第196話 マリウスの独演会
江梨香から呼び出されたロジェストは、目の前の机に積み上げられた金貨と銀貨の山を見て固まった。
「全部で、フィリオーネ金貨1,627枚相当です。これで何とかお願いします。先生」
絶句しているロジェストに向かって、江梨香が得意気に宣言するが、その言葉には応えず、ゆっくりと手を伸ばして金貨を一枚摘み上げた。
現実感を確かめるように、掌の中で金貨を転がす。
その、ずしりとくる重さは、幻でない証拠だ。
「いったい、どうやって」
ロジェストは厳しい表情のまま問いかける。
昨日まで金貨150枚を調達できるかと、四苦八苦していた状況から一転して、金貨と銀貨の山だ。当然の疑問であろう。
「エリックが、調達してくれました」
「エリック・・・」
誰であったか、自身の記憶を探ろうとするロジェストの前に、一人の青年が連れ出される。
「この人です」
「お、おい」
突然背中を押された青年が、抗議の声を上げた。
「いいから。いいから。ロジェ先生。彼が騎士のエリック・シンクレアです」
目の前に、純朴そうな青年が立つ。
「貴方が、シンクレア卿ですか。お初にお目にかかる。エリカ殿からお話は伺っている。今回の裁判でディクタトーレを務めている、ロジェスト・アンヴァーです」
ロジェストは一礼して、まじまじとエリックを観察した。
そうか。この男が噂のエリック・シンクレアか。
想像よりも若い。アランよりも年下だな。見た目や立ち居振る舞いは、いかにも田舎者だが、侮るわけにはいかない。どのような手段をもってしたのかは謎だが、短期間でこれほどの資金を集めたのだ。相当な人物に違いない。
「これだけあれば、大丈夫ですよね」
得意満面に、江梨香は胸を張る。
この金貨の山だ。自慢したくなる気持ちもわかる。
「ええ。資金問題は解決されました。この資金の使用方法については、私に一任していただけるのですな」
「はい。基本的にはお任せします」
「例外は何でしょう」
やはり、すべてを任せてはもらえないか。額が額だけに無理もない。
「それはその都度お伝えすることになるかと。まずはマリエンヌの待遇改善をお願いします。これは最優先です。いくらかかっても構いません」
「・・・心得た」
情勢によって依頼者から掣肘がかかるのは好ましくないのだが、エリカ殿は独自の発想を持っている女だ。
マリエンヌ嬢の待遇に関してもその一つと言える。ここで張り合っても仕方がない。
見立てでは囚人の待遇改善程度であれば、金貨15枚もあれば可能だ。
どんな囚人であろうと、金さえ払えば煩く言われることはない。今回もそうなるだろう。
あの薄暗い地下牢から、日の当たる部屋に移れるだけでも、マリエンヌ嬢に希望を与えることができる。
これまでの経験からも、弁護対象は失意に打ちのめされた人物よりも、希望を抱いている人物の方が、良い結果を掴みやすい。
ありふれた言い回しになるが、絶望は人を殺し、希望は人を生かす。
それこそが、エリカ殿の狙いなのだろう。
「それから、今晩は資金調達のお祝いをします。先生もよろしかったら参加して下さい」
「お祝い」
声に不審の色が出たため、エリカ殿は慌てたように言い訳を始めた。
「分かっています。本当のお祝いは、マリエンヌの勝訴を勝ち取ってからってことは。でも、資金の心配がないことだけでも、みんなに伝えたくて」
「いいでしょう。相伴にあずかります」
浮かれていないのであれば、それでいい。お祝いというからには、普段では食べられない料理も出てくるだろう。この裁判、命懸けだが役得も多い。悪くはない。
ロジェストは表情をやわらげた。
宴会は、アスティー家の長屋を一つ借り切って開かれた。この裁判に関わっている全ての人が招かれ、大変な賑わいとなった。その中にはセシリアや、ディアマンテルの護衛役のイスマイルの姿もあった。
江梨香は、知っている限りの料理を用意すべく腕を振るう。
ここまで協力してくれた人々に感謝の気持ちも込めて、ザイト油を大量に使った揚げ料理をメインに据えるのだった。
並べられた机の上には、素朴だが温かく多彩な料理が山盛りに盛り付けられ、若者たちの旺盛な食欲を満たしていく。
近くの酒場で樽ごと仕入れたロッシュが振舞われ、何度となく乾杯の音頭がとられるのだった。
皆が上機嫌になった頃、一座の話題はエリックのメルキアでの武勇伝に移ってゆく。江梨香を筆頭に皆が、いかにして高価なディアマンテルを手にしたのかを知りたがったからだ。
だが、エリックは肝心なところをぼかして、詳細を話したがらない。
代わりに、満座の中心に躍り出たのが、従者としてメルキアへ赴いたマリウスであった。エリックも敢えてそれを止めはしなかった。
エリックの無言の許しを受けたマリウスは、皆の興味を一身に集め、ロッシュを片手にメルキア入国から状況を克明に語り始める。
酔った勢いもあったのか、身振り手振りを踏まえ雄弁に語るので、集まった者たちは話に引き込まれていった。
「その時です。エリック様の名前が、叙事詩に現れる勇者の一人として、トレパン随一の酒場に響き渡ったのです。後は吟遊詩人だけではなく店に集まった客も含め、皆でエリック様の武勇を称える歌の大合唱。それはもう、大盛り上がりでして、できますれば私も一緒に歌いたかった」
誰が用意したのか、小さな木箱を演台代わりに話し続けるマリウス。
その名調子に、聴衆の合間より笑いが起った。
「これにより、昼の間、私どもが家々を回っていた時に感じていた、違和感の謎のすべてが解けました。なんとドルン河での戦いでの武勇伝は、メルキアの巷間で大いに広まっていたのです。ですから訪れた家の方々で、本当にエリック・シンクレア卿なのかと問われたのでしょう。伝説の勇者が家にやってきたのですから、それは誰もが驚くに違いありません」
「うん。それはびっくりだよね。私だって聞き返す」
演台の一番前に陣取った江梨香は、ジョッキを片手に声を上げる。
その姿勢は一言一句聞き逃すまいと、真剣そのもの。
金策のプレッシャーから解放されて、最もはしゃいでいるのは江梨香であった。
「そんな遠くまでエリックの名前が響いているなんて、凄いじゃない。セシリーもそう思うでしょう」
「はい。エリックも立派な騎士様になられたのですね」
セシリアも熱心に同意を示すので、エリックは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「俺の名は広まっていたかもしれないけど、そんな良いものではなかった。実際とは全く違う、滅茶苦茶な内容になっていて、むしろ恥ずかしい思いをしたんだ。それと、エリカも他人ごとではないからな。笑っていられるのも今のうちだ」
「どうして」
「北方戦役での話だぞ。俺の名前だけが広がっているわけないだろう。エリカの名前も噂話に尾ひれがついて広まっているに違いない」
「うそ」
「本当だ」
「えっ、本当なの、マリウス」
慌てて確認をとると、マリウスが笑顔で答えた。
「そうですね。我々が聞いた話では、エリカ様は魔法使いではなく妖精になっていました」
「妖精? 」
妖精と言われ、ティンカーベル的なものを思い浮かべる。
なにそれ、ちょっと可愛い。
「はい。エリック様は北の森の妖精であるエリカ様から力を借りて、熊を眷属にして勝利を得ました」
ほうほう、エリックはティンカーベルと、くまのプーさんの力を借りて戦ったのね。
なんというファンシーな絵面。これは映画化待ったなし。
マリウスはさらに続ける。
「ほかの話では魔法使いの場合もありましたから、むしろエリカ様の方が種類が多いかもしれませんね。実際に魔法使いであられるわけですから。銀の魔女が、王国軍を勝利に導いた話も聞いたことがあります。これはコルネリア様のことでしょう」
「銀の魔女。なにそれカッコいい、コルネリアだけずるい」
江梨香はコルネリアに抗議するが、私の知ったことではないとあしらわれた。
「こうして、いくつかの家で援助を引き出せましたが、しかし良いことばかりではありませんでした。エリック様の名がメルキアに轟いていたので、それが原因で私どもは、イスマイル様の追撃を受けることとなったのです」
マリウスの言葉に一同は騒めき、部屋の隅で酒をあおっていたイスマイルに視線が集まる。
「えっ、追撃って。イスマイル様って追手だったのですか」
江梨香の言葉にイスマイルは、気まずそうに視線を外す。
「はい。ですがご安心ください。エリック様の必死の説得により、イスマイル様にはマリエンヌ様の御ん為であるとご理解いただきまして、その後、ディアマンテルの護衛を買って出てくれたのです」
「そうだったんですね。ありがとうございます。イスマイル様。とっても助かりました」
「あ、ああ」
マリウスの事実を大きく迂回した説明を、何も疑いもせずに受け止め、素直に礼を述べるので、イスマイルもそれを否定することもできず、曖昧にうなずく。
エリックがマリウスに視線を送ると、黙っていましょうという意味の身振りが返ってきた。
続く
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