の瞬間キミは僕の剣に心臓を貫かれて死ぬ!」


 ははーん。

 なるほど、嫌われるわけだな。

 とはいえオッズ25倍の理由は客の誰もが俺が勝つほうに賭けていない証左である。

 能力のネタもなんとなくわかっているし、適当にあしらおう。


「わかった。じゃあ、俺も予言をしよう」


 まっすぐジェイグに剣を向けて、はっきりと宣言した。


「お前は次の瞬間、手足を失い魂を抜かれながら、狂気に苛まれて死ぬ」

「はははは! キミもなかなか面白い冗談を言うね!」


 いや、お前の冗談で笑ってたのはお前だけだったろ。

 俺の心のぼやきも知らず、ジェイグは剣を構えた。


「さあ、処刑の時間だ!」

「いいぜ、見せてみろ。お前の能力」


 少しは期待できるかもしれないし。

 俺が剣を構えようとした、そのとき。


「《零時空間》!」


 ジェイグがそう叫んだ瞬間、世界が凍りついたかのように静止した。

 客の歓声も怒号もぱったりと途絶え、まるで彫像になったかのようにぴくりとも動かない。


「これが僕の能力、零時空間。僕はね、0秒間の中を動ける……つまり4次元移動ができるんだ。簡単に言えば時間停止。もっともキミには聞こえていないだろうけどね」


 能力を発動したジェイグだけは悠然と停止した時間の中を歩きながら、俺の胸に剣の切っ先を突きつける。


「そういうわけで、予言を成就させてもらうよ。アディオス!」


 しかし、その剣が俺の心臓を貫くことはない。


「なッ!?」


 もちろん俺がジェイグの凶刃を自らの剣で弾き飛ばしたからだ。

 その当たり前の光景に、しかしジェイグの目が驚愕に見開かれる。


「何故動ける!? お前、僕と同じ能力を使えるのか!?」

「お前と同じ? そいつは違うな。お前が使ってるのは時間停止チート。俺が発動してるのは時空操作チート。時間停止はもちろん、時間の巻き戻し、時間の早送りにタイムリープ……時空間にそのものに干渉できるチート能力だ」

「はぁ? ふざけるな! そんなの完全に僕の上位互換じゃないか!!」

「うん。だってチートだし」


 もっとも『召喚と誓約』のせいで巻き戻しも俺が召喚される以前には戻せないし、使いすぎると時間軸が修正できなくなって取り返しがつかなくなるから、あんまり乱用できない。

 更に言うと俺が干渉できるのは滞在している世界だけだから宇宙すべての時間を停止して願いが増えるのを止めることもできない。

 ぶっちゃけ本来のスペックをカケラも発揮できてないと言える。


 それでも何かと便利ではある。

 蓮実の処女と着衣を元に戻したり、召喚された直後に時間を巻き戻して誓約に対するアプローチをやり直したりできるし。

 死んだ人間もガフに魂を持っていかれる前なら生き返らせることだってできるのだ。


「それで? お前の零時空間とやらはくらい停められるんだ?」

「……は? 何言ってるんだ。零時空間が維持できるのは、せいぜい数分だ! お前もそうだろうに!」

「そうか。とんだ期待外れだな。俺の能力の足しになりそうなら強奪チートで奪って苦しむことなく逝かせても良かったが」


 言うがいなや、問答無用でジェイグの四肢を切り落とした。


「ぎゃあああああ!!!」


 ダルマとなったジェイグの悲鳴が会場に響き渡る。

 無論、観客の誰もその叫びを耳にすることはない。


「なまじ零時間で動けるから痛みも出血もそのままだ。運が悪かったな」

「いっそ殺してくれ! 俺の時間も停めてくれええええええええ」


 無様に命乞いするジェイグ。

 俺の返事はどこまでも事務的な響きを帯びている。


「もちろん殺すとも。でも、お前にとどめを刺すのは俺じゃない」


 俺の剣の切っ先から不浄の気配が湧き立ち、やがてそれは不定形の犬のような姿を取った。

 それがひとつふたつと、あらゆる鋭角から立ち上る。

 やがてそれらはリングを埋め尽くすかのごとく無数に顕現した。


「転生者なら知ってるかな? こいつらは犬じゃないけど何故か猟犬って呼ばれててな。あまりにもしつこく追ってくるもんだから、躾してペットにした。俺に時空干渉してくるやつらを餌にするって契約なんだ」

「や、ややややめろおおおおお。そんなのにくわれるのはやだあああああああ」


 猟犬どものあまりに冒涜的な姿に完全に狂気に陥ったジェイグ。

 強烈な悪臭を放ちながら猟犬どもが鎌首をもたげ、会場の客どもとは比べ物にならないほどの純粋な悪意に目を輝かせ、俺の号令を待つ。


「――貪り食え、ティンダロス」

 

 そして観客の誰もが見守る中、それでも誰もが見ていない時間の中。

 獣とも呼べない何かが一斉に触手のようなものをジェイグに伸ばした。




「いやはや。まさかジェイグにまで勝つとは!」


 カイゼル髭氏と祝杯を交わして酒を煽ると、俺は肩をすくめた。


「その顔……あいつがどんな能力者だったのかまで知ってやがったな」

「はは。何を隠そう彼にあそこを紹介したのはわたくしなんですよ」

「そんなことだろうと思ったよ! 何がゼロと呼ばれているようです~、だ!」


 時間停止能力者なんてのは、極細糸使いよりもさらにレアだ。

 普通の異世界なら余裕でラスボス張れるようなやつらだし。


「それで? ジェイグに賭けてスカンピンってか?」

「何をおっしゃいます。普段ならともかく、今回はしっかりあなたに賭けましたとも」


 おろ?

 それはかなり意外だ。

 試合後のテンションから、てっきり最後の試合だけはジェイグに賭けてたんだろうと思ったのに。


「ただ胴元はカンカンなのでここでの仕事は潮時でしょうな」


 ああ、それで追手がかかってたのか。

 面倒くさいから全部即死魔法でぬっ殺したけど。


「良かったのか? 表の仕事もやりにくくなるだろ」

「なぁに。異世界よそに行けば関係ありませんし」


 そりゃまあ、お互いにたくましいこって。


「でも、どうして俺に賭けた? 俺の能力がわかってたからか?」


 俺の最後の疑問にカイゼル髭氏は少し考えてから、事も無げに言った。


「いいえ。私の鑑定能力でもってしても貴方のデータは何ひとつ見えなかった。だから貴方に賭けたのです」


 一瞬キョトンとしてしまったが、真顔で答えるカイゼル髭氏が面白くてプッと吹き出してしまった。


 なるほどね。

 そういう鑑定の仕方もあるわけだな。


「ここはおごるぜ。どうせ余る金だからな」

「おお、これはどうも」


 袖触れ合うも他生の縁。

 異世界トリッパー同士の奇跡の出会いに、乾杯!

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