第二章 絵本と神隠し⑧

「帰れって、なんで」

「悪いけど力になれない。知ってるだろ。僕は年2回の神事以外で、この家の敷地から出ることは出来ないんだ」


 さつきの問いを遮るように言って、航夜はうつむく。

 断られるとは夢にも思わなかったさつきは、幼馴染の青白く強張った顔をまじまじと見た。

 長い睫毛にふちどられた双眸は下を向いたまま、目の前のさつきを頑なに見ようとしない。


「もしあの子を見かけるようなことがあれば、連絡する。……じゃあ」


 航夜がそう言って、玄関の扉をそっと閉める。


「待って!」


 さつきは両引き戸が閉じ切る寸前、ふちに手をかけて扉を止めた。


「何するんだ、危な……」

「嘘ついてるでしょ、航夜」

「は?」


 航夜は面食らった顔で、幼馴染の少女を見返す。

 湿った風が腰の近くまで伸びたさつきの髪を揺らし、稲妻が白く光った。


「おじさんが言ってたよ。航夜は嘘つくとき、相手と目を合わせないって」

「嘘じゃない。……いいから、早く帰れ」

「帰らない。力になれないって言ったくせに、どうしてその紙袋を持ってるの? その中には淳くんを探すのに必要なものが入ってるんでしょ」


 気まずそうな顔で目を逸らす少年に、さつきは自分の勘を確信する。

 航夜はにわかに頭を抱えた。


「お前、なんでこういう時だけ頭の回転速いんだよ」

「こういう時だけは余分だよ」


 反論するさつきを睨んでいたのも束の間、航夜は大きく息を吐く。

 玄関先に置かれた小ぶりな民芸箪笥たんすの一番上の引き出しを開けた。


「……言い争ってる時間はないか」


 そう呟き、手のひらからはみ出すサイズの古びた和錠わじょうを差し出す。


「なにこれ、かぎ?」

「僕がお前の従弟を探しに行ったら正面の門を閉じて、外側からそれで施錠してくれ」


 さつきは反射的に受け取って、首をかしげた。青銅で作られたそれは大きく、少女の手のひらにずしりと沈む。


「なんで? そんなことしたら、航夜が門から出られないじゃん」


 それには答えず、航夜は紙袋を三和土たたきに置いた。


「最初に言っとくけど、期待はしないでほしい。もし三日以上帰ってこなかったら、僕もあの子もたぶん二度とこちら側には戻れない。その時は僕の叔父に連絡して、この家には叔父が良いって言うまで絶対に近寄るな。連絡先は珠代さんが知ってる」

「そんな……だって私の時は」

「九年前は運が良かっただけだ。お前がもりの外に出る前に見つけることができたから」


 反論しようとするさつきを遮り、航夜は低く押さえた声で続けた。

 ポツリ、と雨音が屋根を叩く音がする。


「現に父さんは二年前に行ったきり、戻ってこなくなった」

「え?」


 自分から顔をそむける幼馴染の少年に、さつきは呆然と目を見開く。

 二年前。

 それは航夜が父親から「あずかり処」を受け継いだ年だ。

 さつきは辻堂家の代替わりの理由を、航夜の父親が持病の療養で遠くの病院へ入院するためだと聞かされていた。


「おじさんって、東京の病院に入院してたんじゃなかったの……?」

 

 にわかには信じられない一方で、さつきはこの二年前、航夜と辻堂家に対して抱いていた数々の違和感が腑に落ちる。

 あまりに突然な代替わり。

 航夜を見る周囲の大人達の、どこか不安そうな眼差し。

 入院しているにも関わらず、航夜の父親の幼体は大人達の話題に上らない。

 さつきがお見舞いに行くと言っても、面会謝絶だからと差し入れすらさせてもらえない。

 何より、急に人を寄せ付けなくなった幼馴染――――


「あの世に迷い込んだきり帰ってこないだなんて、おおっぴらに言えるわけないだろ。対外的にはになってるだけだ」


 かすれた声で呟き、紙袋の中身を取り出す。

 それは和紙と竹で作られた、水彩で鬼灯の絵が描かれた四角い灯籠だった。


「じゃあ、ちゃんと鍵かけとけよ」


 立ち尽くす幼馴染みに背を向け、航夜は灯籠を片手に踵を返す。


「…………待って」


 ガラガラと音を立て、目の前の両引き戸が閉まる。

 さつきはとっさに手を伸ばし、羽織の袖からはみ出す幼馴染みの手を掴んだ。


「待って、航夜」

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