第18話 魔法使い
日が暮れセンプローズの屋敷も闇に包まれる頃、屋敷の回廊にぼんやりとした灯りが動く。
純白のローブだけを身にまとった女が蝋燭の光に先導され、ゆっくりと屋敷の中を進む。
先導の者が一室の扉をたたくと、扉が開かれて女はその中に静かに入っていった。
部屋の中も薄暗く、四隅に灯された蝋燭の灯が揺れると、何人かの人影が揺れた。
女は促されるままに部屋の中央に進むと、不思議な文字で書かれたサークルが現れた。それは時折青白い光を放つ。
女がサークルの中央に達したとき扉が締まり周囲から、歌声のような旋律が響き渡った。
「エリック。落ち着いて」
別室では所在なく歩き回る少年を少女がたしなめていた。
「はい。しかし、大丈夫でしょうか。エリカは」
「大丈夫です。今回の儀式はエリカ様が魔法使いかどうかを確かめるだけです。少し血を取りますが、ほんの少しです」
「血をですか」
「わたくしも受けた儀式です。すぐに終わります。いいからここに座って」
セシリアは自分の隣を席を叩く。
「いえ。それは」
戸惑うエリックにセシリアは頬を膨らませた。
「わたくしの隣では不満なんだ。エリックは、エリカ様の隣がいいの」
セシリアはわざとむくれて見せた。
「そんなことはございません」
エリックはむきになって反論する。
「ならいいでしょう」
セシリアはもう一度隣を叩くと、エリックはおっかなびっくりといった様子で腰掛ける。
二人は顔を見合わせるとどちらともなく笑いあった。
「儀式が無事終わればいいのですが」
「心配いりませんわ。むしろ、この後の方が大変。エリカ様が魔法使いとわかれば」
セシリアは俯いた。
「エリカはどうなるのでしょう」
「兄さま。いえ。お父様次第でしょう」
二人は同時に窓に視線をやると月が輝いていた。
月が夜空を横切っていく。セシリアの言葉とは裏腹に儀式は長引いているようだった。
やがて閉じられていた扉が開き、中から白いローブをまとった老人が出てきた。
老人は疲れた表情を浮かべたまま使用人に先導され部屋に入った。そこには王都に駐在するセンプローズ一門の主立った者たちが集まっていた。
「どうであった」
王都での中心人物。次期当主のフリードリヒは立ち上がった。
「難しい」
老人はそれ一言を発し席に腰を下ろした。
「難しいとは。エリカ嬢は魔法の資質があったのですかな」
「何とも言えぬ」
老人はため息とともに零した。
「ゼノン導師、それは」
フリードリヒの側近の一人が尋ねるが、ゼノンと呼ばれた導師は黙ってしまう。フリードリヒは側近たちと顔を見合わせた。
「私からご説明したします」
ゼノン導師と共に部屋に入ったうら若い女性が一歩前に出た。
「コルネリア殿。お願いする」
コルネリアはゼノン導師の傍らに立ち説明を始めた。彼女はゼノン導師と違い灰色のローブに身を包んでいる。
「まず、エリカ嬢の保有魔力は膨大です。常人をはるかに超える量があります」
どよめきが室内を走る。
「また。魔法が発動した痕跡が見られました。詳しくは言えませんが、彼女が魔法を使ったことに間違いはないでしょう」
「おお、ならば彼女は魔法使いなのですな」
「めでたい。大殿もお喜びになられるだろう。至急オルレアーノに使いを出さなくては」
側近たちは口々に会話を始めた。
「ところが、そうとも言い切れないのです」
コルネリアの言葉に彼らは一斉に口を閉じた。
「言い切れないとは」
フリードリヒが先を促すがコルネリアは言いよどむ。
「それは、何と申しますか」
「回路が開いておらぬ」
沈黙を保っていたゼノン導師が零す。その声色には困惑が混じっていた。
「回路? 」
「魔導回路の事です。体内の魔力を外に向かって発露させるときに魔力を流す経路のようなものとお考え下さい」
コルネリアが補足する。
「そもそも、魔力はあらゆる生き物の中に自然と内包されています。簡単に申しますと魔法使いというのはこの魔力を外に流す経路。すなわち魔導回路が開いた者の事なのです。エリカ嬢にはその兆候が見られませんでした。ゆえに現段階では彼女を魔法使いとは断定できません」
「魔法が使えるのに魔法使いと言えない。という事か。んん」
フリードリヒは自分の発言の整合性の無さに眉をひそめた。
「使えるのではない。使った形跡かあるだけじゃ」
「そうなります。なぜ使えたのか分かりません。例えるのであれば完全に蓋をした水瓶から蓋を開けずに中の水を取り出したようなものです」
「ありえん。魔法の残滓があるのに回路は常人のそれだ」
ゼノン導師の言葉にコルネリアも同意した。
「開いた回路が何かの拍子にまた閉じてしまうことはありますが、回路に何らかの痕跡が残ります。しかし、エリカ嬢には何の痕跡もないのです。導師の仰るように常人と同じです」
「それでもエリカ嬢は魔法を使えるという事ですな」
側近の一人が簡単な結論を出そうとする。彼らにとって魔法の細かい理屈はどうでもいい。問題はエリカが魔法が使えるかどうかと言うことだ。
側近の言葉にコルネリアは首を横に振った。
「今のエリカ嬢が自発的に魔法を行使できるかと聞かれれば、答えは否です。回路が開いていない以上、修練をしても使えない恐れがあります。ただ」
「実際には魔法を使ったと」
フリードリヒがコルネリアの続きを言った。
「はい。我々も混乱しています。こんな例は聞いたことがありません。それ故に導師は難しいと」
「若殿。いかがなさいますか」
側近の言葉にフリードリヒは腕を組んで上を向く。
「父上に報告できる段階ではないな。エリカ嬢の処遇については保留とする」
それが、この夜の結論となった。
「疲れた。なんか疲れた」
江莉香は用意された部屋のソファーにへたり込んだ。まだ儀式用の白いローブを着せられたままだ。
「お疲れさまでした」
セシリアが飲み物の入ったカップを手渡す。
「ありがとうございます。セシリア様」
江莉香はカップの中身を一気に飲み干し、ほっと一息ついた。ハーブティーのような飲み物だ。
「何をやらされたんだ」
エリックが心配げに聞いてきた。
「特になにも。つっ立ったままお経を聞いていただけ」
江莉香は首を振る。
ちょっと人差し指から血を取られ、後はずっと円の中心に立って讃美歌のようなお経のような呪文を聞いていただけだ。
「まぁ。エリカ様。魔法の詠唱をお経だなんて」
セシリアが笑う。
「ふむ。それで魔法使いかどうかわかるのか。不思議なものだな」
エリックの感想と同時に部屋の扉がノックされた。
「はい」
エリックが扉を開けると灰色のローブの女性が立っていた。
「コルネリア様」
セシリアが立ち上がりコルネリアを迎えた。
「身体はどうですか。エリカ嬢」
コルネリアは江莉香の向かいの席に着いた。
「はい。何ともないです。少し冷えましたけど」
江莉香は両肩をさすって見せた。儀式の前に着ていたものを全て脱がされ、冷たい水で全身を清められたからだ。昼間はともかく夜にこれはちと厳しい。
「まぁ。それならそうと仰ってください。エリック。何か温かいものを用意して」
「はい」
エリックは屋敷の厨房に向かい、セシリアは部屋のクローゼットから羽織れるものを探す。
「お疲れの所申し訳ありませんが、もう一度、魔法を使った時のことを教えてください。狼に襲われたのですね」
「はい。と言っても私は自分のやったことを見ていませんけど」
「それは問題ありません。あなたがどう感じたか教えてください」
江莉香はできるだけ自分に起きた状況を説明した。
「なるほど、何かの声が、その声に聞き覚えは」
「いえ。聞いたことありません。男か女の声だったかも覚えていません」
今思い返しても、咄嗟の事であったのでその時の記憶自体が曖昧であった。
「そうなると何かが介入したのか。だが、他者の魔力を外部から操れるのか。いや、外部からとは限らない。その場合は侵入の経路が必要なはずだが」
コルネリアはブツブツと呟きながら考え込む。
「セシリア様。この方は」
急に自分の世界に入り込んだコルネリアを見てセシリアに囁く。
「ゼノン導師のお弟子さんのコルネリア様です。王都でも指折りの魔法使いで、わたくしの姉弟子でもあります」
「まだ、お若いのに凄いですね」
魔法使いというよりは研究者みたいな印象を受けた。素材はいいのに化粧もお洒落もしないで、ずっと白衣着てるため全体的に野暮ったい。そんな研究室の院生みたいな雰囲気の人やね。
「エリカ。スープをもらってきたぞ。飲めるか」
エリックがトレーに大きな器を乗せて戻ってきた。
「飲む」
江莉香は勢いよく答えるのだった。
続く
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