第136話 乗馬クラブ
ニースの村のはずれにロランの家はある。
ロランの家では昔から、村で使う馬の飼育を担当しているらしく、家よりも厩の方がはるかに立派だ。
家の前には、木製の柵で囲まれた広い放牧地があり、何頭もの馬が走り回ったり、呑気に草を食んでする。
其の放牧地の一角に、十人ばかりの男たちが集められていた。
「いいか、私が剣を上にかざしたら左右に広がり横隊を形成、前に振り下ろしたら突撃だ。また、剣を横に掲げたら縦隊だ。わかったか」
「「はい」」
アンゼ・ロッタに跨ったエリックが号令の再確認をすると、同じように馬に跨った男たちが返答する。
「これより横隊と縦隊への陣形変化の訓練だ。号令を見落とすな」
馬首を翻してエリックは馬を進める。
その後ろにエミールと、若い男たちが二列縦隊で後に続いた。
騎馬隊はそのまま放牧地を何周かして足並みを揃える。
訓練をする全員が、江莉香が考案した鐙を装備していた。
「横隊」
エリックが剣を天高くかざすと、颯爽とは程遠い動きで、後に続いていた騎馬が横一列の陣形を取った。
素人目からしてみても、もたもたしている。
並びも綺麗に横一線とはいかず、前に跳び出し過ぎたり後ろに下がり過ぎたりとデコボコだ。
「突撃」
号令と共に剣が振り下ろされると、猛然と中央の二騎が前進し、少し遅れて左右の騎馬が続いた。
エリック以外は丸腰のまま馬を走らせているが、エミール以外の者たちはエリックにどんどん離されていく。
左右を見回したエリックはアンゼ・ロッタの手綱を引いて速度を落とし、左右が追い付くのを待った。
「縦隊」
剣を大きく右に振ると追いついた騎馬は、これまで見た中で一番どんくさい動きで二列縦隊に移行した。
「ねえ。あれ、私もしなきゃダメなの」
江莉香は放牧地を囲む柵に両腕を預け、寄りかかりながら、傍らのロランに尋ねた。
「勿論。戦場で死にたくなければ覚えませんとな」
「でも、魔法使いは、魔法を使うのが仕事であって、突撃なんてしないわよ」
「何を言っておられる。先の戦役でコルネリア様が、先陣を切って突撃なされたことをお忘れか」
ロランの力強い指摘に返答に詰まる。
「うっ、確かに突撃してた。しかも神聖騎士団の人たちを従えて」
「そうですぞ。流石はコルネリア様。ガーター騎士団の騎士と言うのは伊達ではございません。惚れ惚れいたしました」
ロランが感に堪えぬと言った表情をする。
この村の男たちはエリックもそうだけど、コルネリアに対しての評価が高すぎる。
いや、高すぎるって事は無いと思うけど、尊敬を通り越して崇拝しているんじゃないかと疑いたくなる時が、ちょいちょいあるのよね。
「でも、私に突撃なんて無理よ。直ぐに死んじゃう」
「エリカ様に突撃までは求めませんが、エリック様の号令に付いてこれないと、それこそ死んでしまいますぞ」
「まぁ、それは分かるんだけど。だけどもう、戦は無いでしょう」
今更ながらに、ぶつぶつと文句が出てしまう。
「何を甘えた事を。先の戦役ですら予測できた者はおりませなんだ。いつ、次の戦が起こるかなど、神々ですらご存じない事。油断はご自身の死につながりますぞ」
この前のギルド本部での会議の中で、私がもしもまた戦争に従軍しなければならない時は、エリックの指揮下で動くことが決定された。
本来の騎士は、戦場では自分の考えで動くものらしいのだけど、私にそんなことが出来る訳もなく。エリックの騎馬隊に相乗りさせてもらうことにした。
戦争になれば、将軍や若殿の命令が無い限りは、エリックの号令に従うことが、一番効率的で安全だと思う。
「私、絶対みんなの足を引っ張るわ」
「そうならない為の訓練ですぞ。要領は分かりましたな。まずエリカ様は、羽黒を走らせる練習をしましすぞ」
「はぁい」
そのままロランに連行されて、個別レッスンプログラムを受けることになる。
私も先の戦役で、速足ぐらいは出来るようになったけど、全力疾走はしたことが無い。
だって、危ないやろ。
しかしながらこれからは、それも覚えないといけないらしい。
愛馬、羽黒の隣では家臣のクロードウィグが、新しく買い与えた馬に誇らしげに跨り、待ち構えていた。
彼は伴走して、特訓をサポートしてくれることになっている。
こうして、スパルタ式乗馬クラブが開催されたのだった。
ロランは歩きながら、へっぴり腰の江莉香を厳しく指導し、クロードウィグは伴走しながら模範的な乗馬スタイルの提示をし、バランスを崩しかけると、すかさず支えてくれたりもした。
江莉香は二人の上級者に挟まれ、徹底的に絞り上げられた。
ロランは始めの内はあれ程までに鐙を、初心者用だの女の道具だと馬鹿にしていたのに、今では鐙の有効的な使い方と形状の研究に余念がない。
掌を反す前に、私に何か言うことありませんかね。
江莉香の若干恨みの交じった視線をものともせず、厳しい特訓は続けられた。
この乗馬特訓は、エリックが前々からやりたいと言っていたことだ。
先の戦役でのアマヌの一族の騎馬部隊に感銘を受けたエリックは、自分の部隊も騎兵で編成したいと言い出したのだった。
私は途中で置いて行かれたからよく分からないけど、敵陣に突撃するアマヌの騎兵隊の威力は凄まじかったらしい。
馬と人が塊となって、物凄いスピードで突っ込んでくるんだから、それは強いわよね。地球でも騎士と言えば槍を構えての突撃だし。
鉄砲でもない限り、止めるのは無理よね。
天気も安定し、気温も運動には適した季節になってきたので、本格的に開始された。
私は、他のみんなと合同訓練できるほど上手くないから、個別レッスンなのよね。
なんだか、一人だけ補習を受けている気分。
この世界での長距離移動は馬が便利だから、練習した方がいいのは理解できるし、今までもやってきた。
羽黒もてくてく歩くより、走る方が好きみたいだし。今は練習あるのみかな。
この日は朝からお昼過ぎまで、一日中乗馬訓練に費やされ、何度か休憩は挟んだが、それでも身体中が熱を持つほど消耗した。
訓練が終わり、クロードウィグが差し出した水を飲み干して息を吐いた。
運動後のお水は美味しいわよね。
「これは痩せるわ」
昔、お母さんが衝動買いしたらしいダイエット器具の中に、乗馬の動きをするものがあったっけ。
ダイエット器具の御多分に漏れず、すぐに飽きてしまって邪魔者扱いされてたわね。
子供の頃に遊び半分に乗っていたけど、やっぱり全然違う。あっちは前後左右に揺れるだけで、上下に飛び跳ねたりはしなかったもん。
「お疲れさん。かなり乗れるようになったんじゃないか」
一日中、放牧地を走り回っていたエリックから声を掛けられた。
後ろには疲れ果てた家臣の人たちが続く。
エリック達は乗っている馬が疲れると、替え馬と言って元気な馬を引っ張り出して、文字通り一日中乗り回していた。
みんな元気ね。私には無理よ。
「少しは上達したかな。でも、エリックに付いて行くのは当分先ね。号令一つで、凄いじゃない」
「こっちは、まだまだだよ」
エリックも受け取った水を飲み干した。
「ジュリエット様の騎馬部隊は、あんなに大勢いたのに、彼女の号令一つで一瞬で馬首を揃えるんだ。どんな訓練をしていたんだろうな」
「あの人たちは毎日、走り回っているからね。それが普通なのよ」
「俺たちもこれからは、毎日乗らないと駄目だな」
「ええっ、こんな訓練、毎日は嫌よ」
「安心しろ。今日は特別だ。エリカはハグロを走らせてやるだけでいい」
良かった。
これから毎日こんな訓練に巻き込まれたら、身体が持たない。
部活より、しんどいです。
「これ、最終的には槍を持って突撃するの」
家臣の人たちは、疲れ切って牧草地に座り込み、中には大の字で寝転んでいる人もいる。
「槍か。そうだな。槍と剣を扱えるようになってもらわないとな」
「ふーん。大変ね。弓は」
「弓? 馬上でか。そう言えばジュリエット様の配下の内に、何人か弓を持っている騎馬がいたな・・・まさか、馬上で扱うのか」
エリックが当たり前のことに驚く。
「そりゃそうでしょ」
「しかし、馬上でどうやって弓を放てばいいんだ」
「どうやってって、普通に放てばいいんじゃないの」
「馬の首に弓が引っかかるんじゃないか。どうやっても」
両腕で弓を構える姿勢をして見せた。
「どうして前に放つのよ。弓は横に放つのが普通でしょ」
そうは言ってみたけど、あれ? どっちだっけ。何かの映画で前に向かって弓を放っているシーンを見た気もするけど、まぁいいか。
「横? 弓を横に構えるのか。あまり違いが無いと思うぞ」
エリックは構えを横にして、首を傾げた。
「違う違う。弓を横にするんじゃなくて、進行方向の横に向かって放つのよ」
「前に進みながら横に放つのか。そんな話、聞いたことも無い」
「そうなの。私の国の騎馬武者はやってたみたいだけど」
「どうやるんだ」
興味を引いたらしく、身を乗り出してきた。
「どうやるったって、私は出来ないわよ」
「分かっている。エリカの分かる限りでいい」
「あえて言えば、こうかな」
私も下賀茂神社の神事で執り行われる流鏑馬を、一回だけ見たことがあるだけ。後は、ニュース映像以上の知識は無い。
なんとか頭の中のイメージ映像を、形にして見せた。
「こう、馬に乗って走ってくるでしょ。そうしたら左を向いて矢をつがえて放つのよ」
「走りながら放つのか。それで当たるのか」
「さあ? 私が見たのは神事だからね。的はすぐ近くにあったけど、上手い人なら百発百中だったわよ」
「弓を放つ間、手綱はどうするんだ」
「手綱? 」
「ああ、左手で弓を構えて、右手で矢をつがえるんだろう。手綱はどうする」
エリックが弓を構えて見せた。
「あれ、そう言われればどうしてたっけかな。多分だけど持ってないわよ」
「手綱から手を離して放つのか」
「そうよね、考えてみたら結構怖いことしてるのよね」
「手綱から手を離して走りながら矢を放つのか・・・出来るかな」
エリックはまたも首を捻った。
何? やってみるつもりだったの。いきなりは絶対に無理よ。あの人たちは流鏑馬専門の練習してるんだから。
「次の矢は何処にあるんだ。一本だけか」
「次の矢は腰に付けた矢筒に入っていたわね。放ったら取って、直ぐにつがえて、また放つのよ。訓練すれば短い時間でたくさん放てると思う」
「そんなことが出来るのか。エリカの国の騎馬隊は進んでいるな」
エリックが感嘆の声を上げた。
「えっと・・・」
誤解を解くべきか迷ったが、誤解が解けるともっとややこしい事になる。
そのまま押し切ることにした。
「そうよ。これで、海の向こうから押し寄せた、騎馬民族を撃退したんだから」
「海の向こうから馬で来たのか。それはおかしくないか」
言葉足らずの説明に、エリックが変な顔をした。
「違う。騎馬民族が船に乗って来たの。その連中を私の国の騎馬武者が追っ払ったのよ」
「そう言う意味か」
「今はしてないけどね」
「ふむ。なるほど。馬上で弓か。これまでの馬術では踏ん張りがきかないから危険だが、鐙があれば出来るのかもしれないな」
エリックはブツブツ呟きながら歩き去っていく。
ああ、あれは絶対にやってみるつもりだ。また、余計な事言っちゃった。大丈夫かな。
まさかとは思うけど、私にも流鏑馬が出来るようになれって、言い出さないでしょうね。
あんなの無理だからね。絶対無理。
あれなら、槍を構えて真っすぐ突っ込む方が簡単に見えるもん。
嫌な予感を覚えつつも、合同乗馬訓練は事故もなく無事終了した。
続く
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